ふぃるふぃーる-恋愛短編集-
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きみへ...
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「どうした?」
たまに意味もなく潰れそうになるあたし。
それを知っているシバさんは、電話越しにあたしの声に潜んだ感情を察した。
シバさんとは波長が合う。
それが恋なのかどうか、よくわからない。
もしかしたら彼女たちへの嫉妬。
シバさんの電話の声に憧れた。
あたしがこんなふうにシバさんと話せるようになったのは彼女、タカのおかげ。
三人でたくさん話した。
けれど、あたしはタカを裏切ってシバさんを選んだ。
そして、タカもあたしを裏切ってシバさんを選んだ。
シバさんは……あたしを選んだ。
まだたまに、タカがシバさんに電話していることを知っている。
タカの様子を見ていてわかるし、シバさん自身が、相談持ちかけられてるんだ、とあたしに打ち明けた。
あたしは本当に選ばれたのかな。
そんな嫉妬という不安の中で、電話越しではなく、触れられるほどの距離で紡がれる声にあたしは溺れていった。
でも、聞いたんだ。
シバさん自身からではなく、人づてに。
もしかしたらタカもすでに知ってた。
結婚したんだね。
あたしがまったく知らない彼女と。
あたしは訊けなかった。
「ううん。最近、精神力が落ちてるだけ」
電話ではじまった、もしかしたら恋と呼べる感情はあっけなく幻と消えた。
互いに確かめることのなかった気持ちは、ふたりが共有した時間をも周りから消した。
それぞれを裏切ったことは明確なのに、それ以上のことはタカでさえも確信を持っていない。
あたしたちのことはだれも知らない。
結婚してからも、あたしと会った理由はなに?
たまにシバさんは含んだ言葉を吐く。
『あー、もっと早くに会ってたらなー』
そのときは意味がわからなかった。
『時間、戻したい』
不自然な言葉なのに、それらはあたしにはなぜか自然に聞こえた。
あたしのこと、好き?
あたしは、たぶん、恋してる。
その声から紡ぎ出される言葉の羅列に溺れていたかった。
気づかないふりをしたまま。自分を騙して。
あたしの中にある優越感と嫉妬。
同じくらい醜くて。
結婚、後悔してるの?
子供だけが理由?
でも、可哀想だよ、シバさん自身も。
最後まで訊けなかった。
いまは落ち込む理由があるんだ。
それさえ伝えられなかった。
「人間だし、そういうことあるよ。おれもいまそういう気分……会いたいな」
あたしも……でも――。
しばらくは知らないふりして続けていた電話も、もう惨めな自分しか見えなくて、タカから向けられる眼差しもあたしをますます惨めにする。
なにやってるんだろう……さよならも云い出せない。
まっすぐに生きたかったのに、全然まっすぐじゃない。
優しく生きていくつもりだったのに、あたしの中に優しさなんてなかった。
あのとき、きみのぶんまで――。
そう思ったのに。
ヒロくん、きみと出会ったのはやっぱり小学校に入学したときだったんだろうか。
きみがいたりいなかったりすることに気づいたのは、五年生になった頃だったと思う。
ヒロくんは帽子を被っていることが多くて、いつか雪国から転校してきた男の子よりも色が白かった。
めずらしく学校に出てきたヒロくんは、教室の机から動くことなく、いつも微笑っていた。
優しく微笑っていた。
きみが病弱だということはわかっていたのに、きみがいつも死と隣り合わせだったことには気づかなかった。
そのとき小学生だったあたしたちは気づかなかったけれど、いまのあたしはわかる。
ヒロくんがどんなに強く闘っていたのか。あたしが知らないところで、どんなにきみががんばっていたのか。
あたしたちがヒロくんのお見舞いにただの一度も行けなかったこと。
きみはあたしたちから一欠片の病ももらうわけにはいかなかったんだ。
中学二年生のとき、なんの用事かは忘れたけれど、同じクラスのミィと二人で職員室を訪ねた。
ノックしようと手を上げた瞬間、
『亡くなったそうです』
そう云った先生の口から出た名前は、ヒロくん、きみでした。
あたしの手は力なく落ちた。
ミィと顔を見合わせて言葉を交わすこともなく、結局あたしたちは職員室には入らなかった。
入れなかった。
中学生になってからきみに会った記憶があたしにはない。
ヒロくんが亡くなるまで、あたしたちが病名を知らされることはなかった。
こんなにあっけなく人の命は無くなるのだろうか。
まだ十三歳なのに。
この頃、あたしは生きるということについて考えはじめていた。
ヒロくんの躰とさよならをした日、やっぱり見たのはきみの微笑。
教室にいたときと変わらない。
ただ、ただ、きみは生きたかったんだよね。
だから、苦しくてもきみは微笑を見せてくれた。
あたしたちの普通を眺めて、静かに微笑ってた。
ただ、ただ、生きたかったんだ。
このときのあたしは、
きみのぶんまで――――。
そう素直に思ったんだった。
あたしはまた心の迷路に気を取られて、しばらくヒロくんに会っていなかった。
シバさん、あたしが電話したらいつまでも付き合ってくれるけど、もうシバさんから電話をくれることはなくなっているよね。
それは彼女への配慮なんだよね。
だったら、終わりにするのはあたしからだ。
シバさん、貴方の中であたしがいちばんだった時間があるよね。
その時間の想い出のあたしは、ヒロくんのような微笑でいたいから。
シバさんがその声で語る夜話を聴きながら覚悟を決めた。
シバさんみたいにわかりあえる人、きっとこれからは見つからない。
でも、そう考えるのはあたしの弱さなんだ。
「ばいばい、またね」
「じゃあ、またな」
再見。心の中でまた会いましょう。
ヒロくん、きみと会話した記憶はなく――その声はもちろん記憶になくて、きみよりもずっと長い時間を一緒に過ごした同級生の名前も最近はあやしくなってきたのに、きみの名はきみの微笑とともに、いつも海馬の先端に存在しているのか、躊躇なく思い出せる。
きみが病室で、同級生のあたしたちに、と作ってくれたプレゼントは、少し薄汚れてきたけれど、まだ大事に持っている。
あのとき、もらって嬉しいの? とセッちゃんにからかわれたけれど、素直に嬉しいと云えたあたし。
あたしはそう云える素直な自分が大好きだった。
初恋の相手でも親しい友達でもなかったヒロくん、きみはただ、そこに存在しただけなのに。
ヒロくん、きみはいつもあたしの中に生る。
ときどき、あたしに会いにきて励ましてくれる。
あたしの中にいつも生きてくれるきみへ。
微笑でいてくれてありがとう。
あたしのまえで生きてくれてありがとう。
あたしもまたがんばる。
だれかにそう思ってもらえるように――。
− The End. − Many thanks for reading.
Material by Heaven's Garden.
|DOOR|