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DOOR|オフリミット〜恋の僭主〜
Chapter1 innocent&inhumane
4.ヘルプレスネス〜however,go〜 #4
「なんだよ、云いたいことあるんなら遠慮すんなっつっただろ」
実那都は藍岬の家から航へと目を移した。航の口もとはへの字になっていて、気に喰わないといった雰囲気があからさまだ。実那都はおどけたようにちょっと肩をすくめ、首をかしげた。
「航ってお坊ちゃんなんだって思って。学校にいるときはそんなふうに見えないけど、心配することがなくて、だから自信満々でやっていけてるのかなあって」
航は、ハハッと笑う。
行くぞ、と、自転車を押して雪の積もる歩道を歩き始めた。実那都を送ったあと、この雪のなか、自転車に乗って帰るという。かすかにサクッと音を立てながら実那都も歩きだす。
「坊ちゃんていうほど代々継がなきゃいけねぇものなんてねぇぞ」
「ずっとお医者さんていう家系じゃないの?」
「身内じゃあ、おれが知るかぎり親父がはじめての医者で、開業したのも親父だ。じいさんたちは普通に会社員だったってさ」
「航は……お兄さんみたいにお医者さんにはならないの?」
「兄貴はまだ医者になってねぇぞ」
「でも目指してるんでしょ。貴友館だったら大学も間違いないだろうし……」
実那都は云いながら、話がずれてきていると気づき、「お兄さんじゃなくって、航の話だよ」と修正した。
航は意図的にずらしたのか、それとも単に戯れているだけなのか。
「おれは……まだ決めてねぇ」
航は少し考えたあと肩をそびやかして、それから曖昧な様子で首をひねった。それがよけいに実那都に疑念を抱かせる。
「決めてないなら……貴友館に行かなくていいの? 航なら、わたしの相手してる時間を自分が勉強する時間に変えたら合格できるよ。そうしなくても受かりそうだし。それともドラムを仕事にする?」
「だからまだ決めてねぇって」
「やっぱり……もったいない。貴友館に行けば、どんなふうにだって進路を変えられそうなのに」
実那都がどこの高校に行くか、航に訊かれたのは付き合い始めてまもなくのことだった。そのとき、航はまだ決めていないと云っていたけれど、次に訊ねたときは久築高校に行くと教えた。
『一緒に行きてぇし』
もしかして、という実那都の自意識過剰を、航は露骨にそう云って裏付けた。単純にうれしかった。藍岬家に来るまでは。
航はぴたりと立ち止まり、実那都を向いて睨むように目を細めた。
「おまえ、一緒に高校に通いたくねぇのかよ」
「違う!」
と、実那都は足を止めて航に向き直った。「そんなんじゃなくて、航のお母さんたちだって貴友館のほうがいいって思ってるはずだから……」
「何を遠慮してんだよ」
航はぶっきらぼうに実那都をさえぎった。
「遠慮とかじゃなくて、航にとって大事なことだよ。それとも……」
「“それとも”、なんだよ」
ためらった実那都を、航が不機嫌な声で促す。
「お母さんたちは……お兄さんがちゃんと病院を継いでくれるから……航のことはどうでもいいって思ってるの?」
ともすれば無神経にも聞こえるだろう。にもかかわらず、航から不機嫌さは消え、つかの間、大らかにさえ見えるような気配で実那都を見据え、そして笑みを漏らした。
「そういうふうに見えたのかよ」
「……ううん、全然」
「なら、そういうことだ。だいたいが、だ。公立の高校受験と違って、どこの高校だろうが受けられる大学に制限はねぇ。やる気があるかないかの違いだろ」
正論には違いないけれど、現実はどうだろう。ただ、航がやる気になったら、良哉が云っていたようにとことん自分を追いこんで、きっとやってのける。それは断言できる。
「航はすごいね」
航は自転車から片手を放し、実那都の頭の天辺から雪を払ってその手のひらをのせた。ふっと笑みを浮かべると。
「おまえは何を心配してんだ」
「……いろいろ、いろんなこと」
「……相当、心配事がありそうな云い方だな」
航は呆れること半分、実那都をからかう。
「でも……」
実那都はつぶやきながら、頭の天辺の手に自分の両手を重ねた。
「でも?」
「航のお母さん好き。ケーキ、ありがとうって云ってて」
「なんだよ。好きって云う相手を間違ってないか。それに、お礼ならさっき云ってただろ」
「間違ってない。わたしが来るってちゃんとお母さん、わたしのことを考えててくれたってことだから。何回云っても足りないくらいうれしいんだよ」
航は何やら慮ったように実那都を見つめ、それからため息をついた。実那都の手の下で、航の手が髪をくしゃりとつかむ。
「わかった。云っとく」
「うん。航、雪まだ降ってるから自転車も危ないと思う。家までの道はもう憶えてるし、送ってくれなくても……」
「ばーか。せっかく実那都といられる口実があんのに、それを奪う気か。なんのために母さんが送るって云ったのを断ったと思ってんだ。無駄にすんな」
「航には口実なんて必要ないと思ってた」
「わかってんなら、無駄なことを口にすんな。おれはやりたいことをやりたいようにやる。ほら、風邪ひく前に帰るぞ」
ダッフルコートのフードをつかんで実那都の頭に被せると、航は実那都の手をつかんで自分のジャンパーのポケットに入れた。手を重ねたまま、航は片手で自転車を押していく。
「あったかい」
「ったりめぇだ」
繋いだ手がポケットの中でぎゅっときつく絡まった。