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DOOR|タブーの螺旋〜Dirty love〜
第4章 ミスリード〜恋いする理由〜
#9
水谷家をはじめて訪問したのは年が明けてからで、夕方、美帆子が自ら車を運転して迎えにきた。小さめのスポーツカータイプの車だったが、乗ってみればシートが革張りだったり、木目調のぴかぴかしたパネルが貼られていたり、十四歳の響生から見ても高いのだろうと思うくらい贅(ぜい)が尽くされていた。
そして何よりも水谷家に向かいながら、響生が車中で提案されたことは奇抜に思え、信じがたかった。
「生まれつきで綺麗な顔を持ってるって、響生くんは贅沢ね」
そんなことを面と向かって云われたのははじめてで、車の内装が贅沢だと感心していた響生からするとちぐはぐに聞こえた。
「よくわからないけど」
応え方が気に障ったのか、美帆子はちらりと響生を見やった。美帆子に限らずだれに対しても、響生はいつの頃からか、ぶっきらぼうにしか応じられなくなっていた。失礼のないように、という施設長の言葉を思いだす。
「すみま……」
「無頓着なのもいいけど自分を知るべきね。もったいないわ。自分を利用するのよ」
謝ろうとした響生をさえぎって、美帆子は忠告めいたことを云う。
「自分を利用する?」
「そう。自分をよく見せて売りこむの。本心でなくても演技でいいじゃない。割りきれたら、響生くんなら間違いなく這いあがれる。わたしが女優だってことくらい知ってるでしょ。演技を教えてあげる。五千万でどう?」
「……おれにはそんなお金はありません」
よく価値のわからない金額を提示されたことに戸惑って、あまつさえ費用がかかるのかと早くもあきらめた。その一方で、いまの何もない自分から抜けだせるという期待はぬか喜びだったのかとがっかりしつつもプライドは捨てきれず、響生は淡々として見えるよう努めた。
すると、美帆子は正面を向いて運転しながら可笑しそうに笑った。
「逆よ。わたしが響生くんにお金をあげるのよ」
「……なんでですか」
そんな甘い話があるものか。五千円ではなく五千万円だ。さすがに響生も疑う。声にも不審は現れていて、美帆子は助手席を一瞥するとふっと満足そうに笑った。
「思ったとおり、響生くんは利口ね。考えなしで飛びつくような子じゃなくてよかった。顔が綺麗なだけじゃやっていけないし。わたしはそういう響生くんに投資したいの」
「投資って?」
「将来有望と見て、金銭的に支援すること」
響生は黙りこみ、美帆子はしばらく放ったあと、考えてみて、と云ってその話を切りあげた。
そうしてまっすぐ家に向かうわけではなく、美帆子は途中で百貨店に寄り、いかにも高級なメンズショップに響生を連れていった。
美帆子は『店長』というネームプレートをつけた男に、親戚の子だと響生を紹介した。よほど店長とは親しい間柄なのだろう、愛人かと思いましたよ、と美帆子は冗談を云われても抗議することなく、この子はまだ十四歳よ、と笑っていた。
響生は中学二年ですでに百八十センチ近く身長があり、あまり笑わないせいで二十歳くらいに見られることも少なくない。
「確かに、水谷さんに雰囲気が似ていらっしゃいますね」
店長の云う『水谷さん』がだれかわからず、響生は曖昧に首をひねってごまかした。
響生はそれから、着せ替え人形のごとく次々に服の試着をさせられた。美帆子はあっさりと十点くらい買っていく。
「響生くんのものよ。施設では着にくいだろうから、うちで預かっておくわね。来たときに着替えればいいわ」
買い与えられた服は最初に仕掛けられた甘い水だったかもしれない。
水谷家に着くと響生はいろんなことに驚かされた。
塀から門扉、そして玄関へのアプローチとそれぞれに整えられているだけにとどまらず飾り立てられていて、家は信じられないほど大きく、なかに入ればとてつもなく広い。キッチンには家政婦がいて夕食の準備をしていた。
それらすべてが、響生とは無縁の世界だった。
ほどなく、『水谷さん』というのが美帆子の夫、秀朗のことであり、真野美帆子というのはあくまで芸名だということを知った。
あらかじめ響生のことを話していたのは当然だろう。あとから帰ってきた秀朗は響生がいても驚かず、愛想よく迎えた。
文字どおり、響生が味わったことのないとびきり豪華な夕食の時間をすごしながら――
「演技がうまいだけでは伸びない。運を逃さないこと、腐らず地道に前進することだ」
と、秀朗は響生が俳優になるものと思ってアドバイスをした。
確かに、美帆子は演技を教えるとは云ったが、それは俳優になるためではなく生き抜くための手段を学ぶためのはずだ。
思わず、響生は真向かいに座った美帆子を見やった。すると、じっと見つめてくる目と合った。響生は考えこみ、やがて秀朗の言葉に美帆子が同調しないことの意味を察した。よけいなことは云わなくていい。理由はさっぱり見当がつかないが、おそらくそういうことだ。
響生は斜め向かいの秀朗に目を戻し、無難に、はい、と応えた。
その後、秀朗がドラマのプロデューサーをやっていることがわかり、その仕事の話を聞いているうちに、響生は制作側のほうに興味を持った。秀朗はそして、響生の境遇を思いやってのことだったのか、門出だ、と美帆子と一緒の写真を撮った。
響生は、学校と施設で行事があるときにしか写真に撮られることはない。その写真を見せられたとき、大勢のなかの一人ではなく一人前に――強いて云えば特別な存在として写っているように感じて、四年前の最悪の悲劇以来、はじめて響生の時間が動いた気がした。
秀朗とはあまり会うことはなかったが、その時々で仕事の話をしてくれ、響生は尊敬やら憧れやら、そんなものを抱いていた。もしかしたら、父親という存在を重ねていたかもしれない。
美帆子が響生を迎えにくるのは、学校の帰り、一週間に二回ほどだった。教えてくれたのは、人をどうやって思いどおりに動かすか、そんな術だった。そうするためにどう振る舞うか。それがあえていえば演技だ。
そうして一カ月たった頃、土曜日から日曜日にかけて泊まらないかという誘いを受けた。水谷家への訪問もすっかり慣れて、贅沢にも慣れかけていた。響生は勘違いして、あるいはのぼせていたのだろう。土曜日の午後にいそいそと水谷家を訪れると、秀朗は出張だと云い、美帆子のボディガードをよろしく頼むよ、と響生と入れ替わるようにして出かけた。
響生はなんら疑わなかった。
家政婦がいないことに気づかないまま、美帆子に案内された客間で響生は買い足されていく服の一つを選んで着替え始めた。
施設の先輩からおさがりでもらったダウンふうのジャケットを脱いだとき。
「響生、手伝ってあげるわ」
美帆子がいきなり入ってきた。