愛魂〜月の寵辱〜

第4章 哀恋−あいれん−
#2

 京蔵にしか感じない。母はそう云ったくせに、ハイエナみたいな男たちに襲われていたとき、その呻き声から見えたのは悦(よろこ)びだった。
 毬亜の躰はいま、痛みよりも快楽を憶えている。躰だけじゃなくて、たったいま気持ちもそうしたがった。
 浴室で吉村に責められて攻められて、嫌だと泣きながら毬亜は快楽を止められずに果てに到達した。だったら、毬亜はすでに母と同じだ。
「そうだ。おれだから、だ。だれに抱かれようとおまえはそれをずっと守っていけ」
 吉村の表情がそうであれば、言葉に含まれた意味もうまく感じとれない。淫猥だというのは蔑(さげす)んだ発言ではなかったのだろうか。
 吉村は腋の下に手を入れて毬亜の躰を起こした。
「おれが教えた快楽を忘れるな」
 毬亜は後ろへと仰向けに倒された。頭が少しベッドの端から飛びだして、のどがわずかにのけ反ると、頭上に人がいるのを感知する。快楽に我を忘れて、嵐司の存在が毬亜の頭からすっかり消えていた。
 ばつの悪さも吉村への依存も見透かされている。けれど、毬亜からは嵐司のことは何もつかめない。吉村のことさえよく知らないまま惹かれて、まだ初対面でしかない嵐司のことがわかるはずもなかった。
 見下ろしてきた嵐司の目に捕まる寸前、毬亜は目を伏せた。
 居心地を悪くさせる視線を避けたそのさきに見えた吉村のモノは屹立(きつりつ)している。それで侵される。痛いかもしれないという不安よりもうれしい。
 吉村は毬亜の膝の裏をつかみ、持ちあげた。お尻が浮いて、膝が肩の近くまでくるほど躰を曲げられる。
 膝から片方だけ手が離れると、秘部に指が触れてきた。腰もとが俄(にわか)にふるえる。円を描くように突起が撫でられ、花片が揺らされ、ぬめっているせいでその摩擦の力があまりにも心地よく、毬亜は腰をせん動させながら喘いだ。
「陰核が赤くふくれて愛液が次から次に溢れてくるな」
「やっ」
「嫌だと云いながらおまえは悦ぶ」
 そのとおりだけれど、いや、と毬亜はまた無意識に否定をした。
 指先は突起と花片を行きつ戻りつしながら、やがて膣口に来る。ぬぷっと体内に埋もれた。
「痛くないか?」
 云いながら、吉村は指を潜らせてくる。
 躰は反射的にこわばり、襞を掻き分けてくる指はきつく感じもしたが、昨日のような痛みもひりひりすることもない。
「んふっ……痛く、ない」
 指はそうして毬亜のなかに深く沈んだ。吉村が指先を折り、引っ掻くような動きをすると、蜜を混ぜるような音がする。毬亜の躰が感じている証拠に違いなく、一気に二度めの快楽に火がついた。
 躰のなかに泉があるのかと思うくらい、ぐちゅぐちゅと音はひどくなっていく。溢れた淫蜜はおなかから胸もとへと伝ってきた。
「くふっ……吉村さんっ、もぅ……だめ……あんっ」
「逝きたいだけ逝けと云ってる」
 吉村は体内の弱点を揉みこんだ。全身から力を奪うような快感が走り、脳内が痺れる。
 ふぁあああっあっ――ん、くっ。
 自分が噴いた淫蜜が顔に降りかかった。呼吸を短く繰り返し、酸素補給もままならない。
 そんな果てから戻りきれないうちに指が抜けだし、その感覚に腰が身ぶるいする。直後、花片が吉村の口に含まれた。
「あ、はっ、だめっ」
 精いっぱいで叫ぶも、吉村は無視して花片を舌でねぶる。逝ったばかりで苦痛と区別がつかないほどの快楽が続いた。突起に吸いつくようなキスは躰を奥からふるわせた。
「ふはぁっ……やっ、だめ、だめ……あ、あうっ」
 腰を何度も跳ねあげる間も吉村がくちびるを離すことはない。長いキスにまた漏らしそうな感覚が集う。快楽しか感じない脳はすでに溶けだしているのかもしれない。逝くことが怖くなった。
 もしかしたら自分で快楽を貪っている。くちびるが突起を引っ張りながら離れていきそうになると、毬亜は腰をせりあげた。それでも離れていく。そうして離れた瞬間に快楽は弾けた。
「あうっ漏れちゃ……っ。やぁあああ――」
 叫んだ直後、吉村がまた花片にくちびるをつけた。
 毬亜が漏らしているのか、吉村が吸引しているのか区別がつかない。腕を投げだしたくなるほどの快感に、捕獲された魚みたいに躰全体がバウンドした。吉村の舌はセックスの凶器だ。果てに逝ったまま、もうひとつ果てが重なった気がした。
 まもなく顔を上げた吉村は、毬亜の腰を少しおろした。そうしてからふたりの中心を合わせた。男根を秘部に擦りつけ、粘液をまぶす。
 昨夜のように、躰をびくつかせながら力尽きた毬亜は、抵抗してもきっと無駄に終わる。ただ、犯すのは吉村で、だからいまは抵抗する気持ちはなくて微量の不安があるだけだ。
 ベッドにつくまでお尻がおろされる。吉村はけれど中心に入ることなく、ただ秘部のラインに沿って男根を当てた。毬亜の脚を担(かつ)ぐように抱き、太腿を閉じさせられた。
 吉村はそんな恰好のまま、腰を前後させ始めた。
 んふっ……んぅっ……。
 嬌声も尽きて吐息にしかならない。快楽がおさまる間もなく、充血した突起が男根に摩撫される。もうどうなってもいい、そんな倦怠感が快感と融合してく。そして、声をあげることもなく毬亜は弾けた。力がなくても躰がうねってしまうのは生理的な反応だろう、そのせいで続けざまに逝った。
 吉村の呻き声が降ってくる。
「逝くぞ」
 そうして律動を激しくしていった吉村が唸った。それに合わせてたぶん毬亜はまた逝ったのかもしれない。飛び散る吉村のしるしを頬にも胸にも感じながら、熱っぽく視界が潤んでいった。
 意識が一瞬なくなっていたかもしれない。気づけば、ぐったりと動けなくなった毬亜を吉村が抱きかかえている。
 汗に濡れて額にくっついた毬亜の髪を払い――
「おまえが可愛い」
 そう云って微笑を浮かべる吉村の顔を忘れることはきっとできない。



 腕に抱いた毬亜が深く息をつくと、ぐったりしていた躰にもわずかながら力が復活したような変化を感じた。一月は毬亜を自力で座らせ、浴室にガウンを取りにいって戻った。ガウンを毬亜に羽織らせると、一月は床に落とした自分のガウンを取って袖を通した。
 タイミングよく、温めなおしを頼んでいた朝食を嵐司が運んでくる。
 匂いにそそられ、食欲のまままずはトーストを口に運び、毬亜にも食べさせてやった。
 そうしている間に、嵐司がベッドの足もとのほうのシーツを剥がした。マットレスの濡れた場所にタオルを押し当てる。
 すると、毬亜はそれを見て困惑した表情を浮かべる。羞恥心と申し訳なさか。そしてまた何を思ったか毬亜は、あたしもやる、と嵐司が持っていたタオルを奪った。
「食べてからにしろ」
「食べてる間に終わるから」
 口答えをした毬亜は一月を信じきっている。
 父親は行方知れず、母親は軟禁される。そういう状況下でだれも傍にいないとなれば、もうすぐ十七歳というだけの毬亜が心細くないはずはない。
 毬亜は、頼りない父親以上の何かを一月に見いだしているのか。目が合ったときに気づいてしまう。一月の目もまた毬亜を追っている、と。
 おれは毬亜のなかに何を見ている?
 嵐司とふたり、タオルを充てがってベッドをひたすら叩く姿は滑稽だ。
 なんでもないことに無心になる邪気の無さに一月の記憶がこじ開けられた。

 一月、動物園って楽しいね。
 大して美味しくもないホットドッグを、頬が落ちそうな勢いで口をもぐもぐさせる姿はまるで子供だと思った。もっとも、子供みたいだな、と付き合い始めた当初、たまに口にすると、真剣に怒るからもう云わないが。動物園にしろ、特段、変わったものがいるわけでもないのに、本当にうれしそうにしている。
 ここよりもキャラクターがいる遊園地がよかったんじゃないか。
 一月は、テラスのテーブルから見える、観覧車やコースターを見渡した。小振りの乗り物もあり、それなりににぎやかだが幼い子供が圧倒的に多く、派手さはない。
 ううん。ここでも充分楽しいよ。あたし、大鷹が好きなんだ。だから、ここならいるって聞いてたし、よかった、近くで見れて。一月をはじめて見たとき、なんとなく大鷹だって思ったんだよ。
 よくわからないな。
 狙ったらひと筋って感じ。
 そうか?
 うん。受験だっていまの大学一本て云ってたし、一月だったら女の人と取っ替え引っ替えして遊べそうなのに、半年たってもあたしひと筋だし、そのカノジョにもがっつかないし。
 触るなオーラを出してるのは仁奈(にな)だ。
 だって!
 と、仁奈は叫ぶように云ってからテーブルに身を乗りだし――
 経験ないし、ちょっと怖い。
 と声を潜めて云い訳をした。
 おれも経験は一人だけだし、はじめてってのははじめてで怖いかもな。
 なんだか一月の一人めじゃないのが悔しい。
 仁奈はそう云ったあと、ふと顔を曇らせた。
 仁奈?
 呼びかけると、ハッとしたようにすぐさま笑顔に切り替わる。
 はじめては結婚してからって決めてるの。
 今どき考えが古いな。
 そうだね……。ね、一月、動物園でもすごく楽しいのは一月と一緒だからかも。
 最初の、そうだね、はどこか虚ろに聞こえたが、そのあとのおどけた発言は率直で、仁奈はこんなふうに照れるようなことを平気で云う。
 仁奈は素直だな。
 あー! 子供っぽいって……。
 仁奈!
 仁奈をさえぎり、叫んだときは遅く――
 あっ!
 オレンジジュースの入ったコップが傾き、一月の手と同時に仁奈の手がとっさに伸びるが、無理だと思ったとおり、つかもうとした仁奈の手は逆にはね除けてしまう。ジュースはそう入っているわけではなかったが、コップが倒れたのと同時に飛沫(しぶき)が散った。氷だけは避けたものの、一月のシャツに点々とオレンジ色の染みをつくる。
 一月、ごめんなさい!
 一瞬、時間が止まったように目を合わせたあと、仁奈は悲鳴じみて謝った。べつにいい、と一月の言葉が聞こえたのか否か、仁奈は慌てふためいてバッグを漁(あさ)り、ハンカチを取りだすと、席を立って向かいに座る一月のほうにやってきた。
 気にすることない。
 気にする。せっかくのイイ男が染みつけてるなんてもったいないから。
 おかしな表現に一月は笑った。
 もったいないってなんだ。安物だ。グレーだし、そう目立たない。
 そういうんじゃなくって、一月は全(まっと)うな人だからあたしが汚しちゃうわけにはいかないの。
 どういう意味だ?
 そういう意味。ボタン外してもいい?
 一月が自分でそうするのを待って、仁奈は上体をかがめた。彼女はハンカチを広げると、シャツの表と裏から挟んで手のひらを叩き合わせる。
 すると、一月の目は必然的と仁奈の胸もとに向く。ブラウスの襟もとからブラジャーが覗き、谷間が見える。まったく無防備だ。そんな苛立ちと、抱きたい、という欲望が交差する。
 経験がないというとおり、男の感情には疎いのだろうか。複雑な心境の一月に気づく素振りはなく、仁奈は一つ一つ、染み取りの応急処置をしていた。
 あとは洗濯で落ちるかな。
 仁奈は見落としがないかチェックしながらつぶやいた。
 仁奈。
 名を呼んで、彼女が顔を上げたとたん、くちびるに喰いついた。びっくり眼と至近距離で目が合う。その無邪気さが滑稽で一月は顔を放して笑った。
 ひどい。ファーストキスなのに。
 仁奈ははじめてなのに恥ずかしがることもなく、むくれた反面、大げさに云えば感動している。そう思ったとおり、次の瞬間には仁奈のくちびるがこれ以上になく弧を描いた。

 一月が住む世界の表と裏の境目に仁奈はいた。
 出会ったのは偶然だ。
 一月は京都で生まれ育ち、大学から上京した。
 二年になったばかりの春、駅構内の雑踏のなか、避けきれずにぶつかった。彼女が手にしていた携帯電話が飛び、たまたま人の足にジャストミートして蹴られたすえ、柱にぶつかって壊れてしまった。
 彼女は怒るかと思いきや反対に笑いだし、こんなに笑うのは久しぶり、と笑顔の似合う顔で云い、弁償はいいから番号教えてくれる? と、その積極性とは裏腹にどこか遠慮がちな、首をかしげるというしぐさに一月は惹かれた。
 同い年だと云った仁奈が実は十七歳だったと知ったのは、動物園に行った一カ月後だった。
 いま目のまえにいる毬亜と同じ歳だ。
 昨夜のこと、そして毬亜のこれからを思い描くと、一月はみぞおちがひんやりするような感触を憶える。
 それを振り払おうと煙草を手に取った。
「吉村さん、それわたしがやる!」
 ちょうど自分が撒(ま)いた染み取りも終わったらしく、毬亜は一月がライターを手にしたとたん、取りあげた。
 煙草を咥えると、毬亜が手をかざしたライターを近づける。
 毬亜は大事な儀式であるかのようにごく真剣な顔をして、一月がひと息吸い、それから吐きだすのを見守っていた。
「クラブでいつもこうやりたいって思ってた」
 毬亜はうれしそうに云う。
 そうして、シンプルなバターを塗っただけの冷えたトーストを美味しそうに頬張った。
 生き延びろ。
 一月は哀哭(あいこく)を呑みこんだ。

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