CHERISH〜恋綴り〜

Special Day -二十歳-


 (かしこ)まった成人式を十一時に終え、出席者はぞろぞろとそろって会場の出口に向かった。外に出ると堅苦しさから解放されて賑やかな声が飛び交い始める。
 会場内と違って外の空気は冷たい。所々に植樹された木もすっかり葉が落ち、雲が多い空と相俟(あいま)って余計に寒いと感じさせる。
 そのさみしい雰囲気を華やかに彩っているのが新成人たちの衣装だ。一見すると、スーツや(はかま)姿は凛々しく、ドレスっぽい服や着物姿は(しと)やかだ。見た目だけでなく、相応に落ち着いた人がいる傍らで、普段よりはしゃぎすぎる人たちが目立つ。特に男たちは子供っぽい。大人として扱われる節目というのに、せっかくの着飾った格好が台無しだ。
 つい紘斗と見比べてしまうから、姫良はそう感じてしまうのかもしれない。
 どうして紘斗なんだろう。
 いつも思っている疑問。
 姫良はいまもいままでも、けっして異性に関心があるとはいえない。
 男の人に近づいたのは哲がはじめてで――いや、哲とは成り行きで近づいたのであって、厳密にいえば自分から近づいたのは紘斗がはじめてだ。
 それに、哲は男の人という異性としての意識よりもなんだろう、素性はまったくわからないのに、とにかく安心して信じていられる。大げさにいえば哲は神様みたいな人だ。でなければ、戻る場所があるようにと神様が姫良に派遣した使者。言葉遣いは乱暴なことが多くてもやさしい。
 それに比べて、紘斗のやさしさはいつも冷たさを被っていて遠回りだ。哲がかまってくれるのとはまったく違う。居心地なんて心底からいいとは云えないのに、姫良は紘斗と繋がっていたがる。

「姫良、同窓会はやっぱり欠席なの?」
 後ろからやって来た早瀬知香(はやせともか)がいきなり姫良の腕に絡みついてきた。
「うん。おばあちゃんに振袖見せたいし、パパにも……」
 姫良が憂うつそうに言葉を切ると、知香は励ますように背中を叩いた。
 世界に誇る早瀬自動車現社長を父親に持つ知香は、小学校時代以来いちばんの友だちで姫良の事情をよく知っている。
 知香はくっきりした目鼻立ちで可愛さがあり、尚且つ贅沢(ぜいたく)な環境で育った子にありがちなすました印象も受ける。
 姫良は知香よりも若干緩い顔立ちだが、周囲からふたりはよく似ていると云われる。
 姫良からすればお嬢様育ちで物怖じしないところは似ていても、本質的には今日の振袖姿が表すとおり、知香のほうが強くて意思がはっきりしていると思う。ふたりともに振袖は大判の花模様で、姫良がピンクとグリーンを基調にしたパステルカラーというのに対して、知香の着物は黒地にパープルのグラデーションと対照的だ。

「紘斗さんとこは?」
 知香が訊ねると、曇っていた姫良の顔がぱっと晴れた。
「仕事らしいけど、押しかけようと思ってる」
「仕事って休みなのにまた? んー、さすがに貴刀なの? それとも紘斗さんが仕事中毒なの?」
 知香は呆れて首をかしげた。
「たぶん、どっちも」
「まあそれはどうでもいいんだけど、姫良、あんまり無理やってると嫌われちゃうよ。せっかくクリスマスも大晦日もうまくいったんだから――」
「うまくいったっていうのとはちょっと違うよ。ただ会ったってだけ」
「どっちも特別な日じゃない。そこで一緒にいたってことはそういうことでしょ? 紘斗さんがその日に空いてたってことは彼女と別れたってことだろうし」
 知香は眉をひそめてわざわざ訂正した姫良を見つめ、責めるように云った。
 紘斗には美春とどうなったのかという、はっきりしたところはまだ聞いていない。姫良は紘斗にどうしてほしいのか、ましてや自分がどうしたいのかということさえわからずに目を伏せた。
「ホント云うと、お正月休みの間に一度食事に誘われたの」
「え? 聞いてない! それでどうだった?!」
 知香は目を丸くして咳きこむように姫良に迫った。
「聞いてないのはあたりまえ。わたしは用事あるって断っちゃったから。知香と約束してたってことになってるの。三日の日。知香が紘斗と会うこと自体そうないと思うし、会ったとしてこの話になることもないと思うけど、何かあったら話を合わせててね」
「……。なんで断るのよ!」
「なんとなく」
 姫良が首をすくめながら答えると、知香は呆れ果てて肩をそびやかした。

『なんで』というのは姫良にも答えられない。ただ、ここからさきは進みたくない、というラインが自分の中にあるのだ。
 姫良が断っても、紘斗は勘繰ることもなければ怒りもせず、誘ったのはほんの気まぐれだったんだろうかと思うほどあっさりと引いた。
 その時はほっとしたのに、それから昨日姫良が電話するまで十日近く音沙汰なしで、さみしいという矛盾した気持ちを自分でも持て余している。

「姫良って肝心なとこで臆病なんだから。傷つきたくないっていうのもわかるけど……あ、哲ちゃん!」
 知香は云っている途中で急に手を振りだして叫んだ。
 知香の視線の先を追うと、哲は焦げ茶のダウンジャケットにジーパンという、およそここでは場違いに見える格好で近づいてくる。
 鋭い目とごつい顔の輪郭が強面(こわもて)な印象を与え、哲の歩く先はいつも自然と開く。いまもそうで、目の前で立ち止まると、姫良たちの周りはだれもが遠巻きに下がってしまった。
 近くで見る哲は顔立ちが整っていてどこか品を感じる。もう少し目つきが柔らかくなれば人も離れることはないだろうに、あえて近づかせないようにしているみたいだ。
「姫良、終わったか?」
「うん」
「哲ちゃん、姫良のお迎え?」
「あっちこっち行くって云うし、着物だと動きづらいだろ」
「さすがに姫良の忠臣だね」
 知香の言葉に哲は気を悪くした様子もなく肩をすくめた。顔をしかめたのは姫良だ。
「知香、哲ちゃんはそんなんじゃない」
「いいじゃない。哲ちゃんは哲ちゃんだし」
 知香はわけのわからないことを云って、ね? と哲に向かって首をかしげた。
「知香、いいこと云うな。たぶん、おれはおれなんだろう」
 哲は哲で、おもしろがって知香に応じた。
「ふたりで意味がわからない会話してるよ? 哲ちゃん、早く行かないと着物が苦しくて死んじゃうかも」
 哲は小さく吹いた。
「じゃ、行くぞ」
「知香、またね」
「うん。あとで報告だよ?」
「わかってる」
「哲ちゃん、今度みんなで飲みに行こうね」
「おれは女とは飲まない主義。じゃあな、知香」
 背中に誘いを受けた哲は知香を振り向いてあっさりと断った。
 知香は不満そうにため息をついてから手をひらひらと追い払うように振り、それを見て姫良は笑いながら手を振り返した。

「哲ちゃん、女の人と飲まないってまさか――」
「ヘンな想像すんな。お嬢さま連中を満足させられるほど金持ってないってだけだ」
「あー、そっか。知香たちって値段なんて考えてないよね」
「姫良、おまえもだろ?」
「わたしはちょっと違う」
「どこが?」
「わたしはあるものでいいよ」
「……。なるほど」
 哲はしばらく思い廻ったあと、納得した相づちを打ち、それから可笑しそうに笑った。
「おれも『あるもの』だしな」
「“物”の話じゃなかった? 人は違うの。『あるものでいい』じゃなくって……あるだけで充分なんだよ。それ以上は……」
 姫良は言葉を濁して、くちびるに形だけの笑みを浮かべた。
「あいつんとこ行くんだろ?」
「うん。予約してないけど」
 哲は眉をわずかに上げ、ため息をつくように笑った。
「なんだ、それ。まあそれはどうでもいい。おれも付き合う」
「え?」
「いろんな意味で興味がある」
 哲は口を歪めていてちょっと不気味だ。笑顔とは云い難い顔を見上げて、姫良が首をかしげると、哲はふっと(とぼ)けた表情になった。



 祖母を訪ねたあと、貴刀の家はお茶もそこそこに、哲を待たせているからと口実を使ってすぐに出てきた。
 貴刀の家が姫良を歓迎していないわけではない。むしろ、訪ねるたびにいつも引き止められる。けれど、長年で身についた一線はなかなか越えられない。
 古くから時勢に関わってきた貴刀家は一昔前まで財閥として政財界を率いていた。敗戦後、財閥は解体されてすべてを剥奪(はくだつ)されたものの、貴刀は再び世界に君臨する複合企業(コングロマリット)へと伸しあがった。
 姫良の母、遠野紗夜(とおのさや)は貴刀と親密な関係にある旧家の令嬢で、父とは許婚同士だった。両親の間に許婚以上の気持ちがあったのかどうかは知らない。母が亡くなったのは姫良が四才になる年。父はその一年後、将来貴刀を継ぐ身として再び結婚をした。
 高校の頃、親戚の集まりで聞きかじったところによると、義母の早苗(さなえ)は当時、貴刀の傘下になかった今井貴金属の娘で、このときは歴然と政略結婚だったらしい。
 それでも早苗は育った環境のせいか、宝石のように明るくて、結婚当初は姫良を本当に可愛がってくれた。早苗のことが大好きだったのに、六才離れた弟の健朗が生まれて彼女は変わった。
 姫良はいろんなことを幼いなりに頑張ってみたけれど跳ね返された。その意味もわからなければ、姫良と妻の関係を父の一成が見過ごした理由もわからない。
 姫良は小学二年生から祖父母に引き取られて遠野の名を継いだ。

 健朗が十才になった頃から早苗は姫良を気遣うようになった。それからずっと早苗はやさしい。その姿に後悔が見える。
 けれど、姫良はそれに応えられない。孤独を知ってしまうと、そこが温かければ温かいほど姫良は近寄れない。逆に遠ざけたくなる。
 哲がいつも云う。孤独に慣れるな。
 その忠告はきっと手遅れ。
 哲という場所は温かいのに遠ざけたいと思わないのは、たぶん姫良が哲の正体を知らないからだ。
 哲は自分の素性を語らない。
 正体なんて知らなくていい。それが適度な距離感になっていて、かまえる必要がないから。

「姫良、連絡したのか?」
 車を歩道に寄せて止めると、哲は外に出て目の前に高くそびえる貴刀ビルを見上げた。
 休日のビジネス街は人通りが少ないものの、いかにも新成人という姫良の姿と独特の雰囲気を持つ哲は目立つようで、ふたりの目の前を通り過ぎるだれもがちょっと目を留めていく。
「ううん。いまから」
 姫良は答えながらバッグから携帯を取りだした。
「おまえ、自分から嫌われるようなことするなよ」
「それ、知香にも云われた。でも平気。いつものことだし」
 哲が大げさにため息をつく横で、姫良は紘斗を呼びだした。

「紘斗、どこ?」
『会社だ。昨日云っただろ』
「いま会社の前に来てるの」
『それで?』
 紘斗の問いかけは思っていなかった素っ気なさが感じ取れ、姫良は言葉に詰まった。
 いつものことでわかっているはず。姫良はその返事より紘斗の口調に(おのの)いた。クリスマスまえまでの冷たさとは違う棘がある。昨日はまったく普通と変わらなかったのに。いま無理やりに行ったら本当に嫌われてしまいそうな気がした。
「あ……ごめ――」
 突然、姫良の手から携帯が奪われて電話はさえぎられた。

 哲は取りあげた携帯を耳に当て、姫良を見下ろした。電話の相手には見えないというのに姫良は笑っていて、その感情が示すべき意味とは相反してくちびるが小さく震えている。
 相手が“いつも”と違ったのは明らかだ。
「半端じゃねぇんだろ。出てこいよ」
「哲ちゃんっ」
 姫良が止める最中、一方的に挑発した哲は電話を切った。携帯を差しだされ、姫良は反射的に受け取る。
「姫良、五分して来なかったら帰るぞ」
「仕事してるのに五分て無理。紘斗は無視しちゃうよ。今日はもう帰――」
「クリスマスのことがあって、今日あの男が無視するっていうんなら大した奴じゃない。おれの目は節穴ってことだな」
 哲はなんらかの確信を持っているかのような云い方をした。姫良は意味がわからずに首をかしげる。
「哲ちゃん?」
「姫良、おまえもおれみたいにいつまでも半端でいるんじゃねぇぞ」
「ラクじゃない?」
 姫良は可笑しそうに哲を見上げた。
「そんなはずねぇだろ。そのぶんきつい。いつまでたっても自分を認められない。そういう自分から逃げることもできない」
 哲は半ば自分を嘲りながら姫良を(さと)した。しばらく黙った姫良はやがて小さく笑った。
「哲ちゃんて“やくざ”なのに生真面目だよね?」
 姫良がちゃかすと哲は呆れたように首を振った。
「どういう意味だ……」
 哲の視線がふと姫良の頭の上を素通りした。車に寄りかかっていた背を起こすと、哲は口を歪めて姫良を見下ろした。
「おれもおまえも、目は節穴じゃないらしい」
 哲はそう云いながら顎をしゃくった。

 姫良がその視線の方向を振り返ると、ジーパンに黒いコートを羽織った紘斗がビル前にある階段をおリきるところだった。紘斗はコートの裾がなびくくらいに足早で、まっすぐふたりのところへやって来る。
 近づく間、姫良にはちらりと目を走らせた程度で、紘斗は哲を見据えた。
「口出しは余計だ」
 紘斗は姫良のほんの目の前で立ち止まり、開口一番、哲に向かった。
「おれはさ、姫良との付き合いがめっぽう長いんだよ。つまり、あんたの要求はあんた如何(いかん)による」
 哲の発言には『節穴じゃない』と云った意味とは真逆の意味がこもっていて、紘斗を逆撫でした。
「哲ちゃん――」
「だから必要ないと云っている」
 紘斗は姫良をさえぎって、かすかに顎を上げながら云いきった。
「ふん。姫良、じゃあな」
 哲は鼻で笑うと、車の前を回って運転席に向かった。
「哲ちゃん、今日はありがとう」
「ああ。迎えがいるときは電話しろよ」
 姫良に云っているはずが、哲の目は(あお)るように紘斗に向いている。なんとなくハラハラした気分で姫良が見守っているうちに、哲は運転席に乗りこんだ。派手にクラクションを鳴らして車は走り去った。

「行くぞ」
 紘斗は小さく息をついたあと、出し抜けに歩き始めた。
「紘斗、行く、ってどこ――あ……っ」
 着物は足もとが締まって歩きにくい。それを忘れて小走りになったとたんに姫良は自分の着物につまずいた。
「姫良っ」
 紘斗は悲鳴に振り向いた瞬間に寄り戻って姫良の肩を支えた。
「ありがとう。着物って慣れなくて」
「成人式、ちゃんと祝ってもらったのか?」
「うん。おばあちゃんに見せに行ったら喜んでくれたよ」
「親は?」
「うん。ここに来るまえにケーキご馳走になってきた」
「それだけ?」
「んーっと……実家の雰囲気って苦手なの」
 姫良が笑っているにもかかわらず、紘斗は表情を険しくした。なにか云いたそうにしながらも結局は口にしなかった。
 紘斗はまた歩きだしたが、今度は歩調がゆっくりとしている。姫良は成人式の話をしながら紘斗の半歩後ろをついていった。
 十五分くらい歩いて紘斗はお馴染みのミザロヂーへと入る。紘斗が名乗ると、お昼時の混み合うなか、店員はすぐにふたりを奥へと案内した。

「紘斗?」
 リザーブされていた席に座るなり、姫良は問うように首を傾けた。
「昨日、電話あったときからお祝いしてくれって来るだろうと思ってた」
 そのわりに『それで?』という棘のある言葉はどういうことなんだろう。姫良は戸惑いながらも、それを隠すように()れた表情を浮かべた。
「読まれちゃってるんだ。つまんない」
「冬休みからどういうわけか電話してこないし、押しかけても来ないよな。唯一、大晦日だけだ。それから連絡してきたのはやっと昨日。ってことは当然、今日はイベントなんだろうし、成人式だってことはすぐに見当つく」
 紘斗は淡々としている。姫良は暗に含まれた紘斗の云い分に気づかないふりをした。
「そっか。じゃ、次はヴァレンタインデーってこともお見通しだよね」
 ふざけた姫良に対して、紘斗はまるで批難するように目を細める。姫良はその瞳から目を逸らすことができなくて息が詰まった。
 平気なふりが崩れそうな姫良を救ったのは給仕だった。お待たせしました、と前菜がテーブルに据えられる。
「もういい」
 給仕が去ると紘斗はつぶやいた。なにが『もういい』のか、姫良は怖くなった。
「紘斗――」
「お祝いだ」
 姫良をさえぎると紘斗はワイングラスを手に取り、促すように首をひねった。姫良も(なら)ってワイングラスを取ると、互いに向かってグラスを傾けてから口に付けた。
「おめでとう」
 お祝いを口にした紘斗は普段に戻っていて、姫良の肩から力が抜けた。姫良のくちびるに笑みが広がる。
「ありがとう」
「酒は好きなのか?」
 姫良がお礼を云ったあと、また美味しそうにワインを飲むと紘斗が訊ねた。
「お酒解禁になってまだ半年だし、そんなに飲む機会ないからよくわかんない。でも美味しいって思うよ」
「酒飲んでどんちゃん騒ぎやってたあの日が誕生日だよな?」
 去年の六月二十四日は姫良の二十才の誕生日だった。ミザロヂーで友だちと誕生パーティをしていた日に紘斗と出会ったのだ。
「わたしはどんちゃん騒ぎしてない」
「酔っぱらってたからおれに声かけられたんじゃないのか?」
「勢いはついたけど、声をかけたのはたぶんお嬢さまの(さが)っていうほうが合ってると思う」
「なんだ?」
「わがままってこと。気に入ったら欲しくなるじゃない?」
 姫良が答えたとたん、また空気が微妙に張り詰めた。
「……それがどうでもよくなったら?」
 試すような質問だ。
「わたしは……普通のお嬢さまとは違うんだよ。飽きちゃったことない、たぶん、だけど」
「たぶん、か」
 言葉尻をとらえた紘斗はこもった笑みを漏らし、姫良はほっとした。
 それからほとんど姫良が独りでお喋りするなかで食事は進んだ。

「姫良」
「なに?」
「セルシオの奴はだれだ?」
 とうとつな質問に、姫良は肉を切りこんでいた手を止めた。紘斗はかすかに顔をしかめて見える。
「え? 哲ちゃん、だよ」
「そうじゃなくて、どういう奴かって訊いてる」
「んーっと……あんまり詳しいことは知らないの。でも、哲ちゃんは哲ちゃん」
 そう答えて、姫良は知香と同じことを云っていると気づく。可笑しくなって笑った姫良と対照的に、紘斗ははっきりと顔をしかめた。
「“長い付き合い”であんまり知らないってなんだ」
「もっと云えば、フルネームも知らないんだよ。でも、哲ちゃんは“絶対”なの。わたしには天使みたいな感じ」
「天使?」
「そう。天のお使い」
 紘斗は首をひねるように横に振った。もしかしたら、よくも知らない相手と平気で付き合っている姫良に呆れ返ったのかもしれないと思った。

 一方で紘斗は天使というにはおよそそぐわない哲を思い浮かべ、不審を抱くよりは興味を覚える。姫良から聞いたところによるとふらふらしているらしいが、そのわりにへんな落ち着きがある。
 それと相伴って『絶対』という哲にモヤモヤした不快さを感じる。『絶対』を上回るのに、なにがある? 紘斗はふとそう考えて不快感が増した。
「おまえはおれのこともあまり訊かないんだよな」
「紘斗は紘斗でいいの!」
「おまえは“今日あった”ことは話すけど、“自分のこと”は話さない」
 姫良のちゃかした発言は無視した。
 姫良は自分の都合を押しつけてくるくせに、めったに真に思っていることを表に出さない。紘斗が応えたいまも、常に隔たりが見える。いや、逆に隔たりが明確になったのかもしれない。
「わたしの正体なんて重要なことじゃないよ」
「……そういう意味じゃない。おれはなんだ?」
 促しても指摘しても姫良は逃げる。紘斗の中に焦りが芽生え、電話のときと同じように、いまの云い方は腹立ちまぎれになった。
 姫良がびくっとして躰を引く。ここでも(おび)えたことを隠して姫良はすぐに笑顔へと変えた。
「哲ちゃんが天使なら、紘斗はね、プレゼントなの。神様からの誕生日プレゼント」
「どう取ればいい?」
「それは紘斗次第」
 姫良はおどけて答えた。
 紘斗はやるせない気分で眉間にしわを寄せると、姫良から顔をそむけた。

 紘斗は椅子にもたれるとうんざりしたように息を吐き、それを見て姫良は笑みを引っこめた。
 それから紘斗は黙りこんでしまい、独りで喋っていられるような雰囲気でもない。姫良は気まずくなりながら、手持ち無沙汰を解消するために次々と運ばれてくる食事に手をつけた。
 そのうち姫良は苦しくなってきた。あまり着ることのない着物のせいだ。
「出るぞ」
 まもなく食事を終わって、やっと紘斗が口を開いたと思えばさっさと自分だけ席を立ってレジに向かう。
 姫良はふわふわしたファーのストールを首に巻いてから立ちあがった。苦しさがちょっとすっきりする。
 紘斗が支えたドアを出ると、姫良は立ち止まって軽く深呼吸をした。

「紘斗、今日はありがとう」
「今日はまだ終わりじゃない」
「……だって仕事――」
「プレゼントならプレゼントらしく、満足させるべきなんだろ」
 その声音からはなんの感情も見えない。姫良は首を傾けて紘斗を見上げた。
「……なんだか本当にわがままなお嬢さまって云われてるみたい」
「おまえはおれ次第って云った」
「……満足させるって、ヘンな意味じゃない?」
「そういうことを心配してるなら、大晦日に云ったとおりだ」
 姫良は安心したのかがっかりしたのか複雑な気分にさらされた。紘斗がどこまでの気持ちで云っているのかもわからない。それよりは知りたくないのかもしれない。
 確かなのは、怖いのに一緒にいたいというわがままのほうがいまは勝っているということ。
「仕事はホントにいい?」
「ダメならまず電話の呼びだしに応じない」
 紘斗の気持ちも自分の気持ちも怖くて、電話するのにもなんとなく勇気を必要とするようになった。けれど、特別な日なら甘えても云い訳になる。
「どこ行く?」
「紘斗、気分悪い」
 気が緩んだとたん、姫良は泣きそうな顔で訴えた。
「どうした?」
「着物のせい。食べ過ぎたみたい」
 紘斗の心配そうだった顔がおもしろがった表情で歪んだ。
「行き先はおまえのマンションに決まりだ」

 携帯でタクシーを呼んだあと、紘斗は姫良に腕を回した。
「紘斗っ?」
「気分悪いんだろ。座るとこはないし、タクシーが来るまで支えてる」
 人目を気にして、加えてその行為にあわてながらも、姫良はやっぱり甘えたい気持ちが強くて、紘斗に躰を預けた。
「……暖かい」
 姫良が互いにとって口実となった言葉をつぶやくと、紘斗の躰が笑みに小さく揺れた。

− The End. −

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