ふぃるふぃーる-恋愛短編集-
**ハナ**かじり怪物
暗闇の中、いや、目を開ける力がないいま、夜なのか朝なのかさえ判別はつかないままに、小さな小さな振動からはじまった。
振動は鈍い音になり、遠く離れた場所からその存在を主張するかのようにやって来る。
どの方向から来ているのか、それさえ区別がつかないほど頭の中に雑音が響き渡った。
その正体をわたしは知っている。
漠然とそう思った。
だめ、来ないで。
声にならず、躰を構える間もなく無防備なわたしの腹部に強烈なパンチが飛んできた。
呻いたわたしにかまわず、もう一躰のさらなる体当たりは容赦ない。
呻く声さえ押し潰されるほどの衝撃。
軟らかい巣の上に横たわったわたしの躰が跳ねる。
いまのわたしには避ける術がない。
ただでさえ、雑巾絞りの達人が潜んでいるのではないかと思うほど、頭の中は捩れているのだ。
どうしてこんな状況に置かれているのか。
思いだせない。
わたしの躰をつかむ手はぷくぷくと柔らかい感触があるのに、侮れないほどの力を持っている。この落差はまさに怪物。
無抵抗だというのに、押さえこんだわたしをゆさゆさと揺さぶる。それに伴って頭の中はネジのように螺旋を描き、固まった。
やめて。
対抗する言葉は音になるまでには至らない。
意味不明の怪物語で不満の声を吐き散らし、怪物は手法を変えたのか、わたしの躰の周りをぐるぐると動き回る。
けっして図体は大きいわけでもないのに、足音は尋常ではない。
ぶん、ぶん、ぶん……。
血流と息を合わせたように脳みそを突かれている気がする。
お願い、やめて!
返ってきたのはケタケタとした笑いだけ。
おもしろがっているのか、苛立っているのか。
足音は一向に止まず、その笑い声、それどころか叫んだ自分の声さえ頭に障る。
いっそのこと、頭をもぎ取ってくれたらラクになれるかもしれない。
怪物に頼んでみようか……。
そう思ったとき、わたしの顔に生温かい物が触れた。粘液性のある濡れた感触は味覚器官だと知らせる。
お腹がへっているのだろうか。
鼻をかみつかれた。
わたしは食べられる……?
目を抉じ開けられたがその触手のあまりの圧迫感に、怪物の正体をはっきりさせるまえに痛む頭を振りきって逃げた。
目の玉を抉り取られるくらいなら、やっぱり頭の痛さのほうが我慢できそうな気がした。
わたしなんか食べても美味しくないんだから!
叫びながら圧し掛かる怪物二躰をいまの精一杯で押しのけるとコロコロと転がった気配。
また襲ってくるかと思いきや、なぜか楽しんでいる笑い声が満ちた。
あれ? もしかしたら……遊んでほしいのかな。
そしてまた別の足音が侵入してきた。
この足音もわたしは知っている。
二躰の怪物よりも大きく、毎日のように夜になるとわたしを食べる、いつ向けられるかわからない毒針を隠し持った怪物の親分。
足音が脳裡に響き、わたしは顔をしかめる。
助けて。
そうつぶやいたわたしの口もとに親分怪物の息がかかる。
助けてやろう。今宵もまた、おまえを食べさせてくれるのなら。
怪物は尊大に云い放った。脳内に声が広がる。
わたしは怯える。
わたしなんか食べても美味しくないんだから!
仕方ないだろう。おまえの花蜜を知ったが最後。飢えはおまえを求めている。どうする?
また二躰の怪物が暴れだす。
ブンブンと床を鳴らす音は頭を追撃する。痛みに負けた。
この雑巾絞りが止むのなら、わたしの身はどれだけだって捧げよう。
助けて。
いいのか?
わかってる。
これがわたしのFATE。
契約の標にと、わたしはひとかじりされた。
怪物語のお喋りが止んだ。
食べられては死を迎え、連れ去られた温かい巣の中で眠りにつき、そしてまた甦るわたしも怪物かもしれない。
夢現のまま、わたしは甦るための微睡に入った。
* * *
恐る恐る目を開けた。雑巾絞りは終わったようだ。
わずかな痛みは残っているものの、やっと起きられたが、意識が鮮明になると同時に記憶の欠如に気づく。 そのうえ、躰がいつも以上にだるい気がした。
不安にため息を吐くとドアの向こうから声が漏れてくる。立ちあがり、引かれるように扉を開いた。
「あ、ぉかーさん!」
リビングに入ったとたんにちょっと舌っ足らずな云い方で声をそろえ、双子が顔を上げた。 羽根みたいに手を広げて飛んでくる。わたしがかがむと双子が巻きついた。
昨日、三才の誕生日を迎えた男の子たちは幼いながらも父親に似た強い眼差しを向け、かわりばんこにわたしの鼻にかみついた。
それで満足したのか、双子はもとの場所に戻り、さっきまで夢中になっていたブロックをまた積みあげはじめる。
「大丈夫か?」
「頭痛いのはなんとか。でも記憶が途中からない」
「飲みすぎだ」
「飲まされたんだよ?」
飲ませた張本人は、後ろめたさも見せずにニヤリと口を歪めた。
「おまえが頑張った日だし、気分良くさせただけだ。それより、こっち来るんだ」
「……まだ夜じゃない」
窓の向こうはすっきりと晴れ渡っている。
「助けてやっただろ?」
それでも渋っていると、双子たちが自分たちだけに通じる双子語を使ってなにやら話しだす。
『ぉかーさん、ぉとーさんにも・・、・・・・・』
『・・・・、・・・・』
他人からすれば見分けがつかないほどの一卵性であっても顔の区別はつくが、双子語はまったく意味不明だ。
「双子も行ってやれって云ってる」
「……わかるの?」
「なんとなく。だから早く」
わたしはため息を吐いてソファに近づくと、投げだされた脚を跨いで座り、おずおずと向きあった。大きな手がわたしの腰を支えた。
「なんだか躰が重いの。お酒のせいかな」
「昨日、奉仕したから」
「え?」
「おまえ、意識ないと大胆になるし。奉仕しがいがあった」
自然発火しそうなくらいにわたしの顔が火照る。
「卑怯だよ」
わたしはぼそっとくちびるを尖らせてつぶやいた。
「ここまで来てもまだ積極的になれない理由ってなんなんだ?」
「……それがわかったらとっくに変わってると思わない?」
云い返すと、
「確かに。ま、それも楽しんでるけど」
とおもしろがった眼差しが見返す。
目を逸らして顔を少し伏せると、くちびるをかじられた。
「ねぇ、いつも思ってるんだけど」
「なんだ?」
「あの子たち、どうしてキスは鼻なのかな」
「協定だ」
「協定?」
「男と男の協定。鼻は好きにしてもいい。けど、ここはダメだ」
わたしのくちびるにすました指が触れた。
「……男と男って……わたしたちの子供でしょ?」
「それはそれ、これはこれ」
そう云って悪戯っぽく光らせた瞳が迫ってきた。慌てて近づくくちびるを両手でふさぐ。
「だめっ」
目の前の瞳が責めるように細められる。
「だから……あ……あとで」
ふさいだ手がぺろりと舐められた。小さく悲鳴を上げてわたしは手を離す。
「忘れるなよ」
忘れるどころか無理やりに思いださせるくせに。
無言の催促にいつものハグ。
毒針を刺したが最後。死を迎える怪物もまた甦ることを繰り返す。
わたしという花蜜を楽しむ怪物。
その名は、ミツバチ。
− The End. − Many thanks for reading.
Published in 14 Feb. 2009. Material by おやじの魅力.
当サイト内のある登場人物2人をイメージした物語です。
* 双子語 … 複数言語の環境にいる双子に見られる二人にしか通じない言葉。
(概ね、幼児期になくなる)
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