CHERISH〜恋綴り〜

シンデレラの魔女


 ミザロヂーの店内は、こそこそ話も声をひそめないでいいほどにぎやかで、なお且つ異様な雰囲気だ。
 狼男もいればピエロもいて、ゾンビと聖職者が酒を酌み交わし、原始人と白雪姫は仲むつまじく談笑をしているという具合だ。
 十月三十一日の夜はミザロヂー主催で毎年ハロウィンパーティが開かれている。去年も姫良に誘われたが、仕事の都合で行けず、紘斗は初の参加だ。
 ちょっとまえは心地よかった風が冷たくなってうっとうしく感じていくなか、ごった返しの人の多さが店内の温度を上昇させていた。

「紘斗、こういうおふざけもおもしろいと思わない? 出張から帰ったばかりだからどうかと思ったんだけど。気分転換になった?」
 灰かぶり姫に扮した姫良はおどけた様で肩をすくめ、ハロウィンカクテルを口に含むと、グラスをカウンターに置いた。
 姫良は裾を切りっぱなしにしたメイド服姿で、ふわりと膨らませた髪型は一歩間違えばぼさぼさと表現すべきところだろう。
 シンデレラの魔法がかけられるまえの恰好だからぼさぼさに見えたほうがいいのだろうが、思わず撫でてやりたくなるのは計算尽くしの結果か、それともこれが姫良だからそういう衝動に駆られるのか。紘斗はよけいな思考を吹っきるように首をひねって笑った。もとい、姫良はこういう計算はしない。

「まあな。息抜きにはなる」
「よかった。でも」
 中途半端に言葉を切った姫良は一歩下がって紘斗を上から下まで眺めまわす。
「でも、なんだ?」
「へんな恰好させたら怒っちゃうだろうなって思って、海賊を選んだんだけど、やっぱりターザンにすればよかった」
「はっ。なんだそれ」
「似合いすぎてずるいってこと」
「おまえも似合ってる」
 ドレッシーな紘斗の海賊姿と違い、姫良はくたびれた恰好の自分を見下ろす。それから紘斗を見上げると首をかしげた。
「それって微妙」
 云いながらくちびるが拗ねたようにすぼまっていく。

 喰いつきたい。そんなむやみな行動は――
「姫良、ちょっと撮影会しよ!」
 と、姫良の友人、早瀬知香の乱入によって救われた。彼女はヒロイン戦士、もう一人付き添っている友人、新宮稚沙は女性版バッドマンと、まさに助っ人という恰好だ。
「紘斗さんも!」
「おれはいい」
「だめです! 姫良とのツーショット写真撮ってあげますから!」
 恩着せがましい云い方に紘斗が苦笑いしていると、知香は姫良に向かい、「姫良、紘斗さん、引っ張ってきて」と命令を下し、再び紘斗に目を戻す。
「姫良を一カ月も独りぼっちにした償いですよ」
「仕事だけどな」
「連れていけばいいのに――」
「知香、ストップ。紘斗が云ったとおり、仕事なの。全然習慣が違うところだし、わたしが一緒に行ったら心配させるかもしれないし、負担になるよ」
 姫良は聞き分けのいい理由をつけて、紘斗を援護した。
「ともかく、写真撮影は全員参加!」
 行こ! と知香と稚沙は先立って奥の撮影用ステージに向かった。

「――だって、紘斗。償いじゃなくて、ツーショット写真は記念に欲しいかも」
 姫良は上目づかいで覗きこむように紘斗を窺う。
 深くため息をつき、肩をそびやかすと、そのとおり了承と受けとったのだろう、屈託のない笑顔が惜しげもなくひけらかされた。
 本物の笑顔が見たい。そう思ってきたせいか、たったそれだけのことに笑顔が晒されるのはもったいない気になる。
 ばかげた気持ちを払おうと、背中を支えながら姫良を奥に促した。

 まもなく迎える誕生日で二十八歳という、人目を気にせずはしゃぐ年齢は超えたが、ときにおふざけに乗るのもいい。自分に云い聞かせながら、しばらく撮影に加わった。やがて、見知らぬ客と入り混じった撮影会になると、紘斗は抜けだしてカウンターに戻った。
 一カ月間、香港にいたわけだが、海外出張はめずらしいことではなくすぐに慣れたつもりでいてやはり気が張っていたのだろう、いまこうして姫良を眺めていることで気が緩んでいく。

「紘斗さん、おかえりなさい」
 ふと人の気配とともに声がかかった。魔女の恰好を見て、だれだと疑問に思ったのは一瞬で、紘斗はわずかに姿勢を正した。
「こんばんは。オーナー自ら参加されているとは思いませんでした」
「いま来たんだけど。自分じゃないものになれるって楽しいでしょ。それにしても、姫良ちゃんのチョイスは大正解ね」
 紘斗の恰好を眺めて、貴刀早苗は笑い声を立てた。
「姫良は失敗したって云ってますよ。ターザンにすべきだったそうです」
「ターザン! それもいいかも」
 早苗は可笑しそうに云って、ふと紘斗のグラスを持つ手に目を留めた。

「それ、いつもしてるの? お盆に来たときも身に着けてたわよね」
 早苗は紘斗の手首を指差した。
 紘斗はほとんど無意識でツートンカラーのバングルに触れた。
「仕事のときはしていませんが」
 と云いながら、さすがに一カ月の出張は長いと感じて仕事中もなんとなく身に着けていた。いや、理由ははっきりしている。拘束されている感触は、絶えず姫良が付き纏っている気がしていた。
 早苗はうれしそうに二度うなずいた。
「なんですか?」
 彼女の表情には何らかの意味が含まれているように感じて問いかけてみた。
「特別なバングルだわ」
 紘斗は顔をしかめた。
「高価なものとは思っていましたがそんなに――」
「そういう意味じゃなくて。うちの店で売ってたものなの。姫良ちゃんがはじめてわたしを頼ってくれたのよ。男性にプレゼントするのに何がいいかわからなかったみたいで、アクセサリーだったらどんなのがいいかって。うれしかったわ」

 紘斗は思わず姫良を見やった。二カ月まえの盆、ふたりで貴刀家を訪れて、卒業祝いにアクセサリーをと早苗から店に来るよう誘われたときは、乗り気とまではいかない様子だった。そんなふうに苦手意識がありながらも、姫良は歩み寄ろうという気持ちも持ち合わせている。
 そんな大事なきっかけを――。
「僕は一度これを突っ返したんです」
 紘斗は後悔をため息にのせてつぶやいた。
 去年の誕生日、貴刀でバイトして買い直したと、一年越しであらためてプレゼントされたのだ。
「聞いたわ。いったん返金して預かってたから」
 早苗はおもしろがった様で首を傾けた。
「くだらないプライドでした。反省します」
「健気よね」
「え? ああ……姫良には裏がないから……」
「姫良ちゃんだけじゃなくて、紘斗さんもね」
「僕、ですか」
 紘斗は否定するように首を横に振りながら笑った。
「そうよ。主人から聞いたわ。本音でバトルやったって話。主人は無責任な男らしいわね」
 早苗は一年半まえのことを持ちだしてからかい、紘斗はなんとも答えず苦笑いをしながら肩をそびやかしてすかした。

「紘斗さん、海外赴任の話が出てるって聞いたわ」
「ですね。近々来るとは思っていました」
「姫良ちゃんを置いていく? 大学も卒業になるし……主人の気持ちも含めて、結婚するのに何も障害はないわ」
「そうしたら、ほっとされますか」
 後ろめたさから解放されて――そんな意を含んだ、意地の悪い質問をした。
 早苗は思いつめたようにじっと紘斗を見つめ、あるいは紘斗を通り越して何か別の映像を見ているのか。ただ一つだけ、紘斗の言葉に傷ついたことは確かだ。
 彼女が口を開くまで時間は要ったが、そうしたときは微笑みが見えた。

「ほっとするわ。姫良ちゃんには幸せになってほしいから。わたしが壊したぶんを笑い飛ばせるくらいに」
「すみません」
「いいのよ。まえに紘斗さんに話したとおり、わたしは責められてもしかたのないことをしたから。話してなかったこと……昔話、していいかしら?」
「どうぞ」

「主人のことは、お見合いで一目惚れだったわ。奥さんが亡くなったばかりということも当然知っていたけど、そんなことは問題にならないと思うほどね。でも、紗夜さんとの時間には敵わなかった。姫良ちゃんと仲良くなれたら、紗夜さんに近づけるかもしれないと思ったけど、亡くなった人とは勝負さえできないのよね。姫良ちゃんは懐いてくれたけど、主人と姫良ちゃんの間には入れなかった。健朗が生まれても同じ。紗夜さんだけじゃなくて、姫良ちゃんに対する愛情にも敵わない。自分が醜い人間だということ、結婚してからはじめて知ったわ」

 早苗の笑った顔はけっして悪人でも醜悪でもなく、意地悪くもない。
「姫良に対する愛情と、奥さんに対する愛情は別物ですよ。僕は社長から聞いて知っています。これ以上のことは云えませんが」
 わざとふざけて付け加えると、早苗はくすくすと笑いだす。
「紘斗さん、いろいろとありがとう。姫良ちゃんがあなたに会えてよかった。本当にそう思うの。指輪、もちろんうちで相談に乗るわ。わたしは、ずっと昔は白雪姫に出てくる魔女みたいだったかもしれないけど、いまは姫良ちゃんにとってせめてシンデレラの魔女になれたらと思ってるの」
「僕は、靴で探したりはしませんけどね。そもそも、出会うことにも相手を感じることにも着飾っている必要はない。そうでしょう?」
「よけいなお世話だったみたい。でも、吉報を楽しみに待ってるってことは忘れないで」
 早苗は可笑しそうにしながら立ち去った。

 撮影用ステージではしゃぐ姫良は、たとえば知香や稚沙となんらかわりなく、陰りは見えない。
 そこに合流した早苗はそれぞれの童話の主人公たちと記念写真を撮りながら、姫良ともシンデレラ物語のワンシーンを演じる。そこにわだかまりは見えない。
 その実、傷や醜さに苦しみを覚え、それはだれしも同じことなのだろう。
 やがて、姫良は撮影会を抜けだしてきた。

「帰らない?」
「ああ」
 ミザロヂーに来たときは普段の服で、店内に設けられていた臨時の更衣室で着替えたわけだが、帰りは仮装の衣装のまま薄手のコートを羽織って外に出た。
「このまま電車に乗ったら、注目浴びそう。灰かぶりじゃなくってシンデレラのほうがマシだったかも」
「電車をカボチャに見立ててその気になってればいい。おれの恰好のほうが異様だろ」
 姫良は吹きだして笑いだす。
「それに、シンデレラだと手に届かない気がするから、灰かぶり姫くらいでちょうどいい」
 そう続けると、何を思ったのか、姫良は正面にまわりこんできた。紘斗は足を止める。

「貴刀は……重荷になってる?」
「重荷じゃないと云いきったら嘘になる。けど、そういうことを云ったんじゃなくて、素のおれを受け入れてほしいし、姫良にも着飾ることなくそうあってほしいってことだ」
 姫良のくちびるがくっきりと弧を描く。
「すごく大事なことを云われた気分」
 紘斗も笑みを浮かべたが、それには応えなかった。
「明日、大学、行かないって云ってたな?」
「うん」
 それで? というかわりに姫良は首をかしげた。
「朝までいてくれたら疲れが取れる。襲う気はない」

 いつもの言葉を付け加えると、姫良は複雑な表情を見せた。
 できれば、少しでも容易に自制がきくよう、付き合い始めたばかりの頃のようにただほっとしてほしい。そんなエゴイスティックなことを思いつつ、くちびるだけは奪う。
 姫良は小さく笑って、紘斗の手をつかんだ。

「パパ、貴刀の契約社員の話、まだゴーサイン出してくれないの。大学行かなくなったらすごく暇になるのに」
「……後回しにしてるんじゃなくて何か考えてるんじゃないか」
「そう?」
「ああ」


 おれが大事なことを口にするのはそう遠くないだろう。

 魔法が切れてしまう時間制限など必要ない。
 いまという時間を積み重ねていけばいい。

 そのときは、家族になることを怖がらないでほしい。

− The End. −


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