ミスターパーフェクトは恋に無力

第2部 Mr.パーフェクトは恋に無力
第2章 従兄妹以上恋人未満

5.続き

 業平商事の創業者一族である加藤家のテーブルを訪ねていくと、千雪を連れだす口実だったかと思いきや、加藤会長はうれしそうにして千雪の近況を聞きたがった。滋のように威厳という言葉が似合った人ではあるが、表裏を感じさせない。
 旧姓で通している理由は云わずとも承知されているのだろう、同じビルにいても呼びだすこともできない、と愚痴をこぼされた。千雪は加納家に来てはいけなかった――そんなことを教えられたあとだけに、まったく歓迎されていないわけではないのだと保証をもらった気になる。
 建留の帰国という話題もあってずいぶんと話しこんでしまったが、お色直しのアナウンスがあったのを機会にして加藤家のテーブルを離れた。
 絵奈が席を立って会場をあとにする。

「千雪」
 席に戻る途中で立ち止まって絵奈を見送っていると、建留がつぶやくように呼んだ。
「何?」
 すぐ隣に立つ建留を見上げると、絵奈を追っていた目が千雪に移った。
「おれたちが今日の貴大たちみたいに披露宴をしなかったのは、“四年後”があったからじゃないんだ。それは信じてほしい」
「……不満を持ったことないけど」
 ひっそりとでも、千雪にはあの結婚式以上のものはない。しばらく、その想い出さえもはね除けようとしていたけれど、建留が日本からいなくなると、記憶から消し去りたくはなくなった。
 千雪の淡々とした返事に、建留は薄く笑う。
「ほかにも信じてほしいことがある」
 それが何か教えるつもりはないらしく、建留は、戻ろう、と千雪を席まで連れていった。

 千雪たちの丸テーブルは、社員食堂組三カップルが不在で、建留と旭人は立ち去ることなく空いた席に座った。
 千雪が栞里と沙弓の間におさまると、ふたりとも何か云いたそうな目を向けてきた。彼女たちが気にしていることは明らかだ。建留が帰ってきて、すでに会ったことは式が始まるまえに告げている。千雪と建留がそろっていることに戸惑っているかもしれないが、気まずくしているようには見えなかった。
 美耶たち女性三人は絵奈のところへ行ったらしく、金城たち男性三人は、絵奈がいなくてさみしいだろう、と貴大をからかいに行ったという。
「グループ交際ってあんなに仲良くなれるもの?」
「家族みたいにしてるよね」
 栞里は呆れているのか感心しているのか、千雪はメインテーブルに目をやりながら賛同した。
 美耶には、千雪と同じように男性に対してかまえたところがあったから、最初にグループ交際をしていると聞いたときは驚いた。けれど、逆に一対一ではなく、そんなふうに始まったからよかったのかもしれない。金城さんと美耶はだれが見ても美男美女のカップルで、けれど、ふたりともが出しゃばるタイプではなくて落ち着いた雰囲気がある。お似合いだ。
 不思議なのは、好きという気持ちが一対三とか、そんなふうに偏らず、四カップルがしっくりおさまっていることだろう。
「業平商事は社内恋愛にうるさくないからオープンにしてるし、仲村くんたちは名物化してるわね」
「というより、推進してるんだろ。加藤会長夫妻も、加藤社長夫妻も社内恋愛のすえの結婚だって聞いてる」
「初代も“糟糠(そうこう)の妻”だったからな」
「糟糠の妻って?」
 上戸に続いて旭人が云うと、千雪は首をかしげた。
「貧しいときから苦労をともにしてるってことだ」
 そう聞くと、千雪も思い当たる。
 “社員は家族”――それが業平グループの創業者、加藤業平(なりひら)の口癖だったという。そんなイデオロギーが引き継がれてきて、だから、美耶たちのグループがそう見えるのも不思議ではないのかもしれない。
「結局は、四代めの仲村も社内恋愛から結婚だし、着実に創業者一族はモットーを有言実行してる」
「上戸、そういうおまえも、ある意味、身内婚だろう。向こうで聞いたときは驚いた。悪かったな、式に出られなくて」
「おれにとっても急だったんだ。おまえの事情はわかってる」
 上戸は建留と同じ頃に日本から離れ、中国に行って、半年まえ――三月の終わりに帰ってきたばかりだ。沙弓の云うとおり、千雪の知る範囲で、上戸は女っ気は少しも感じられなかったから六月に結婚という話を聞いたときは驚くばかりだった。
「ほんと、急! 中国から帰ってきたと思ったら、本部長の娘さんと結婚するって噂が立って、あっという間に結婚しちゃったよね。上戸くんて、女より仕事って感じだったけど、千雪ちゃん、意外に愛妻家っていう話なの。グループ交際のこともあるし、商事はエリート族が一度にいなくなったって女子たちには大打撃になってるんだよ。後輩たちが、どういうことですか!? ってわたしに詰め寄ってくるんだから、いい迷惑。同期にこういう男たちは持たないほうがいいわ」
 沙弓はわざと上戸を睨みつけたが、そうは云いつつ、彼女は同期の男性と結婚をしている。つまり、沙弓も例に漏れず社内結婚をした。まだ千雪たちが離婚するまえに結婚して、いまは一児の母だ。一年まえ、育児休暇から復帰している。
 上戸は苦笑しながら口を開いた。
「おれはべつに、女と仕事、どっちを選ぶかって天秤(てんびん)にかけたことも、そうしてるつもりもない。仕事のほうがラクだってことは認めるけど」
「どういう意味よ?」
「肝心なことに男は弱いって話だ」
 上戸はなぜか千雪を見て云い、それから「少なくとも加納にはわかるはずだ。だろ?」と建留に向かった。
 建留に目をやると、ちょうど建留も上戸から千雪へと視線を転じてくる。建留は、秒針の傾きがはっきり方向を変えるくらいの間、千雪に目を留めたあと、上戸に向き直って揶揄した笑みを浮かべた。
「おまえがそうだとは思わなかった。貴大たちからいろいろ聞いた話を咬み合わせるなら……正確に云えば、おまえにとって結婚したのは急でも結婚という話自体は急じゃなかったってことだ」
 建留は上戸に矛先を向け、うまくかわした。
「どういうことよ?」
「だから、上戸は本部長から頼まれて奥さんと結婚したわけじゃないってことだろう」
 建留の発言を受けて、栞里がテーブルに身を乗りだす。
「わぁ。あっちもこっちもラヴが溢れてるって感じ。不動産もいい男が多いし、わたしも社内恋愛がんばっちゃお」
「そのまえに仕事で一人前になるべきだな」
 血気に逸(はや)りそうな栞里だったが、即座に旭人がその出端(ではな)を折った。不満たらたらでも、いまだに旭人がどういう人かわからないという栞里は反撃しなかった。
 忍び笑いがはびこるなか――
「上戸、商事の四代めって、どうなんだ?」
 建留はわずかに首をひねって話題を変えた。
「その質問、どういう意味にとっていいんだ?」
「中国で事業拡張の成果を上げたからって、上戸の年で課長代理になることは、商事ではそうあるもんじゃない。おまえは貴大にとって最大のライバルだろう」
「加納、おまえは仲村の支持者だろ。わざわざおれを焚(た)きつけてどうするんだ?」
「そのつもりがあるのか? ないのか?」
「対立はしない。けど。遠慮はしない」
 煽り立てた建留に対して、ふっと息をつきながら上戸は静かに応じた。
「おれは中立だ。実力だと思ってる」
 建留が放つと、上戸は首を振りながら笑った。
「相変わらず、公明正大なパーフェクターだ」
「それを、ずるい、と思う奴もいるだろうけどな」
 建留はそう云ったあと、千雪へと目を向けてきた。
 ずっとまえに、旭人と建留がずるいという話をしたことがある。千雪は思わず旭人を見やった。皮肉っぽい笑みが返ってくる。

「おれは」
 建留の声に注意を引かれ、千雪は目を戻した。
「不動産を小泉家から剥奪(はくだつ)する」
 その言葉には強い意志が見えた。
「それって期待していいってことかしら。さっき瑠依さんたちと何があったのか、声は聞こえなかったからわからないけど、建留にふさわしいのは千雪ちゃんのほうよ。従兄妹同士で終わる気じゃないわよね」
 沙弓は思いのほかきつい口調だ。沙弓はずっと千雪のことを気にかけている。だから、千雪は慌てつつも気が引けて沙弓の腕をつかんだ。
「沙弓さん」
「千雪ちゃん、こう云うと千雪ちゃんが傷つくってこともわかって――」
「沙弓さん、わたしが決めたこと――」
「千雪」
 沙弓をさえぎった千雪をさらに建留がさえぎった。
「やり直す気はない。おれが望むのは、続き、だ」

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