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DOOR|オフリミット〜恋の僭主〜
Chapter1 innocent&inhumane
3.BE MAD #2
フレア気味のショートパンツにハイネックのレーシーなノースリーブ、その上から大きく肩の開いたブラウスに着替えて、実那都はまた一階におりた。
着替えていた間に、急ぎの仕事で会社から呼びだされ、出かけていた父が戻ってきていた。
「お父さん、おかえり」
「ああ、ただいま。……出かけるのか」
実那都を見やった父は、恰好に目を留めて訊ねた。
「友だちが来るの。出かけるかどうかはわからない」
実那都の返事に顔をしかめたのは母だ。
「実那都、放課後は学校で勉強だとか云って遅くなってたけど、本当はその子と遊び歩いてたんじゃないでしょうね」
「成績表、見てないの? 航が教えてくれて、ちゃんと勉強してたから、期末は全クラスで十番くらい上がってた」
「お母さんが云いたいのは、油断しないでってことなの」
見たのか見ていないのか、それとも見ても憶えていないのか、母は自分の非を認めることなく話を逸らした。
小学生だった頃までは認めてもらおうとがんばっていた気がするけれど、そんな気持ちはとっくに捨てている。それでもやるせない苛立ちに囚われるときがある。
油断なんてしていたら、本当に八方塞がりになる。そうなったら、モノトーン以上に真っ暗闇に染まるしかない。
「航とはだれだ――」
「友だちって言ってる」
父が関心を持って問うのか、咎めるために問うのかはわからない。実那都はつっけんどんにさえぎった。
航とは小学校が違っていて、これまで航を家に連れてきたことはないし、三者面談のときにしか学校に来ない母も会ったことはない。夏休みになって航から電話があって、母ははじめて航の存在を知ったのだ。
一方で、父が今日まで知らなかったのは、両親の間で実那都のことが話題にのぼらないという証明にほかならない。
「ねぇ、早く出かけようよ。アイス食べたい!」
加純がのん気に訴えると、それまで眉間にしわをよせていた両親の顔がとたんに緩くなった。
「ああ、悪かったな、遅くなって。行こう」
「実那都、留守番お願いね」
当然のごとく云い渡した母の言葉は、出かけるな、ということなのか。
返事なんてする気になれない。そんな実那都を助けてくれたのはドアホンだった。実那都は両親の間をすり抜けて玄関に向かった。
サンダルを履いてドアを開けると、先週の補習授業以来、四日ぶりに会う航が立っていた。
その姿が眩しく見えるのは、白いTシャツのせいかもしれない。下は濃いめのグレーのジョガーパンツという、ともすれば野暮ったくずぼらでお洒落っ気のない服なのに航は様になっている。
「よお」
「うん」
実那都の返事を聞いて、航は可笑しそうにする。
「祐真くんたちは?」
「貴友館のオープンキャンパスに行ってる」
「あ、今日だっけ」
以前の会話と今日の日付を脳裡で突き合わせていると、航がまるでろくろ首みたいな様でにゅうっと顔を近づけてきた。
「まさか、祐真と良哉がいないからってがっかりしてるわけじゃねぇだろうな」
「そんなことない。だいたい三人一緒なのに急に来るっていうから、どうしたのかなって思っただけ」
「だから息抜きだ。……っていうより、エネルギー補給か……」
「あら、こんにちは」
航が云いかけているさなか、母がにっこりとして玄関に現れた。
航は軽く上体を折って、こんにちは、と挨拶を返すと、続いてやってきた父と加純に気づき、再度うなずく程度に礼をした。
「藍岬航です」
そう云って、航は実那都に目を戻した。
「出かけるんなら……」
「実那都はお留守番なの。勉強があるでしょ」
航をさえぎって母が云った言葉に込めたことはなんだろう。帰れとほのめかしているようにも聞こえた。
実那都はくちびるを咬んだ。云いたいことを我慢したわけではない。抗議しても無視されるとわかっている。ただ、“大丈夫”という口癖と同じで、それでも云いたいことをそのまま訴えていた幼い頃の癖が残っている。
再び母に目を向けた航はかすかに首をひねった。
「一緒に勉強をやるつもりで来ました。お邪魔します」
航が母の言葉をどんなふうに受けとったのかはわからない。わかるのは、航が物怖じしないで、挫けることもないということだ。
わずかに目を見開いた母の顔を見れば、航を見くびっていたことがわかる。顔を上向けて航にちゃんと目を留めた母は、思いがけないことに出会ったかのような驚きに満ちた。
「お姉ちゃんの藍岬くん? すごぉい」
航についてのおかしな呼び方はともかく、加純の感嘆した言葉は母の代弁だったかもしれない。
「妹?」
「はい、加純です」
航は実那都に向かって問いかけていたにもかかわらず、加純が答えた。
「よろしく」
「よろしくです」
加純はぴんと伸ばした手の指先をこめかみに当て、敬礼するようなしぐさをしながら、茶目っけたっぷりに答えた。
航はおもしろがってそんな加純を見下ろしている。見下ろすといっても、加純はすでに実那都の背を追い越している。姉から見ても加純は可愛い。両親に至っては、目の中に入れても痛くないという言葉は加純の存在があってこの両親にこそ当てはまり、際限なく可愛がっている。
「よろしくな」
と云いながら航が加純と同じしぐさをすると、加純はくすくすと笑いだす。そして、何を云おうとしたのか、笑みに綻んだ口を開いたとたんスマホの着信音が鳴りだした。加純は斜めがけしたバッグの中からスマホを取りだしている。
実那都、と加純のかわりに母が口を開いた。
「冷蔵庫の中のスムージー、藍岬くんに出してあげなさい。行ってくるから」
加純の電話の相手は友だちなのだろう、話し中にもかまわず母は、行くわよ、と加純に声をかけた。そうして、ふたりはすぐさきの車庫に向かった。すでに父は車のエンジンをかけて待機している。
取り残された恰好の実那都と航は顔を見合わせた。航が何か言いたそうに実那都を見る。そうなれば、航が口を噤んでいるままのはずがなく。
「おまえんち、なんかおかしくねぇか」
と、何を見て、あるいは話してそう思ったのか、実那都が応えるまえに、まあいい、と切りあげ――
「家のなかに入っていいんだよな。暑くてたまんねぇ」
航は実那都を置いてさっさと家のなかに入った。