純愛ジュール◆TRACE-時の鼓動-

幸せの続き


僕の意識はだんだんと薄れていく。

   これで楽になれる。

ふと()ぎった至福感。

けれど、僕はもっと大きな至福の時を知っている。

そう気づいたのに、

意識は薄く、
  薄……く……
    薄……く…………
      う……す……く…………
        う……す…………く……………………。

鼓動も(ゆる)やかに、
  トクン……
    トク……ン…………
      ト……ク…………ン………………トクッ――――。

その瞬間、淡く暖かい光が僕を誘い導く。

けれど、僕の心がそれを拒絶した。

   このまま残しては()けない――。

絶望的な力でそう叫んだとたん、僕の意識は鮮明になった。

そして――――
僕は僕を見下ろしていた。

一瞬、状況が呑み込めなかった。
機械に囲まれただだっ広い部屋を、
(せわ)しく動き回っていた白い従事者たちが足を止める。

そのなかで彼女だけが動き、
静寂に包まれた僕の躰に寄り添って、その首もとに顔を埋めた。
泣き叫ぶこともなく、涙もなく、
ただ僕の体温を逃すまいと彼女は寄り添っている。

   泣いてくれるほうがよかった。

こんな彼女の姿は、彼女の涙よりも苦しい。

叶わなかった恋。遂げられなかった約束。
なにも答えを告げられないまま、彼女を置き去りにし、
道標を(のこ)すこともないまま、僕は魂になった。

(なぐさ)めるために伸ばした手は、彼女に触れることなくすり抜ける。


   また生まれ()ちてもいい。

   “彼女”の至福を叶えられるなら――。
   “幼い彼女”の至福を叶えられるなら――。


叫んだ刹那(せつな)に輝く光と交わした契約は少し哀しい。

だれの声も僕の耳には届かず、だれの目にも僕の姿は映らない。

   それでも僕はきみを幸せにしたい。


彼女は彼女の両親が到着するまでずっと僕の躰を温めていた。
どうにもならないとわかっているのに。
彼女の母親が狂い泣く。

   僕は生まれて来ないほうがよかった?

僕は貴女(あなた)にも哀しみしかもたらしていない。

   僕はどうして生まれてきたんだろう。

ずっと抱えてきた疑問に答えを見出すことはできなかった。
けれど、僕は知った。
僕の周りに築き上げられた揺るぎない至福の時間に、僕はずっと守られていた。

貴女からも、そして彼女――妹からも……

   僕はこんなにも愛され、必要とされている。

   僕は幸せだった。


そして、静寂は僕の躰だけではなく、魂をも包んでいる。

その静寂の中で、僕との別れを(いた)む多くの姿を(なが)めた。
僕の心も痛む。
僕の死はだれの心をも痛めつけた。
気づいてくれることを願わずにはいられない。
僕が生き抜いたということに。
短くても、生きた時間は幸せだったと僕が気づいたということに。
そしてなによりも、僕が未来を信じていたということに。

彼女は(いま)だに涙を見せることなく、(はかな)く立ちすくんでいる。
その彼女を、“彼”が見守っている。
彼女は気づいていない。

   彼になら……彼なら大丈夫。
   いや、彼――しかいない。

そう思ったとたん、突然、僕には見えた。
輝く光が彼女の未来を見せてくれた。

   それが運命なら、僕の生が存在した理由はそこにある。

友人たちによって僕の躰は送り出され、
小雨が静かに(うた)うなか、僕の躰を乗せた車が重厚な門をくぐる。
見送る友人たちの握り締められた手が震えている。

   ここに残ることを選んだ僕は果たしてなにができるのだろう。

そんな痛みを想いながら僕は門の軒下に立ち尽くしていた。

やがて、僕の脇を人々が通り抜けていき、人垣が崩れいていく。

それでも残ったふたりが、長い間そこにいた。

幼い彼女が向こう側の歩道に(うずくま)り、
再び傷を背負わされた“彼”――が僕の横に(たたず)んでいる。

ふいに彼がなにかに突き動かされたように道路を横切っていく。
彼が幼い彼女に触れた。

   それが運命なら、僕がいま、できることは決まっている。

幼い彼女――廻り合った“きみ”との約束を果たすこと。

彼らはその運命に気づくことなく、それぞれの道を歩んでいく。
けれど、またふたりの道は廻り廻って繋がる。


輝く光は、僕に、
彼女と幼いきみの至福を見届けるという恩寵(おんちょう)を与えたのだ。


僕はそっときみに近づいた。
きみ、の名を呼んだ。

きみには聴こえないとわかっていて呟いた。

けれど――――
きみが振り向く。
僕の声が届いたかのように。

きみの視線と僕の視線が(から)み合う。

あり得ないはずなのに、それが事実であることを示すように、
きみの瞳に(こら)えていた涙が(あふ)れる。

「ごめんなさい。あたしが貴方を殺した――」

僕の姿が見え、僕の声が届いたように、きみの声も僕に届いた。

僕はきみの言葉を打ち消すように首を振った。
『約束通り、恋をしよう』
「ずっと、傍にいてくれるの?」

そう云って、いつも冷めきって感情を殺していたきみが泣き出す。

   僕はその涙を(ぬぐ)う手を持っていない。
   僕はきみを抱きしめる腕を持っていない。

けれど、これが奇跡という運命なら、答えをくれたきみに、せめて……。

『泣かないで。もう妹は大丈夫。だから、僕はきみと恋がしたい』

きみが再び、彼と廻り合うまで……。

   僕がきみに約束した、幸せの続きを手に入れる。
   僕が信じていた未来の至福を手に入れる。

輝く光が与えてくれた期限まで――――。

− The End. − Many thanks for reading.


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Material by Heaven's Garden.