NEXTBACKDOOR|タブーの螺旋〜Dirty love〜

第2章 不可視の類似

#9

 環和が親子丼を作り始めたときは、夕ごはんというより夜ごはんとでもいうべき時間になっていた。
 材料を切り終え、親子鍋はないからフライパンで代用する。調味料を入れただし汁を煮立てたところで響生は戻ってきた。
 シャワーを浴びると云った響生の入浴時間が烏の行水で終わるのは、環和と同じだ。徹底してバスタブに浸からないという共通点があるのはめずらしい。

「いまから材料入れるから、あと十分ちょっとかかるかも」
「何を思い立ったか知らないけど、結局はデリバリー頼むってことにならないようにやってくれ」
 素直には云えないで皮肉で返すというのもふたりの共通点だ。むっとして睨むも、肝心の響生は環和を見ていない。
 響生はアンダーシャツにジョガーパンツという恰好で、手にした長袖のTシャツを着ながら、キッチンにやってきた。撮影のときは、カッターシャツよりちょっとカットの洒落たシャツにスラックスという、いかにも大人な雰囲気だった。いまはまったく気取らないで、ふたりの年の差が半分くらい縮んだ感じがする。

「訳のわからない具材や調味料を使うような料理はできないけど、響生が作る朝ごはんくらい、親子丼はわたしにとっては朝飯前だから」
 冷蔵庫を開けて缶ビールを取りだしながら、響生は可笑しそうにして鼻先で笑う。
「ジョークか」
 環和は肩をすくめて、フライパンに目を戻すと材料を中に入れた。
 とりあえず、響生から不機嫌さはすっかり消えている。それだけで環和の機嫌も直った。
 響生はビールを開けてひと口飲むと、流し台側から手を伸ばしてキッチンカウンターの上に置いていた煙草をつかんだ。傍で料理していようがおかまいなしで、響生は口に咥えた煙草に火をつける。キッチンの端っこにある柱に寄りかかって深々と息をついた。
 どうやら、そこで料理監督でもする気らしい。

「お風呂上がってビールっていうのはわかるけど、煙草もそうなの?」
「おまえがひと騒動するから補給し損なった。禁断症状が出るよりマシだろう」
「禁断症状って……もしかして撮影が延びたりとかして、だから今日は苛々してたってこと?」
 何気なく弄(いじ)ったつもりが、響生は笑い飛ばすわけでもなく云い返してもこない。軽々しく扱えない、何か深刻な事情があるのか。環和は手を動かしながら、これまでのことを振り返ってみるが特に問題は見つからない。その間にも響生の反応はなかった。
 生野菜のサラダは買っても自分で作っても変わらず、よって惣菜コーナーで買ってきた。まったく手抜きにはしたくなくてサラダボールによそう。その手を止め、環和は首をまわして響生を見やった。

 のんびりと煙草をふかしていた響生は、流し目で環和を捉えた。
「いまの、本気で云ったのか」
 返事ではなく質問を向けられた環和は目を見開き、それから首をかしげた。まったく予測不能の質問だった。訊くほどのことか、理由も見当がつかない。
「……適当と本気と半分半分」
 正直に云うと、流し目ではなくちゃんと振り向いて響生は環和を捉え、じっと見つめたのは一瞬、ふっと笑った。小馬鹿にした笑い方だ。
「人によっては純粋だって云うかもしれないけど……おまえは温室で育ってるみたいに鈍感だな。おれからすれば危機管理能力ゼロ、もっと云えば、バカだ」

 容赦のない言葉が返ってきた。ばか呼ばわりをされるほどのんびりとはやっていない。環和はきっと響生を睨みつける。
「わたしのことを温室で育ってるなんて本気で思ってるんだったら、響生は人を見る目ないってことだね。表面的なことしか見ないで、人に訴えるような写真が撮れるとは思えないけど」
 仕事に関することで貶されると、やはり響生は聞き流せないようだ。じろりとした眼差しで環和を脅す。そうして、しばらくすると何か吹っきったようにくちびるを歪めた。
「そういや、おまえを撮るって云ったんだっけ」

 響生は本当に忘れていたのか、興味が湧かないと示されたようで、今度は腹が立つよりも、ない自信をさらに奪われた気がした。
「きれいに撮る自信ないのかと思った」
 環和がせめてもの虚勢で嗾(けしか)けると、響生は鼻先で笑う。
「タダで“きれいに”撮ってやるんだ。こっちの要求、呑んでもらうからな」
「何、要求って」
 響生はTシャツ一枚という環和の躰を視線でひと巡りした。それからTシャツの裾辺りにしばらく目が止まり、すっとまぶたが上がって環和と目が合う。
「教えない。早く食わせてくれ」
 響生は柱に寄りかかっていた躰を起こすと、キッチンから出ていった。

NEXTBACKDOOR