NEXTBACKDOOR|タブーの螺旋〜Dirty love〜

第2章 不可視の類似

#11

 恋愛の話から矛先を微妙に逸らしてまでも響生が訊ねるのは、やっと環和に興味を持ったということだろうか。
 普通の家庭に育ったのなら何も隠すことはない。普通ではなくても、隠すか否かは環和に委(ゆだ)ねられていいはずだ。
 それなのに美帆子は、環和が中学生になった頃、突然、真野美帆子の娘であることを口外無用だと云ってきた。醜いアヒルの子は成長しても醜いアヒルの子のままで、だから存在を知られたくなくなったのか、授業参観はもちろんのこと、面談にも一切現れなくなった。
 その頃、変化したことといえばそれだけではない。

「雨が嫌いってわけじゃなくて全身ずぶ濡れになるのが嫌なの」
「だから、なんでって訊いてるんだ」
「なんとなく」
 はじめて会った日に似たことを訊かれたが、そのときと同じ言葉で返すと、響生は睨むように目を細めた。
「嘘でも適当に云ってるんでもないよ。物心ついたときはそんなだったから。自分でも不思議でママに訊いたことあるの。そしたら、お風呂に入れると泣きっぱなしでたいへんだったとか、幼稚舎でプールに入れなかったとか云ってた」
「赤ん坊のときに風呂で溺れかけたんじゃないのか」
「それも訊いたけどなかったっぽい。でも……」
 話すかどうか迷って中途半端なまま黙っていると――
「“でも”?」
 と、響生は促した。

「決定的に嫌いってなったのは、中等部のときに嵐に遭ったせいかも」
「嵐?」
「うん。学校からの帰り道、台風でもないのに雨と風がすごくて、駅の近くを歩いてるとき看板が飛んできたの。背中からだったから気づかなくって地面に倒れて全身、汚い雨水塗れ。夏だったし、あのアスファルトの焼けた匂いも大っ嫌い」
 響生は、さながらロボットが制止したように無になって、それから溜めこんでいた塊(かたまり)が綻びを見つけたかのように深く息を吐きだした。

「それでケガしてないわけないな?」
「最初は刺されたのかと思ったくらい痛くて、起きあがれなかった。いまも縫った痕が残ってると思う。自分では見れないからどれくらいの傷かわからないけど」
「縫うほどひどかったって?」
「ぶつかってきたときは息が止まった気がしたし、脊髄が傷ついていないか様子を見るのに入院もさせられたから。……納得した?」
 響生は顔をしかめながら肩をそびやかして灰皿に煙草を押しつける。火を潰してしまうと再び環和を見やった。
「親はちゃんと心配してくれたんだろう」
「心配する親がいることと、トラウマっぽい苦手感て関係ないと思うけど」
 首をかしげた環和は、「でも」と中途半端にまた言葉を切った。

「云いかけたならちゃんと云え」
「わたしも訳わかってないんだけど、その事故のあとすぐ両親は離婚したの」
「すぐって?」
「一カ月後」
 響生は呆れたように宙に目を泳がせて首を振った。
「娘がケガして、完治したかどうかってときにか」
「ママはすっきりしたみたいだけど」
「仲悪かったのか」
「悪いんじゃなくて、ママがパパに関心なくて、パパは愛想尽かしたんだと思う。娘のことにかまってられないくらい」
「だとしても、わからないな。ずっとまえから決めていたとしても、もうちょっと落ち着いてからでもいいだろう」
「大人の事情なんじゃない?」
 響生はため息まがいで笑い、新しい煙草に手をつけた。

「あっさりしてるな。おまえはどっちについていったんだ?」
「ママ。でも気まぐれに付き合ってられなくて、大学になってからは独り暮らししてる」
「気まぐれって例えば?」
 環和は響生がライターを取る寸前、奪うように取りあげた。火をつけて差しだすと、響生は前のめりになって煙草の先を火にかざす。ちょっと上から見ると、響生の顔に影ができてなんとなくセクシーといった雰囲気で、環和の好きな瞬間だ。
「例えばっていうより、普段はパパにそうしてたみたいに無関心なのに、気分で親子ごっこする人だから」
「もとい、あっさりじゃなくて、ひねくれてる」
「響生はパパに似てる」
「どこが?」
「なんとなく雰囲気が」
 目を細めて響生は煙草を吹かす。しばらくじっと環和を見ていた響生は、ふっと鼻先で笑った。ばかにしているのと呆れていると半々みたいな笑い方だ。

「……もしかしておまえ、ファザコンか?」
「たぶんね。ずっと会えてないけど」
「なんで」
「わかんない」
 そうとしか答えられず、環和は肩をすくめた。
「おれは父親じゃない。お父さんに会いにいけばいい」
「響生は響生。似てるだけ。第一、セックスなんてパパとするようなことじゃないでしょ。それとも、もしかしてわたしを追い払ってる?」
「どうとでも」
 響生はまさにどうでもいいように云う。

 近づいたと思ったのに、また離れた気がする。がっかりしながら、環和はふと、自分だけに限らず響生も家族については秘密主義だと気づいた。
「響生のことも話して。両親は? 独り暮らしってことは東京の出身じゃないの?」
 訊ねたのは不意打ちだったのか、響生は煙草を咥えようとして直前で手を止めた。そう時間もたたないうちに、動作を再開すると煙草を吸い、また摘まみだして響生はゆっくりと煙を吐いた。
「おれの両親は十歳のときに事故で死んだ」
 その口調には、悲しみも思慕も懐かしさもなかった。

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