■概要■
羽目を外すことが苦手なOL・旭妃綸子(あさひりんこ)
ちょっと羽目を外してみたら流れ星に遭遇
願い事?を唱えてしまったばかりにやってきた王子様は真っ裸の××だった…
快楽に負けたおかしなふたり、OL×異星人?のひと目惚れ?濃厚2日間の現代恋愛ファンタジー
publisher:メディアチューンズ
一.未知との遭遇
まったく、なんてだらしないんだろう。だいたい、できる上司、というのがこの世にいるのだろうか。
事務のわたしにクレームの後始末を押しつけ、肝心の営業マンは逃げまわっている。
胃に穴が空きそう。
電話越しで顔が見えないからって、ユーザーは怒り放題だし、とりあえずひと言でも営業マンがさきに謝罪しておけば、少しは先方の気分も緩和されただろうに。
嫌な週末。
見上げた空は星が瞬いてすっきり晴れているのに、こんな気持ちで家に帰ればどんよりとした空気をお持ち帰りしそうだ。
会社からまっすぐ帰る気にはなれず、家の近くの公園に立ち寄った。夜の十時をすぎ、外灯もろくにない公園は物騒なくらいに暗くてだれもいない。
危機管理の一環として、この際、襲われたときはめいっぱい攻撃してむしゃくしゃを発散しよう、とへんな誓いをたてた。
それくらい苛々しながら、コンビニで調達してきた缶チューハイのプルトップを開けた。
ビールは苦くて飲めないけれど、フルーティなチューハイならいける。お酒には弱いけれど一気飲みしたい気分だ。
一缶くらいならどうってことないかも。
そう思って一大決心をした。これくらいのことに大げさだけれど、普段から超が付属する真面目な――と、自分で言うのもおこがましいが、わたしは羽目を外すことが苦手なのだ。
とりあえずひとくち。
うん、おいしい。暑くも寒くもない六月の気温はチューハイがちょうどいいかもしれない。
一気とまではいかないまでも、いつもの〝ちびちび〟よりは〝ぐいぐい〟と飲んで一缶を空けた。躰がかっと熱くなったのも無視して二缶めを飲み始める。
「なんだか気分よくなってきたかも」
声に出して独りつぶやくと意味もなく可笑しくなって、わたしは緩みきった顔で空を見上げた。
もしかしてわたし、酔っぱらってる?
そう思いながら、またくすくすと笑った。
公園が暗いせいか、夜空の星はいつもより多く見える気がした。
こんなにたくさん星があるんだから、ひとつくらい流れてくれないかな。そして、願い事を叶えてもらおう。
目下のところ、できる上司、希望です。
「って言ってもね……流れ星って、消えるまでに三回願い事を唱えると叶うって言うけど、普通ね、『あ』で終わっちゃうんだよ。つまり絶対叶わないって言ってるようなものだし……」
……。こんなケチをつけたってどうにもならない。
夢は途切れた二十三歳だけど願い事はたくさんある。
だからお願い、お星様。容姿に恵まれず、まったくもって名前負けしているわたし、旭妃綸子に愛をください。
なぁんて……え、あ! 嘘っ、流れ星!
バカバカバカっ!
気づいた瞬間、叫んだのは『バカ』三回。
いきなりの流れ星、いや、流れ星は普通にいきなりだけれど、たったいま流れ星のことを考えていたくせに『バカ』しか言えないわたしって……。
願い事、ちゃんと考えておけばよかった。
わたしは大きくため息をついた。
「でも。バカ、って願い事って……ぷ」
ちょっと気分がいい。流れ星、見られたこと自体ラッキーな気がする。
「帰ろ」
二缶めの残ったチューハイを飲み干してベンチから立ちあがった。
とたん。
ドンッ。
凄まじい地響きと衝撃音に襲われた。
躰を支えられず、よろけて転んだ。
「イタタ……」
四つ這いになった躰を起こして手についた土をはらう。顔を上げたと同時に、その場所を見たわたしは固まった。
は、は、は……。
いや、笑っているわけじゃなくて。
おそるおそるわたしは視線を上げていく。
は、裸の……王子様!? がいた……。
ほんのいままで座っていたベンチはぺちゃんこになり、その横に裸をさらし、しかも堂々と……。
思わず視線をおろしたわたしは〝ソレ〟が目に入るなり、地面に突っ伏した。
夢? っていうか、この年になってもわたしはいまだにソレを見たことがない。想像力、逞しすぎる。
わたしってもしかして相当に〝酔っぱ〟になってる?
「あの……見えてるんですけど」
顔を伏せたまま、いちおう忠告してみた。
……。
反応はない。
やっぱり幻なんだ。よかった。正気に戻ったうちに帰らないと、またとんでもない幻覚を見てしまいそうだ。
それにしても、わたしって――。
「バカ、とはなんだ?」
「……へ?」
ぎょっとしてわたしは顔を上げた。目のまえにはやっぱりソレがあって、今度は躰が拒絶反応を示して後ずさりした。そうしながらおそるおそる視線を上げていく。なぜか不穏な眼差しと、わたしの目がばっちり合ってしまう。
「おまえの願い事だ」
「願い事?」
「おまえ、おれに三回バカって言っただろうが」
バカ、って言った。確かに。でも、おれに、って何?
わたしの頭のなかに〝ハテナ〟が果てしなく流れている。……違う、流れたのはお星様だ……え――?
「も、も、もしかして星の王子様!?」
いちいち王子様とつけるのもおかしい気がするけれど、見た目は間違いなく王子様。
茶色い髪はちょっと長めのざんばら髪で、うなじ辺りは肩まで伸びている。細長い眉に黒い瞳はちょっと鋭すぎるけれど、切れ長で、かといって細くはなく絶妙なバランスだ。鼻は高くもなければ低くもなく、くちびるはアヒル口でもタラコ口でもなく、おせんべいを重ねたみたいに薄っぺらでもなく、つまりちょうどいい。というよりは良すぎる。
って、待って! いま、夜で、この公園は暗かったはず。なんで見えるの?
慌てて周りを見回した。やっぱり夜だ。もう一度、視線を戻した。
……光ってるし。
流れ星の名残? 触ったら熱いんだろうかとどうでもいいことを考えると、タイミングよく――
「くだらぬ」
と一蹴されたが――
「おれが王子様ごときで終わると思うか。せっかくこの星を乗っとろうと思ったのに、おまえが願い事を口にして邪魔をしたんだ」
と、くだらないのは王子様と称したことらしかった。
「へ……乗っとる……とは何事ですか?」
「この星の持ち主は詰まらぬだろう。人間という玩具を作って、挙げ句の果てにその人間に乗っとられようとしている。星の主として情けないとは思わないか」
「……はぁ」
この星、つまり地球の持ち主っていわゆる神様? と、思いながらとりあえず曖昧に同意した。口答えしたらこの王子様はなんだかキレそうだ。
星の王子様ってもっとこう、ふわふわっ、とした感じじゃなかったっけ。
「さっさと願い事を叶えて玩具を片づけてやる。さあ、言え、バカとはどういうことだ?」
玩具を片づける……。王子様のセリフからすればわたしも玩具なわけで、片づけるということは殺しちゃうってこと? しかも乗っとるって、穏やかじゃないじゃないですか!
……ていうか、あり得ない。
裸だし、つまりは露出狂で変人で……せっかくの王子様なのにもったいないけど頭おかしいんだよ、きっと。
もしくは飲みすぎたせいでわたしはきっと夢を見てるんだ。
「じゃ、おやすみなさい」
質問を無視して立ちあがると、口早に声をかけて立ち去った――つもりが、背後から腕が躰ごと引きとめた。
どうやら実態はあることはわかった。光ってるわりに熱くないし。ということはただの変態!?
えっと……襲われたときは攻撃すると誓ったんだった。
でも何、暴れてみたのにびくともしない。助けを呼ぼうにもだれも通らない。それより、あんな大きい音がしたというのに野次馬が現れないってどういうこと? いや、音は幻聴なのか……。
頭が混乱してきた。
「おまえ、このおれが願いを叶えてやろうと言ってるんだ。名誉に思え。さあ、バカとはなんだ?」
頭の上から声が降ってきた。
「つまり……あなたみたいな人のことです」
「なんだ?」
「だから、あなたがバカです。悪いですけどさっきからヘンなこと――」
「なんだ、おれが欲しいのか。うむ、おまえも人間にしては目が高い。しかし、おまえにおれは身に余る」
さえぎられると同時に腕が離れて自由になった。
あなたが自ら言うんですか、と思わず突っこみたくセリフだったが、せっかく機嫌が麗しくなったところで水を差したくもない。ここで、ささっ、と退散するのみ。
「そのとおりですね。そのお顔を拝見させていただいただけでわたしは充分です。それでは」
「待て。せっかくだ。少しくらいおれの時間をやろう」
勘違い王子様はご満悦モード。
「いえ、滅相もない。お言葉だけで……」
わたしは慌てて手を振り首を振りして、深々と頭を下げると身をひるがえして駆けだした。
やっぱり酔っぱらうのはよくない! 幻聴に幻影。ストレスのせいか欲求不満まで。
〝アレ〟は本当にアレだったんだろうか……――……もういい。
わたしはその思考を中断した。
明日とあさってはちょうど休みだし、ゆっくり眠ってストレス解消しなくちゃ。
公園から歩いて八分、走って五分という三階建てのアパートにたどり着いた。
三階の隅にある自分の部屋まで駆けあがり、鍵を取りだそうとしてはたと気づいた。手に何も持っていない。
「……どうしよう……」
「これか?」
突然、目のまえにわたしのバッグが差しだされた。
「あ、どうもありがとうござ……え?」
お、王子様……。
「玩具と言えどもおまえの殊勝な態度が気に入った。少しと言わず、しばらくおれの時間をやろう」
恩着せがましく押しつけられて目眩いがした。
お酒を飲んだ直後に走ったせいでよけいに酔いがまわったのかもしれない。動悸が激しくなったと思ったとたん、わたしの意識は途絶えた。
もしも願いが叶うなら。
バカ三回、なかったことにしてください。
二.王子様は興味津々
なんだか背中が温かい。ぼんやりと意識を浮上させながらそう思った。でも、なんとなくすかすかした感じ。この落差はなんだろう……。
疑問に思ったとたん、ハッと目が覚める。慌てて起きあがろうとしたわたしは、躰にのっかっている重りに邪魔された。
まさか、まさか、まさか!
「起きたか」
尊大な声が背後から聞こえた。
間違いなく、王子様の声。
夢じゃなかったんだ……じゃなくて、いまもきっと夢のなか。このわたしが見知らぬ男の人とベッドインなんてあり得ない。
信じたくない気持ちが考えを変えた。
ベッドの横の出窓はカーテンが開いていて青空が見えるけれど、休日の寝坊は充電の一部だ。
ついでにもう少し眠ろう。ちょっとあったかくて気持ちいいし。せっかくだから……。
「おやすみなさい」
なんとなく声をかけて目を閉じた。が、王子様はやっぱりいた。
あっんっ!
おなかから這いあがった手に不意打ちで胸をつかまれた。そのとき、すかすかした理由がわかった。わたしは丸裸で王子様の躰にくるまれていた。
王子様の手は感触を確かめるように閉じたり緩めたりを交互に繰り返す。それだけの行為でもわたしにとっては衝撃的で、声が漏れ、はじめての感覚に身を縮めた。
「やっ……ちょっと……あんっ……待って!」
制止しても答える声はなく、手のひらはさらに妖しくなって上半身をくまなく這いだした。
そのうち、わたしのお尻に硬いものが触れる。これってもしかして……。
「あっ……う……やだっ……」
王子様の手は胸から下って脚の間に入りこみ、わたしは跳ねるようにふるえた。
「人間の肉というのはやわらかいものだな。あいつも精巧な玩具を作ったものだ。なかなか具合がいい」
淡々とした声が感想を述べた。
あいつ、ってだれ?
そう疑問に思う余裕はつかの間、わたしは王子様の肌を堪能するどころじゃない。探るように動く手先から意識が離れない。
ろくに知りもしない相手なのに、嫌悪どころか触られることが気持ちいいだなんて。
言語道断、と認めることを拒むけれど、脚の間を弄る手はやむことなく、躰の下からまわりこんでいる手が胸を包んでわたしを混乱させた。
わたしにはこういう技巧がどうのこうのなんてまったくわからない。
それなりに、興味はあって自分でやったことはある。気持ちいいけど、それが普通のことかもわからずに、ましてやだれかに訊けるほどフランクじゃなく、なんとなく独りでそうすることに罪悪感を覚えて、羽目を外すことが苦手なわたしはやがてやめた。
いいなとか好きだなと思う人はいたけれど、不相応にもどこかしっくりくる相手がいなくて、いまだにとことん好きになった人はいない。よって、男の人と付き合ったこともなければ、こんな親密な触れ合いなんて以ての外だ。
嫌悪感がなければ成り行きでいいかというオープンさはないし、カチンコチンのわたしの思考回路ではまず気持ち的に無理だ。
それなのに、どうしていまは触られることがこんなに気持ちいいんだろう。
そう認めてしまったとたん、思考力はだんだんと単純になっていった。王子様の手はなめらかに動いて、休まず躰を撫でまわす。わたしは理性の片隅でそこへ昂ることに抵抗した。
「波の音がしてるぞ」
王子様は不思議そうに言い、指先がますます波の音をそそる。
波の音はわたしの耳にも入ってくる。明らかにわたしが勝手に出している音で、恥ずかしさにかっと頬が火照ったけれど、王子様の奔放さはそれを気にする段じゃなくさせる。
「や……待ってっ……だめっ」
「だめとはなんだ。おまえは命令する立場にない」
そう言った王子様は、怒ったように指の腹でやわらかい肉を掻いた。わたしの躰がびくんと跳ねた。
「あっ……ん……やめ……てっ」
逃れようとくねらせた躰を、王子様はさらに引き寄せて縛る。
頑丈な腕のなかで躰のふるえが止まらなくなった。伴って声を抑えることが難しくなっていく。小さく躰が跳ねるたびにお尻に当たる、王子様のソレもぴくぴくとふるえていた。
感覚に抗えなくて、セーヴもきかなくなってわたしの躰はぴんと突っ張った。無限の感覚に浸かり、そこから這いあがったと同時に躰が激しく痙攣し始める。
ぅくっ……あぁ、あっ!
我慢できずに声を放ったわたしは、薄らとした意識のなかで王子様の呻き声を聞いた。それとどっちが早かったのか、お尻が温かく濡れる。
息が整う間、王子様の躰は離れることなく、攻撃の意思は消えているけれど、手のひらは余韻を楽しむかのようにわたしの躰をさする。
やがて、わたしは大きく深呼吸をした。吐きだした息はまだかすかにふるえている。王子様の呼吸も正常に戻って、ようやくわたしは解放された。
「気分はよかったが、これはなんだ?」
王子様は起きあがると、わたしのお尻に放出した自分の体液を手で拭った。うつ伏せになって顔を横に向けると、王子様はその手のひらについた粘液を不思議そうに見ている。
なんだ? って……。
普通に健全に見える王子様は、至って反応も健全だと思うけれど……変態でも頭がおかしいわけでもなく、もしかして本当に人間じゃなくて星の王子様なのだろうか。
それとも記憶喪失? ……にしては態度が尊大すぎる。もしそうなら、普通は心細くておどおどしている気がする。それに記憶喪失だからといって、母国語を忘れるわけじゃないように、大の大人が命のもとをさして、なんだ? と問うはずはない。
とにかくその様子は、恥ずかしすぎる場面をどう対処していいのか戸惑っていたわたしをちょっとらくにさせた。
「なんだ?」
「え……、なんだと訊かれても……精液というものでしょうか」
ためらったすえ、わたしは生真面目に答えた。
こういう親密さに至ったというのに丁寧語で喋るのもおかしい気がしたけれど、王子様の扱いは気をつけたほうが無難だ。
「精液とはなんだ?」
「え……」
答えを追求されると、ふと、このまえ会社にやってきた社長の子供を思い浮かべた。
勤める会社は広告代理店の下請けが主な仕事というしがない会社で、社長は横暴ではなくても公私混同の嫌いがある。一週間まえ、家族で食事だとかいって奥さんと孫が夕方の早いうちから会社に訪れていた。
そのとき、その三歳の男の子にやたらと付き纏われたのだ。
王子様がひょっとして人間じゃないなら、いや単なる外国人だとしても、なんでも訊きたがった社長の子供みたいに、次から次へ『これなあに』と問いかけられるのではないだろうかと不安になった。
こういうときは。
「あの、王子様」
「おれは王子様じゃない」
「あ、王子様では足りないんでしたね。名前を教えてくだされば――」
「名前? そんなものはない。おれはおれだ」
「俺、様……ですか」
「そうだ」
「あの、差し出がましいんですが、俺様では人聞きが悪いので、この際、命名されませんか」
「そんなものは必要ない」
にべもなく提案は突き返された。
じゃあ、なんと呼ぼう。途方にくれつつ、わたしはあきらめてため息をついた。
「えっと、とりあえず、わたしはお尻を拭きたいんですけど、テーブルの上のティッシュを取っていただけませんか」
「ティッシュ?」
「ええ、ふわふわの紙です」
比喩して指差すと、王子様は素直に取って差しだした。
一枚取りだしてうつ伏せのまま王子様が放ったモノを拭いていると、不自由な姿勢を見兼ねたのか、王子様は自分もティッシュを取ってわたしのお尻をきれいにした。
「ありがとうございます」
起きあがってお礼を言うと、王子様はまだベッドに置いたティッシュを取りだそうとしている。どうやら親切心ではなくて、次から次に出てくるこのティッシュに興味あるらしい。これじゃ、やっぱり子供だ。
わたしはタオルケットを躰に巻きつけて、ワンルームに置いたチェストからバスタオルを取りだした。
「男物の服ってなくて、とりあえずはこれ使ってください」
「このままでは不服か?」
王子様は仁王立ちになって、睨むように目を細くした。
あらためて明るいところで見ると、王子様の裸体は風貌と同様、きれいで引き締まっている。王子様という表現から受ける印象からすれば、がっしりしすぎかもしれない。
ソレもまたその躰つきに釣り合っていて、眺めるぶんには見惚れるくらいに文句のつけようがない。ただし、もう何度か見てしまったとはいえ、やっぱり目のやり場に困る。つい目が行ってしまうのだ。
「いえ、そういうことではなくて……もったいないので」
「うむ。わかった。どうやればいい?」
付け加えた言葉で王子様はご満悦に入った。
「あ、巻いておけば大丈夫です」
と言ったものの、王子様はバスタオルを落としたり、巻きつけ方が緩かったりと不器用で、結局はわたしがすることになった。躰に触れることになって、いまさらでもちょっとどきどきする。
「できました。寒くないですか」
そう言って一歩下がり、眺めた王子様の恰好は凛々しい。
「寒い、とはなんだ?」
「あー、えっと……躰がふるえたり、もっとこういうのを羽織りたいとか」
わたしは躰に巻きつけたタオルケットを摘んでみせ、ジェスチャーを交えて示した。
「反対に脱ぎたいくらいなら暑いって言うんですけど」
「それなら寒くはない。おれがいた宇宙の温度はもっと寒いぞ」
「……そうですか」
ほかに答えようがなく、わたしは一抹の不安を覚える。
王子様、しばらく時間をやるって言ったけれど、そのしばらくの時間、どうやって生活していくのだろう。
面倒を見るのってわたし?
どこまで知識があるのか、少なくとも常識を知らないのは歴然で、子供だって育てたことがないのに、ましてやこの尊大な王子様に一から教えるなんて絶対無理。
「ところで、字は読めますか? どこの国の言葉でもいいんですけど」
試しに訊いてみた。
「人間の符号か? 不自由だな」
読めるともなんとも言わずに王子様は顔をしかめた。
わたしはテーブルに置いていたノートパソコンを開けて起動させた。知識ならネットから得るのがいちばん手っとり早い。無表情な王子様に座椅子を勧めた。立ちあがったパソコンを操作してネットに繋ぐと、王子様のまえに画面を向けた。
「このなか、いろんな情報入ってますのでさっきの精液とか、疑問に思うことは調べてみてください。操作はですね――」
「操作などいらん」
わたしをさえぎった王子様は、パソコン画面に目を向けた。その一瞬後、わたしは唖然とした。サブリミナル刺激すれすれなくらい、画面が目まぐるしくコマ送りを始めている。半信半疑だったけれど、パソコンが壊れたのではないかぎり、それは王子様がただの人間じゃないという裏づけだ。
画面の移り変わりに目が痛くなり、王子様を放りだしてキッチンへ行った。部屋を出るまえに見た時計は、十時をとっくにすぎている。どれくらい悪戯されていたのだろう。
長く快楽に浸かっていなかったせいなのか、さっきは思いきり感じてしまった。
自分の手と他人の手ってあんなに感覚が違うものなんだ……。
自分の痴態を思いだして恥ずかしくなり、わたしはキッチンの流し台に突っ伏した。
はぁ。
ひとつため息をつくとおなかもすいてきて、王子様のぶんまで二枚の食パンをオーブントースターに入れた。コーヒーメーカーをセットしたあと、これからどうするべきかを考える。
わたしはとんでもない願い事をしたらしい。ここはとりあえず、願い事は叶いました、ということで帰ってもらうしかない。
けれど、乗っとるとかいう危ないことを言っていた。
王子様、解放したらどうするんだろう。
つまりは、わたし、どうする? ということになるわけで。
しばらく時間をやる、と言う王子様の〝しばらく〟という時間感覚もよくわからない。だって、人同士にしたって、しばらくが五分の人もいれば一週間の人もいる。
結論を出せないまま、トースターができあがりを知らせた。
焼きたてのトースト二枚ともにバターを塗った。もしかしたら食べ方がわからないとか言って、どうせわたしがやる羽目になるだろう。
トレイにトーストとコーヒーをのせて持っていくと、王子様はまだネットに没頭していた。
「おなか、すいてませんか。週末で食料品ゼロに近いので、これくらいしか用意できないんですけど」
「おなかがすくとはどういうことだ?」
王子様がトーストに目をやると、妙に腹筋割れしているおなかからぐうっと音がした。
わたしが教えるまでもなく本能が答えた。小さく笑うと、王子様は何か言いたげに目を細める。
「きっと、いまならなんでも食べると美味しいと思います」
「食べる?」
「はい」
「食べられたいか?」
「はい?」
「うむ。わかった。どんなものか、おれも食べてみたいと思っていた」
どういうことかと訊き返したはずのわたしの『はい』は、了解の『はい』に聞こえたようで、王子様はそう答えるなり、膝立ちしていたわたしを引き寄せた。
「え!?」
バランスが悪くなり、わたしは自分から待ち受けた腕のなかに入った。重量がないかのようにひょいと抱えられ、すぐ後ろのベッドに寝かせられた。
「な、ななな、なんですか!?」
「ある程度、この国の言語は特定把握できた。食べる、というのはさっきのような行為のことを言うらしいな」
……王子様、ネットで何を見ていたのかしら。
「い、いえ! そうではなくて、口から食料品というものを入れることを食べると言うんです!」
「おれにとって人間は食料品にならなくもない。人間の符号もなかなか賢く使われているようだ」
「へ……?」
呆けたわたしの返事は無視され、ぐるぐるに巻きつけていたタオルケットは、〝お代官さまぁー〟なんて悲鳴が聞こえてきそうなくらい、まるで昔の時代劇さながらに転がされて剥ぎとられた。
乗っとるとはつまり、人間を食べる、ことだったんだろうか……って最初の犠牲者ってわたし!?
「わ、わたしはけっして美味しいものではありませんが!」
「この場合、食料品にするつもりはない。ただの比喩だ。まずはさっきの気分を味わいたい」
……この王子様は人類の快楽が気に入ったらしい。
食べられなくてすむ。ただし、当面は。
でも待って。わたしってヴァージンだし、はじめての相手が王子様って!
いや、普通の王子様ならともかく、この場合、王子様は王子様でも言いかえれば……言いかえなくても地球外宇宙人。だって、これが本当の姿とは限らないわけで。もし実体が火星人みたいなタコまがいだったら……やだ。
「王子様っ。ちょっとお待ちを!」
「王子様とはだれのことだ? 却下だ」
惚けたふりをして無下に言い放ち、王子様は躰の上に跨ってわたしの頬を手でくるんだ。
きれいな顔でつぶさに見つめられると、普通なわたしは気後れして思わず目を閉じた。
王子様の手が額に上がり、髪を撫で、また頬に戻る。親指が動いてわたしのくちびるに触れた。
「おまえの皮膚は……なめらか、だな。吸いつくようで触れ具合がいい。おれの感覚にしっくりくる」
王子様は学んだことから引っ張りだしているのだろうか、言葉を選ぶように慎重な様で口にした。そうすることで、お世辞ではなく心底から出た言葉のように思えた。
いまだかつてこういう類の称賛をもらったことはない。
不細工とまで言われたことはないけれど、美人だと言われたこともない。奥二重の目はそれなりに大きいけれど、ほとんど一重だと思われている。可愛い目じゃない。鼻は普通。くちびるも普通。地味寄りの顔を唯一華やかにしようと努力しているのは肩下までの波打つ髪くらい。
そういうわたしをいい気分にしてくれるって、王子様にしては紳士だ。
だって、物語に出てくる王子様が好きになるのは大抵きれいな子。
白雪姫は美人なお妃様の逆鱗に触れるほどきれいだった。眠れる森の美女は、文字どおり美女。美女と野獣もそうだ。
シンデレラは美人かどうかよく憶えていないけれど、靴で好きな子探しをするような王子様なんていらない。
人魚姫なんて最悪。王子様、自分を助けてくれた女の子を間違ってるし。
かえるの王子様は何、約束破られて、挙げ句の果てに壁に叩きつけられたのにその王女様とくっついちゃうって、どう読んでも虐げられるのが好きなただのマゾ。
王子様って全然カッコよくない。
どこかの星からやってきたこの王子様はどうなんだろう……って考えるまでもなく、やっぱり理想の王子様じゃない。何よりも第一条件の――条件に入れないといけないというのがそもそもおかしく、とにかく、人間、じゃない。
けれど、その手が触れているのは顔だけなのに、褒め言葉と同じように気分がよくて、なんだかうっとりした。行為に至る根本を勘違いしそうなくらいに顔を触れまわる手は、王子様の言葉を借りるなら、しっくりくる。
.....試読end.