ミスターパーフェクトは恋に無力
第2部 Mr.パーフェクトは恋に無力
第2章 従兄妹以上恋人未満
4.いとこ同士
十一時から結婚式が始まり、その後の披露パーティはグレイシャスホテル最大のバンケットルームで催された。
メインテーブルに、主役のふたりと、媒酌人である業平商事の現社長加藤業仁(かとうなりひと)夫妻、その正面に主賓たちが座る長テーブル、それを丸テーブルが囲む形で配置されている。舞踏会がありそうなクラシックな仕様で、ゴージャスさと優美さを兼ね備えている。その雰囲気に違(たが)わず、総勢四百名というパーティは、業平グループをはじめとして有名企業から代表らの出席という、まったくの豪華絢爛(ごうかけんらん)ぶりだ。
千雪は、業平商事の、美耶を含めた社員食堂組の三カップルと建留の友人でもある上戸匠(うえとたくみ)、恩田(おんだ)沙弓、そして栞里と十人で丸テーブルを囲んでいる。気心の知れた相手ばかりで、思いのほか披露宴を楽しめている。
パーティが始まってから優に一時間を超え、歓談するさざめきが満ちて堅苦しい気配は消えた。メインテーブルにいる貴大は悠然としているが、それとは対照的なほど絵奈の緊張は見て取れた。それでも、彼女持ち前の笑顔が、二十二歳という若さと相まって緊張した姿もキュートに見せているから得だ。
どうだったかと気にして不安にしているだろうし、あとで絵奈にはそう伝えようと千雪は思った。
千雪には笑顔なんていう武器はなく、動揺すればするほどドールのごとく表情は動かなくなってしまって、人付き合いに関しては役に立つものを何も持っていない。そのうえ、人と積極的に係わろうとしない。
だから社交事も旭人を頼るつもりだったのに。
「千雪ちゃん、一緒にまわりましょ」
と、なぜか瑠依が千雪を誘いにきた。その口調は強引だ。
なぜか、という理由は漠然とは察している。
控え室では、建留が千雪の立場を守ってくれたけれど、それを瑠依が気に喰わなかったことは顔に表れていなくても察せられて、そのうえ――
『建留、今日はエスコートしてくれるのよね? いい機会だと――』
『おれが瑠依と一緒にいると、よけいな憶測が立つ。貴大たちの邪魔をする気はない。わかるだろう』
そんな会話がなされ、瑠依の機嫌を損ねたことは、立ち会っただれもが認めるところだ。
そのことに対する復讐なのか。建留と旭人が、小泉社長を中心に不動産グループの社長たちと談話しているのを見計らったように瑠依はやってきた。
これで建留か旭人が話を切りあげて来ようものなら、それこそ、ちょっとした醜聞(スキャンダル)になりかねない。千雪としても、瑠依がわざわざやってきて腕まで取られると、断るというような、彼女の顔を潰すわけにもいかなかった。
何か云いたそうに、ともすれば引きとめようとする栞里たちを視線で制した。それから、メインテーブル近くをちらりと見やると、建留は気づいていて目と目が合う。千雪は、来ないで、大丈夫だから、という意を込めてかすかにうなずいた。
恥を掻かせられることは経験済みで、もしそういうことがあったら、慣れないにしても高校生のときみたいに逃げださない。未熟さとか無知さとか、素直に認めてかわせばいいのだ。千雪はそう俄(にわか)作りで自分に叩きこんだ。
渋々(しぶしぶ)と瑠依に付き合えば、彼女の社交力には到底かなわないことを――比べることすら間違っていると千雪は思い知らされる。幼い頃から社交デビューしているせいだろう、業平外部の人を含め、ほとんどの出席者と顔見知り以上に親しげだ。瑠依は一人一人の特徴をつかんで話題を選んでいる。
そのなか、千雪と建留の結婚を知らない人は、瑠依の紹介によって千雪が加納家の人間だと知ると、ふたりで行動していることから加納家と小泉家は懇意にしているのだというふうに単純に好印象を抱く。
けれど、知っている人のなかには、社交辞令の表情の下で困惑を浮かべる人もいる。
巡回し始めてまもなく、千雪と瑠依が一緒にいることも充分に好奇の対象に、延(ひ)いては醜聞になる可能性もあるのだと気づいた。
「ようやく茅乃さんの心痛もほどけたと思っていたんだが。肝心のきみたちがうまくいかなかったとは残念だ」
思いがけず、千雪へと直截(ちょくさい)な言葉を発したのは、滋と同期という業平不動産サービスの西崎(にしざき)会長だった。
なんと応じるべきか、とっさには言葉が返せない。
「西崎会長、酔っていらっしゃいます? すんだことを蒸し返すなんて、前進あるのみでサービス事業を成功させた会長らしくない気がしますけど」
瑠依がからかった様で口を挟んだことは助かったけれど、『すんだこと』だと強調されたように感じた。
西崎会長はふと考えこみ、それから「ああ」と何か気に留めたふうに表情を固着させ、それからすぐさま、自戒するように首を横に振った。
「すまないね。酔っぱらっていたようだ」
「あ……いえ、従兄妹であることに変わりはないので、これまでどおりに接していただければほっとします」
今度は千雪が、何か喋りだしそうだった瑠依の先を越した。
「もちろんだよ。口が滑ったことは加納会長には内密に」
西崎会長はおどけて云いながらも、どこか本気でそう頼んでいることが感じとれた。
なんだろう。酔ったすえとはいえ、西崎会長の云い分はどこか奇妙だった。
茅乃の心痛と、千雪と建留の結婚が結びついているような云い方で、しかも、『肝心の』という言葉が、離婚は茅乃をがっかりさせたと云わんばかりだ。
事実はまったく逆なのに。
時間がたつにつれ、茅乃は千雪を痛めつけるために結婚を認めていたんじゃないかと思うようになった。そんな茅乃に、ふたりが離婚したことで清々したという気配はあっても、残念だという気持ちは微塵も見いだせない。
そもそも、茅乃の心痛とはなんだろう。麻耶と繋がっているらしいのは、やはり『肝心の』という言葉があるからだ。
「千雪ちゃんがいるかぎり、業平不動産のご法度(はっと)が解除されることはなくなったわね」
西崎会長のもとを離れると、瑠依がつぶやいた。実際は、千雪に聞こえるように云ったに違いなく。
「ご法度?」
その言葉に飛びついて問い返すと、じっとこっちを窺っていた瑠依のくちびるは小気味よさそうな弧を描いた。千雪は予想どおりの反応をしたらしい。
「千雪ちゃんは加納家に来ちゃいけなかった、ってこと。おばあさまを見てきたんだからいまはわかるでしょう? でも来てしまった。せめて、いまみたいに“須藤”を名乗ってひっそりやっていくことね。わたしからのアドバイス」
加納家とは係わりたくて係わったわけじゃないのに。
千雪にとってはまるっきり理不尽だった。
どういうこと? その質問は呑みこんだ。きっとまた瑠依をおもしろがらせるだけだろう。
「出しゃばるつもりはないから」
「本当にそうしてくれたら、心置きなく建留もわたしとの話を進められるんだけど。建留の責任感の強さには参るわ。千雪ちゃん、カレでもつくったら? そしたら、建留もそのカレにバトンタッチできてほっとするんじゃないかしら」
瑠依の眼差しが千雪の背後に向いたかと思うと。
「じゃあ、おれ、第一候補だ」
史也の声がした。
ぱっと振り向くと、千雪は少しよろけて脇を通る人とぶつかりそうになった。
「おっと」
史也が腕をつかんだ。
とたん、千雪の躰が萎縮(いしゅく)した。片腕はつかまれたまま胸のまえに両腕を引き寄せ、肩をすくめて躰を縮こめる。
「千雪ちゃ――」
「手を離せ」
建留のぞんざいな声がしたのと同時に、史也の手は離れていった。
「千雪」
建留が問うようなイントネーションで千雪を呼ぶ。つかまれた感触がまだ残っていてすぐには応えられなかった。
伏せがちにした顔を上げていくと、視界に手が入ってくる。その手は違えることなく、建留のものだと判別できた。手は千雪に触れる寸前、少しためらったようにぶれ、それから右腕に添えるようにしながら撫でて離れていった。
「なんでもない」
建留と目が合うと千雪はつぶやいた。建留は、実際はそうしなかったが、うなずくような気配を見せてから史也に向き直った。
「肩を脱臼(だっきゅう)したことがある。むやみに千雪に触らないでくれ」
建留は正当な理由を述べたが、円満に終わらせるつもりがあるのかないのか疑問に思うほど素っ気ない。
史也ではなく瑠依のほうが不満そうに首を傾けた。
「建留、史也は支えようとしただけよ」
「そのこと自体には礼を云うべきなんだろうな。けど、さっきの程度なら千雪は自分で対処できる。不必要な手助けのほうがよっぽど痛い目に遭わせることになる」
「だったら、建留もほっといたら? 千雪ちゃん、なんでもないって云ったし、お礼は千雪ちゃんが云うことであって建留が云うことじゃないと思うけど。建留が口を出しちゃうと、できるカレもできないじゃない?」
「それくらいで千雪に寄りつかなくなるような男は、もとからふさわしくない」
建留はぴしゃりと瑠依の云い分を封じた。
瑠依は目を細めて建留を見つめ、それから千雪へと移った視線はのどもとを伝い、右肩に沿ったあとすっと建留に戻った。何事か、瑠依がもの云いたげにしたなか――
「瑠依さん、従弟が空いたみたいだから千雪がいなくても大丈夫だろ」
旭人が口を挟んで、瑠依の機先(きせん)を制した。いつの間に来たのか、それとも最初からいて、建留の影になって千雪の位置から見えなかっただけなのか、旭人は強引に続けた。
「おれたちも従兄妹同士で動く。千雪、行こう。加藤会長が千雪に会いたいって云ってる。兄さん」
「ああ」
建留は旭人の諌(いさ)めた云い方にため息混じりで相づちを打つと、すぐさま千雪の背中を押しながら会場の後ろのほうへと向かい始めた。
「建留」
「三人で行動するんだったら何もおかしくない」
瑠依たちから遠ざかったところで足を止めると、建留は合わせて立ち止まり、千雪の懸念(けねん)に正確に答えた。
「まったくむちゃだな。公の場でこっぴどく瑠依さんをやりこめるかと思った」
旭人は呆れたように首を振る。
「そこまで浅はかなつもりはない。主張と警告をしたまでだ」
「瑠依さんはあざとい。兄さんのそういうところも計算して、やっかいな種をばらまいてる。社長の娘だ。どうやって収拾つけるか難問だな」
「何をばらまいてる?」
「瑠依さんの長年の夢だ。“嘘から出た誠”にしたいんじゃないのか」
怪訝そうにしていた建留ははっきり顔をしかめた。
「噂のことなら貴大から聞いてる」
「ただの噂ならいいけど、本人が吹聴してまわってるってことが厄介(やっかい)だろ」
「ああ、考えてる」
ふたりが話していることは、千雪が覚悟してきた未来とは違うように聞こえた。
聞きたくないから、これまで訊いてもこなかったけれど、やっぱりいまはっきりさせるのも怖い。
「千雪、油断するなよ。あんなふうに怖がるくせに自分をわかってないから」
旭人から急に振られて千雪は反射的に顔を引きながら背を伸ばす。
「わかってる」
本当を云えば、ついさっき、千雪は男性との接触で自分が過敏な反応をしてしまう起因に気づいた。腕をつかまれた瞬間に、そうしたのは史也ではなく、あの名もわからない下卑(げび)た男にすり替わっていた。
よくよく考えれば、あの日の最初は建留から触られるのさえ避けた記憶がある。すぐになんともなくなったせいだろうか、自分が無意識で男性の手を避けてしまうことに気づいたときは、原因もいつからかもわからなくなっていた。
アパートであったことは、加納家で落ち着けないことにかこつけて封印していた嫌いがある。
いつから建留のことは怖くなくなったんだろう。そう考えたら自ずとはじめて会った日のことが脳裡に浮かぶ。
加納家に入る直前のシニカルに笑った顔。旭人の手から逃げて、建留に助けを求めて駆け寄ったこと。考えるよりさきにそうした時点で、すでに建留は怖いという対象から外れていたかもしれない。
「千雪?」
その声をたどると、じっと見下ろす建留の目と合った。
「肩はなんともないから」
何か云わなくちゃいけない雰囲気を感じて千雪は口にした。
「独りで大丈夫って片意地を張る必要はないだろう?」
その云い分は、史也に云ったこととは真逆のことのように感じた。