愛魂〜月の寵辱〜

第8章 抱擁−月のロザリオ−
#4

 吉村と連絡が取れた日からとっくに一カ月をすぎ、季節は秋から冬へと移行していた。何も変化はなく、けれど、長引くぶんだけ気分はそわそわしたまま落ち着かなくて、疲労感が拭えない。
 クリニックに行き、二階のプレートのない診察室で久しぶりにタトゥを診てもらうと、目に見えるとおり何も問題ないとわかってほっとすると同時に不安にもなる。
 タトゥは衝動に駆られるまま刻んでしまったけれど、本当に考えなしだったと毬亜は自分に呆れている。さきが見えなくて、吉村の気持ちが見えなくて、それらのことが自暴自棄にさせたと云い訳はできる。ただ、云い訳はなんの役にも立たない。その時がくるまで京蔵に見られないよう、なんとかしなければならない。ケアフィルムを貼った上にサポーターをしているが、いつまでその有効性があるのか、いや、見せろと云っていつ剥ぎ取られてしまうのか。その不安も疲労を積む。
 このところ、京蔵は首竜との取引に気を取られているのだろう、つぶさに毬亜を観察する余裕はなさそうで救われている。マンションにやってくる回数も週に二回もあれば多いほうだ。
 今日は一週間ぶりに来るという、京蔵に限って通じる携帯電話に連絡があった。客も連れてくるとわざわざ電話で云い、それは毬亜に相手をしろと云っているに違いなかった。
 ため息を吐き、もう少しだからと自分に云い聞かせる。
 診察室の奥にある休憩室で待っていると、ドアの向こうに足音が聞こえた。ようやく待ち時間も解消されたらしい。
 前回、クリニックに来たとき、疲れているようだと云われてさすがにドクターだと思ったが、その結果、ドクターの提案で今日はいつものコロンセラピーだけではなく、全体の健康診断を受けることになった。それだけならいいが、子供を産むために問題はないか診てもらえと京蔵から補足されたときには、憂うつと焦燥以外の何も感じなかった。
 早く会いたい。もうすぐだから。
 毬亜は繰り返し内心でつぶやいて自分に云い聞かせる。
 診察室の足音が止まり、一拍置いてドアが開き、毬亜は何気なくそっちを見やった。
 毬亜は息を呑む。そこには嵐司に続いて、謙也が現れた。
 びっくりして声も出せないうちに、謙也は毬亜を見てわずかにうなずくようなしぐさをしたあと、ドアの向こうに引っこんだ。
「行くぞ」
「……行くって?」
 嵐司に訊き返すと、答えるよりも早く近づいてきて、座ったままの毬亜の腕を取った。
「もうまもなく方がつく。そのまえに会っとけ。場合によっては方がついてもすぐ一緒にってわけにはいかないかもしれない」
「会うって……吉村さんに?」
「ほかに会いたい奴がいるのか」
 呆れたように嵐司は云い返し、「迎えがくるまで二時間だ。一秒でも長く会えるほうがいいだろ」と急かした。
 毬亜はとっさに嵐司に引かれた腕を引き返す。行きたい気持ちはやまやまなのに、それよりも吉村をもっと窮地に追いこむようなことはやりたくなかった。
「でも、ここ離れたら……!」
「しっ、落ち着け。だから健診フルコース中だろ。付き添いの奴は病院に任せて帰ってる」
 云い聞かせるような言葉のなかに、あるニュアンスを聞きとって毬亜の腕から力が抜ける。
「行こう」
 休憩室から隣の診察室に移ると、廊下へと行くドアのところに謙也が立っていた。カットソーにノースリーブのニットワンピースという毬亜の恰好を上から下まで見て何を思ったのか、謙也は素早くジャケットを脱いだ。
「着てろ。外は寒い」
 一瞬、驚いた毬亜だったが、一カ月まえの嵐司との会話を思いだし謙也の好意を受けとって笑みを浮かべた。
「ありがとう」
 謙也は肩をそびやかして、行くぞと云うかわりに顎をしゃくった。
 そうして謙也が先立ち、ドアを出たり角を折れるたびに周囲を確認するということを繰り返しながら、嵐司に手を引かれて病院を出た。
 車で移動するなか、健診が毬亜の時間を確保するための口実だったと聞かされた。考えてみれば、如仁会の病院で、なお且つ如仁会のトップは嵐司の父親であり、内密で依頼するのも比較的容易だったかもしれない。
 毬亜はやっとほっとして外を眺めた。とはいえ、どこに連れていかれるのか、念のため外からわからないように寝転がっているから、背の高いビルか空しか見えない。待っているさきに、吉村がいるとわかっていると、気持ちが逸って車のスピードがやけにのろのろとして感じる。車が地下に潜って完全に止まるまで十五分もかかっていなかったが、まえの座席に乗ったふたりがほとんど喋らないこともあって、毬亜にはずいぶんと長く感じられた。
 車を降りると、病院でそうしたように謙也の先導で、毬亜は嵐司に背中を守られながらついていく。
 エレベーターは使わず階段をのぼって、三人とも無言で上に向かう。何階まで来たのか、階段スペースからフロアに出たときは、普段からの運動不足が祟(たた)って毬亜は息切れをしていた。
 階段は建物の隅にあって、謙也はそこから二番めのドアのまえで止まった。奥のほうを見ると似たドアがいくつも並び、おそらくここはマンションだと見当をつけた。
 謙也がドアベルを押すと、車中で嵐司から連絡を受けていたからだろう、そう待つことなく内側から鍵を開錠する音が聞こえた。
 息切れをして忘れていたが、会えることへの期待とうれしさと不安でごちゃごちゃになった気分が復活して、そのすえ、この場からすぐさま逃げたくなるような矛盾した気持ちを生む。
 そうしてドアが開いて、希(こいねが)っていた姿が目のまえに晒されていく。胸が潰されたような痛みを覚え、毬亜は立ち尽くした。
 ずっと会っていなくてもなんら気配に変わりはない。鷹のように鋭い眼差しが一瞬にして毬亜を捉えた。
 そこに喜びなどなく。
「何をやってる!」
 吉村は険しく顔をしかめ、極力声を抑制するためか、歯を喰い縛ったような様で怒鳴った。
「すみません」
 首をすくめた毬亜の横で、謙也と嵐司が同時に頭を下げる。
「よけいなことだとわかって時間を取りました」
「澤村クリニックにいることになっています。一時間で迎えにきます」
 謙也、嵐司と続いて云い、ふたりは吉村の返事を待たずして、さっさと毬亜を置いて立ち去った。
 放心してそのふたりの背中を目で追っていると、腕がつかまれてびくっとふるえた。振り向いている間に腕を引っ張られ、玄関と廊下の段差につまずきそうになりながら毬亜は家のなかに入った。
 背後でドアが閉まる。その音はクラッパーボードを鳴らしたように聞こえ、ふたりの時間の始まりだ、とそんな合図に感じた。
「……吉、村……さん」
 心臓が痛むほど鼓動は高鳴り、呼びかける声は痞え、毬亜はすぐ上にあるその顔を見つめる。
 吉村の手のひらが頬に添う。
「毬亜」
 低い声が囁くように毬亜の名を呼ぶ。
「……うん」
 じっと見下ろしてくる瞳に何が映っているのか、吉村の輪郭があやふやにぼやけていってわからなくなる。嗚咽を堪えるのに呼吸を止めると、酸素不足で思考力は低下し、いまふたりで向き合っていることの意味がわからなくなる。
 やがて、ふるえる吐息を漏らして呼吸を再開すると煙草の薫りが嗅覚を刺激し始めて、目のまえに立つ吉村は本物なのだと実感していく。
「いいか」
 大丈夫かという問いだろうとうなずいてみると、頬からゆっくり手が離れていく。
 もっと触れていてもらいたい。そんな欲求のまま、気づいたときは吉村に抱きついていた。はね除けられることはなく、腰もとを腕が、頭を手のひらが抱きかかえるように引き寄せた。
「おれも大丈夫だ。もう少しだ」
 たったそれだけの言葉なのに、吉村の腕のなかで毬亜がうなずくまで、時間を要した。
 吉村は腕から力を抜き、毬亜の肩をつかんで引き離した。伴って謙也のジャケットが奪われる。玄関先でも暖房が届いていて寒くはない。
 吉村は毬亜を囲うようにすぐ後ろにある玄関のドアに手をついた。躰を折りながら片手がドアから離れて毬亜の頬をくるむ。煙草の薫りが感じられる距離でためらうように止まった。吉村は近づくこともなく離れることもなくとどまって、毬亜はたまらず踵を上げる。とたん、拒絶するように吉村は躰を起こした。
「吉村さん!」
 訴えるように呼ぶと同時に躰がすくわれた。毬亜は拒絶じゃなかったとわかって安堵しながら、吉村の首にしがみつく。
「最後じゃない」
 毬亜がつぶやくと笑ったのか、吐息が耳もとにかかる。
「ああ、これからだ」

 部屋のなかへと連れていかれながら吉村の背中越しに見たエントランスも、短い廊下からちらりと見えたリビングも、欧風の優雅さを交えたシンプルな雰囲気で、家具はスーツと同じ黒鳶色をメインにそろえられていた。
 それらと相まって、なんの濁りもなくただ吉村の薫りがするという、ここはまさに吉村の在処だった。そんな場所にいるだけで満たされた気になるのは、好きで好きでたまらないから――そうとしか説明できない。
 寝室に入ると、部屋の半分くらい占めるほど大きなベッドがあった。吉村はベッドに腰かけると毬亜を横抱きにしたまま靴を脱がせる。無造作に床に落とすと、次にはニットワンピースがたくしあげられ、カットソー、そしてキャミソールが脱がされた。
 そうして、吉村は自分のシャツに手をかける。
「あたしがやる」
 シャツの裾をスーツパンツから引きだし、毬亜がボタンを外している間、吉村は落ちないように腰を支えていた。
 シャツを広い肩からはだけるとふと毬亜の手が止まり、そして、目も引力に引き寄せられたように一点にとどまって離れなくなった。
「……吉村さん、してくれてる」
 吉村の胸もとにはネックレスのペンダントが二つぶらさがっている。かぼそい鎖と頑丈な鎖、可愛さとシックな様。釣り合わないようでいて、うまく共鳴しながらバランスが取れて見えた。
「もう勘繰られる心配がない」
「……ほんと?」
 艶子とはもう終わったということ? そんな疑問を含んだ質問に、吉村は口を歪めて応えた。
「あの日は嫌なところを見せた。必要に迫られていた」
 毬亜は首を横に振った。
「あたしは……もっとずっと嫌なところを見せてる」
「そうじゃない。おれは……確かに宴に立ち会うのは気分のいいものじゃなかった。いまの状況でさえ受け入れてなどない。だがそれ以上に、ここにくるまでおまえに生き延びてほしかった。そのために一つでも苦痛を避けなければならない。だからセックスはただの快楽だと教えた」
 ――おれが教えた快楽を忘れるな。
 吉村が云った言葉の真意はわからないことだらけだった。それらがけっして毬亜にとってマイナスの言葉ではなかった。そういまわかった気がする。
 自然と笑みがこぼれ、それに応えた笑みは呻くような吐息を伴った。
 吉村は脱ぎかけていたシャツもそのままに、かけぶとんを剥がして毬亜をベッドに横たえると、自ら服を脱いでいく。そのしぐさ一つ一つに毬亜の五感が反応して躰が疼く。でこぼこした躰のしなやかさも強さも、少しも衰えていなかった。
 吉村はベッドに上がって毬亜のタイツと下着を取り去った。すると、性急だった吉村の動きが片足を手にしたまま止まる。その目は足首にあるタトゥに見入っていた。
「彫ったのか」
 そこから引き剥がすようにして毬亜に目を向けた。
「うん。もし……離れ離れのまま終わってもあたしは吉村さんのモノだってわかるように、ってそう思った。あたしは吉村さんがすべてっていうしるし」
 吉村は少しもうれしそうではなく、ついさっき、ここに毬亜が来たと知って怒ったときのように眉間にしわを寄せる。
「総長は気づく」
「まだ見せてない。いまはたぶん、ほかのことに気を取られてるから」
「いつやった?」
「十月の終わり」
「生き延びることを放棄する気だったのか」
 吉村は読みすごさず、不快さを露骨に見せた。ともすれば、その眼差しは威嚇に見える。
「……殺すって聞いたから……」
 こうまで不機嫌にさせることとは思わず、毬亜はおずおずと云い訳をする。吉村は見たくないといったように目をつむり顔を背けた。
「吉村さん……怒らないで」
「わかってる。おまえを怒ることじゃない」
 吉村は呻くように吐いたあと、何かに突き動かされた様子で身をかがめ、タトゥに口づけた。
 んっ。
 舌が月に絡むロザリオの鎖を這う。くすぐるように何度もそうされ、熱が生まれていく。じれったすぎて、躰の奥が疼いた。
「吉村さ――あっ」
 吉村の指先が躰の中心に触れた。
「もうぬるぬるになっている」
 濡れたタトゥに息が吹きかかって、それさえもほのかに感じてしまう。
「吉村さんが……んっ、そうさせてる」
 浅く指を入れられ、水音を聞きながら吉村に責任を転嫁した。
 ふっとタトゥに息がかかり、また舌が這いだす。同時に指がなかに入ってくる。親指が突起に触れ、毬亜の腰がぴくっと跳ねあがった。舌と指が連動して二つの快楽点を繋ぐ。
 手もとのシーツをつかみ、声を堪えるぶん部屋は静かすぎて、かえって毬亜を辱めるようなクチュクチュとした音が目立っている。けれど、そう声は耐えていられるものじゃなかった。毬亜は何より、吉村に抱かれることをずっと夢見てきた。
 ん、はっああっ。
 息苦しさに負けて嬌声を漏らしてしまう。身ぶるいのような反応が腰を襲い、まもなく逝くことを示していた。吉村の舌は這いずるようなねっとりとした触れ方に変わり、突起を弄る親指はかすめるようなタッチにかわり、よけいに感覚を敏感にさせる。体内の指先は弱点にたどり着いた。
「ぁああっもうっ……だめっ」
 逝けというかわりに弱点がこねられた。痺れたような感覚が毬亜の全身を襲った。腰もタトゥをしるした脚もぶるぶるとふるえ、躰の中心からは快楽のしるしを噴く。
「逝きやすいのは変わらないな。もっとだ」
 吉村は膝の裏をそれぞれ腕に引っかけてまえにのめると、毬亜を囲むようにベッドに手をつく。お尻が持ち上がり、躰の中心には吉村のそれが触れて、毬亜は躰をふるわせた。潤んだ視界は吉村の顔でいっぱいになる。
「吉村さん、好――」
 好き、と云おうとしたのに、吉村のくちびるで告白は封じられた。煙草の薫りが口のなかに広がる。舌でぐるりと頬の裏側を這ってから、すぐに顔を上げた吉村は――
「明日までとっておけ」
 と、くちびるの傍でつぶやいた。
「……明日?」
「そうだ」
 明日と限定したのは嵐司もそうだった。
「大丈夫だ。いいか」
 不安を察した吉村になだめられ、毬亜はうなずいた。
「これ以上も明日までとっておくか」
 ひょっとしたら毬亜の顔を見た瞬間からそうだったのか、何かに駆られたように冷静さを欠いていたのに、吉村はいま理性を取り戻しつつある。
「イヤ!」
 毬亜の力ではびくともしないような首にそれでも手をまわし、理性をはね除けて吉村の衝動ごと引きとめる。
「もういや。待ちたくない」
 毬亜がわがままを吐くのは何度めか、吉村が動かないのは迷いのせいか。
「吉村さん!」
 間近にある瞳を見つめながらたまらず叫んだ。
「一月、だ」
 囁くような声が、それまでの立場も年の開きも時間の空白も無効にした。
「い、つ、き……?」
「そうだ」
 断固として響き、再びくちびるがふさがれた。
 はじめての日に男の愛し方をキスで教えられた。いままた、もつれ合って吸いついて味わって、吉村がするように毬亜は返す。けれどいまは、教えるという一方的なキスではなく、気持ちを確かめ合うような、与え合うような、そして貪るようなキスだった。
 熱に浮かされたような呻き声はどちらが発しているのか。躰の中心でもまた摩撫し合っている。
 吉村はやがてくちびるの端に吸着し、それからのどもとへとおりた。舌が鎖骨をたどり、そして胸のふもとから頂上へと向かう。
 舌が胸先に触れたとたん、痛みに似た刺激を感じた。乳首を転がすように吉村の舌はくるくると舞う。
 あ、あんっ。
 無意識に背中が反り、毬亜は胸を吉村に押しつけてしまう。それに応えるように吸いつかれ、痛みとも快感ともつかない感覚に襲われた。
 ん、あ、あっ。
 左右交互に刺激されながら、飛びだす嬌声はだんだんと甲高くなっていく。
「吉村さん!」
 叫ぶと乳首が甘くかじられる。強く吸引しながら吉村は顔を上げていき、毬亜は引っ張られる軽い痛みに喘いだ。
「違う。教えただろ」
 口を放し、咎めた吉村はまた乳首を咥えた。そこから始まった快楽はおなかの奥におりていく。反動で腰がくねって、合わさった躰の中心が摩擦された。
「あ、ふあっ……も、だめっ」
 吉村は空いたほうの胸を手ですくい、親指の腹で乳首を潰すように捏ねた。毬亜の躰は自然とうねる。咥えられた乳首が持ちあがるほど吸いつかれ、とたんに二度めが来た。
 あああ――っ。
 下腹部から下は自由にならず、動かすことができないぶん、上体がめいっぱい反れた。果てにたどり着いてこわばりがとけた直後、びくっと大きな痙攣が躰を襲った。
 喘ぐ毬亜に軽くくちびるを合わせた吉村は、行くぞ、と囁く。
「吉、村、さ……」
「違う」
 ぼんやりした思考力で毬亜は二回めの“違う”が何かを考えた。
「一……月……?」
「そうだ。いいか」
「ぅん、して」
 手のひらで毬亜の頬を撫で、吉村は躰を起こした。
 吉村のオスが秘口に充てがわれ、先端がぐっと押しつけられると毬亜は満たされた思いで呻く。ずっと待っていた吉村がすき間なく毬亜の体内を侵してくる。それが最奥に届いたとき、吸着するような感覚に嗚咽が漏れるほど心も躰も満ち足りた。

「毬亜」
 呻くような声を吐きながら上体をかがめ、真上に来た吉村の顔がぼやける。こめかみに吉村の手が添って親指がまぶたを撫でる。いったん閉じた目を開くと、吉村の瞳に映る自分が見えた。
「うれしい。生き延びててよかった」
「ああ。こういうしっくりくる感覚ははじめてだ。おまえのなかは融けそうに熱いな」
「はじめて? あたしも……吉村さんとなら……一月となら、融け合いたい」
 云い直した毬亜を見下ろして吉村は笑みをこぼす。
 毬亜の膝の裏を腕ですくい、吉村は躰を倒して両脇に腕をつき覆いかぶさる。もし丹破家にあった浴室のように天井に鏡があるのなら、大鷹が翼を広げ、毬亜の躰を隠蔽するように見えたかもしれない。
 そんなことを想像すると、うれしさが重なって躰がふるえる。密着した躰の奥にもそれが伝わり陶酔を生んだ。喘いだ毬亜のくちびるのほんの傍で吉村が呻く。すき間のないなかでぴくりと男根が跳ねれば、快楽の刺激にしかならない。接点から痙攣が走って毬亜の全身がふるう。そして、次は吉村がふるえる。
 そんなリピートに嵌まり、少しも動くことなくふたりは快楽の循環から抜けだせなくなっていた。
 指を絡ませて手と手を合わせ、互いの吐息はくちびるが触れ合いそうな距離で融け合っている。吉村が舌を出してくちびるを舐めた。くすぐったさに悶え、絡ませた指先に力が入る。そうして、吉村はわずかに腰を引いたかと思うと押しつけた。
 あ、あっ。
 奥をつついて、吉村は腰を引く。そして、また突いてくる。
 お尻をふるわせながら毬亜は悲鳴をあげて首をのけ反らせた。
「あぅっ……すぐ逝っちゃいそうっ」
「何度でも逝け」
 唸るような声が耳もとでとどろき、ぞくっとしたざわめきが足の爪先まで走り抜ける。吉村のモノが粘着音を立てながら律動して三度め。
「ああ、だ、め――っ」
 吉村の躰でがんじがらめにされた躰が、それでもびくりと大きく跳ねあがった。そうして密着した間で淫蜜を迸らせながら腰を小刻みに揺らした。体内では収縮が繰り返され、そのなかを時折呻きながら吉村が休むことなく突いてくる。果てに到達したまま、毬亜は快楽から引き返せなくなった。
 ぐちゃぐちゃと粘り気のある淫らな音は激しくなっていき、びくっと大きく波打つような痙攣は止まらない。
「よし……む、らさんっ……壊れそ……力……入らな……」
「おれが、いても、怖いか」
「ううん……うれしくて……死にそう」
 ふっと吐息がくちびるにかかる。目を薄らと開くと笑んでいるとわかる吉村の目が見える。
「なら……すべて、おれに、ゆだねて、いろ」
「ぅん……あっ」
「逝くぞ」
「い、っしょ……に?」
「ああ」
 毬亜は精いっぱいの力を集めて手を握り返す。それ以上の力に握りしめられ、毬亜は吉村にゆだねた。
 深く浅く、律動を変化させながら吉村は前後に腰を揺さぶる。それらすべてのしぐさに反応して思考力までもが快楽で飽和されていく。
 快楽漬けにされる怖さはいまはなくて、限界を越えてふくらみ、弾けそうなこの気持ちはきっと幸せというのだ。
「逝っちゃ……う」
 つぶやいた刹那、吉村がひと際強く貫き、男根をふるわせた。毬亜の最奥を吉村のしるしが熱く叩く。手を放した吉村の腕が背中にまわり、きつく抱かれながら毬亜は激しく痙攣してかすれた悲鳴をあげ、直後すべてが弛緩した。
 毬亜。おまえが可愛い。
 そんな言葉が聞こえた気がして目を開けると、自分が意識を失っていたことに気づく。自然とこぼれた吐息は自分でも満ち足りて聞こえた。
 吉村は向かい合った恰好で毬亜を抱いていて、すぐ目のまえではネックレスの鎖が二つ垂れている。
 もしもその場しのぎでねじれたやさしさを見せ、だれにも同じことをやっていて、そして毬亜もその一人にすぎないとしたら、いま毬亜と会うとは思ってもいなかった吉村が、ムーンストーンのネックレスとマリアのペンダントを身につけている理由が成り立たない。
 毬亜が首をのけ反らせながら見上げると、見下ろしてきた目と合った。一瞬でも夢かもしれないなどと不安にならないのは、ふたりの躰を覆うふとんからも煙草の薫りが漂うからかもしれない。
「もう少しだ」
 再びつぶやかれた言葉は云い聞かせるようでいて、未来の――明日の確約にも聞こえた。
「うん」
「迎えがくる頃だ」
「……うん」
「泣くな」
「泣かない。明日まで」
 云い返すと吉村は口を歪めた。
 ふとんを剥ぎながら起きあがりベッドをおりると、毬亜を抱き起こす。ベッドに座らせ、毬亜の足もとでひざまずいた吉村は、片方だけ足を取った。
 タトゥは、円弧を長めに取った三日月と、アヴェ・マリアの祈りに使うロザリオがしるされている。ロザリオの先端に伸びる十字架を三日月が抱き、輪になった珠(たま)が月に絡む。
 その刻印に吉村が口づける。目を閉じてじっとしたその姿は祈りを捧げているかのように見えた。
 やがて、足が解放されると、吉村が立ちあがるまえに毬亜はその背後にまわって床に膝をついた。大鷹のくちばしがしるされた肩に口づける。毬亜が離れるまで吉村は動かなかった。
 吉村は手早く服を着ると、気だるさにもたつく毬亜を手伝った。
 それからリビングに行くと、ソファに座った吉村から引き寄せられた。横向きに脚の上にのせられる。毬亜はテーブルにのった煙草を取って吉村に差しだした。吉村は一本抜きだした煙草を咥え、毬亜はライターを取って火をかざす。
 煙草を持つ指先もわずかに身をかがめて火を点すしぐさも、それだけで苦しくなるほど好きだという気持ちでいっぱいにさせられる。
「吉村さん」
 と云っているさなかに吉村が呆れたように首を振る。
「一月、って練習しておく」
 吉村は紫煙を吐きながらくちびるを歪めた。
「拒まないでくれて、一月って呼ぶ資格あるんだって思えてる」
「拒む?」
 吉村は眉をひそめた。
「大鷹にキスさせてくれること」
「……知ってるのか」
「ずっとまえに亡くなったカノジョのことなら知ってる」
「違う」
「違う?」
「このしるしは彼女を忘れないためでもないし彼女のしるしでもない」
「……そう?」
「ああ。昔のことで憂うことはない。おまえもおれも。いまからだ」
 無自覚に毬亜の顔が綻び、吉村は煙草の薫りを纏ったくちびるでくちびるをふさいだ。
 そうして、まもなく嵐司たちが迎えにくるまで、抱き寄せられるまま毬亜は吉村の首もとに顔をうずめて、額に触れる鼓動を感じていた。
 きっと、離れがたかったのは毬亜だけではなく吉村もそうだ。
 明日には、先回りした吉村が決着をつけて、そして、吉村と一緒にいられる。
 怖かった明日ではなく、その向こう側の日々が感じられる。そんな気になった。

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