NEXTBACKDOOR|神様はコールガール!

第6章 まるごとイトオシイ
2.浮かれたコールガール

 ソラは車中、立聖に抱かれたままずっと眠っていた。車から降ろそうが、家に帰り着いて部屋に運ぼうが、ソラは眠りから覚めない。
 呼吸音も胸の上下運動も生きていることを示しているのに、もしかしたらソラは意識体として躰から分離して飛んでいったかもしれない。そんなばからしいことを思いもしたが、ソラはそうしないと云った。嘘を吐かないと遠回しでも認めたのだから、それは約束だ。
 ソラをベッドに寝かせると、躰が温まるまでと立聖は一緒にベッドに入った。背後からソラを抱くようにして目を閉じれば、腕に抱いている感覚が鮮明になって妙に落ち着く。
 そうして、いつの間にか立聖も眠っていたようで、ハッと目覚めれば状況を把握するのに時間を要した。

 頭をもたげてベッドヘッドの時計を見ると四時をすぎている。
 出張の荷物整理をしたり、明日の出社に向けた準備をしたり、やるべきことはある。立聖はためらったすえ、ソラをもう少し眠らせてやるべきだ、とまた枕に頭をつけた。
 ソラの体温を確かめれば平常に戻っている。心配した気持ちから解放され、立聖は思いのほかほっとした。
 顔を仰向けると、窓から上弦の月が白んで見える。自ずと、宇宙という、ソラに欠かせないキーワードが浮かぶ。
 ソラがどうやって生まれたか、それはわからないが、きっとこれから永遠という時間を浮遊していく。地球が生まれたのは四十六億年まえと云われている。ソラが地球の意思さんと呼ぶあの神様紳士はその四十六億年を生きているはずで、少なくとも、生まれたてというソラはその時間をいまから生きていくのだろう。
 立聖からすれば気の遠くなるような時間だ。そんな時間をすごしながら、ソラはいつか立聖のことを忘れるかもしれない。
 臓腑がひんやりとした手につかまれるような、なんともいえないがんじがらめな気分に支配された。それを簡単に名づけるなら、さみしい、かもしれない。逆らっても敵うことのない、命を削られていくような感覚だ。
 そう認めると、この期に及んで自分に嘘を吐いた自分に立聖は呆れた。いまこうしているのは、ソラを眠らせてやるためじゃない。自分が傍にいたがっているからだ。

 立聖はため息を漏らし、ソラの首の下からそっと腕を抜く。なるべく揺らさないようにしながらベッドをおりた。頬から髪を払ってやってから、あらためて部屋のなかを見渡した。
 ソラは昨日から及川家に帰ったと云うが、部屋は出張に出るまえと少しも変わっていない。立聖が使っていたまま、何も散らかることなく整然としている。もっとも、たった一日で散らかるのもどうかという話だが。
 それはともかく、もともとソラが物に執着することないのは知っていて、そのことも虚しくさせる。裏返せば、ソラがいなくなったら、存在したという痕跡が何も残らないということだ。
 立聖といて、立聖が仕事をしていても何一つ文句云わず――文句を云うとしたら、合体しないことであり、それ以外の不満は何も口にせず、ソラは黙って部屋のなかにいる。のんびりするのは好きだと云っていたが、そのとおり、じっとしていても退屈してるようではない。そんなソラが詰まらないと云うときがある。それが、立聖が傍にいないときだというのはなんとなく察している。

 立聖はソラを見下ろし、目を引き剥がすようにしながらベッドから離れた。部屋に置いた冷蔵庫を見るとソラの好物は何も入っていない。もう一度ソラを見やり、起きていないことを確かめると部屋を出た。
 下にスーツケースを取りに行くと、玄関先からエレベーターのまえに移動していた。とりあえず、エレベーターに荷物だけ乗せると、立聖はリビングに行った。
「ソラはどうだ」
 新聞を読んでいた立輔が顔を上げて、キッチンに向かう立聖に声をかけた。
 立聖たちが帰って迎えに出てきた立輔は、ダウンしているソラを見てひどく心配していた。睡眠不足だと云うと安堵していたが、それでも気になるのはすっかり家族となっているからかもしれない。
「眠ってますよ。……おじいさん」
 立聖はわずかにためらいつつ、あらためて立輔に声をかけた。
「なんだ」
「ソラのことですが、ずっとうちに置きたいと思ってます」
 立輔は眉を上げ、それから首を横に振った。その表情からは、肩の荷がおりたような安堵感と、興じた悪戯っぽさが覗く。
「私は最初からそのつもりだったぞ」
「最初は反対されてましたよ」
「そうだったかな」
 立輔は惚け、手を広げて肩をすくめるというおどけたしぐさに立聖は、そうですよ、と駄目出しをして笑った。
「ソラなら、女運が悪いなんていう根も葉もない悪い噂も断ちきれる」
「及川家も安泰だ。まさに神様がついている」
「ですね」
「日本人として生活するにはいろいろ問題もあるが、そこは私が手をまわす。最低限の権利は手に入れてやろう」
「お願いします」
 立輔はうなずいて、当てもなく何かを探すように空(くう)を眺める。
「聞いてるかな。安心してくれるといいが」
 立輔は、おそらく妻や息子夫婦に向かって独り言をつぶやく。
 立聖も釣られて辺りを見まわした。そうしながら、なんとなく感じていた可能性が確証に近づいていく。断言できる答えがいますぐに出ることはない。
 立聖は思考を払うように首を振り、キッチンからメロンソーダとコップを持ちだした。

 三階に上がるとエレベーターから荷物をおろし、そこに置いたまま、トレイだけ持って部屋に向かう。ドアを開けてなかに入ると、ちょうどソラが起きあがったところだった。滑稽なほどの慌てぶりだったが、立聖を見いだすと、ジムのときとは違って弾けるような笑顔が浮かんだ。
 やはり立聖がいないと目が覚めてしまうのか。
「立聖、おかえり!」
 ベッドからおりたソラは一目散にやってくる。
「ソラ、止まれ!」
 その号令に従って、ソラはトレイにぶつかる寸前で止まった。立聖はほっと吐息を漏らし、首をひねって警告をした。
「落ち着く」
 反省した面持ちでソラは応えた。
「おまえは睡眠不足くらいでちょうどいいのかもな」
 立聖は心にもないことを云ってからかうと、ソラはくるりと目をまわして顔をしかめる。
「睡眠不足ってあんまり楽しくなかった」
「だろうな」
 立聖は笑う。「飲むだろ」とたったそれだけを云い終わらないうちに、ソラはペットボトルを奪った。かと思うと――
「飲む! 立聖はビール?」
 と訊ねながら、答えを聞かないうちにミニサイズの冷蔵庫に走った。

 ソラは冷蔵庫の上にペットボトルを置き、なかから缶ビールを取りだして早くもプルタブを開ける。立聖がグラスを二つ置くとそれぞれに注いだ。グラスは立聖が持ち、ふたりはそろって窓際へ行った。窓の向こうのバルコニーへ出るにはまだ八月の末、暑すぎる。
 二人掛けのソファに座った立聖と乾杯をしたあと、ソラは一口飲んでから斜め向かいに置いた一人掛けのソファに座った。空が見やすいというお気に入りの位置だ。
「立聖、あれは月?」
「ああ、そうだ」
「すごいねぇ。昼間の月は白いんだ」
 たった二時間眠っただけで、一週間分の睡眠時間をカバーしたのか、ソラは至って活性化している。
「ソラ、いつまで人間でいる?」
 質問は唐突すぎたようで、ソラの顔からは、まるでブラックホールの出口を間違えたかのような戸惑いが見えた。

「立聖といる。ずっと! だからそれくらいずっと人間でいる」
「人間不信にはなってないな」
「人間不信?」
「晄生のことだ。人間を嫌ってほしくはない。かといって、信用しすぎるのもやめろ。人間はちっぽけかもしれないけど、いい奴から悪い奴まで、いろんな人間がいる」
「晄生ちゃんはいい奴? 悪い奴? 晄生ちゃんと咲希ちゃんは立聖を迎えに連れてってくれるって云ったの。迎えに行っちゃダメだったの? 飛行機が見えるところがよかったのに、見れなくてちょっと詰まらなかったけど、立聖はちゃんと帰ってきて、幸せっていう気分になったよ」

 にっこりとした笑みを向けられると、あそこが空港ではなかったなどとは云わないほうがいい気がした。ソラは晄生に気を許している。それなのに晄生を否定すれば、それこそ人間不信のもとだ。ああ云った以上、晄生がなおも悪さをするとは思えなかった。
 神様紳士も深刻じゃないからこそ、ソラの誘拐の話を後回しにしたはずだ。神様が腹黒じゃなければ、という前提だが。
 神様紳士といえば、気にかかっていた貴婦人の言葉がふと甦った。
 いつか選択するときがくる――貴婦人はそう云った。

 おれになんの選択肢が待っているんだ? 同じ立場って、あの紳士が神様で、ソラが神様で、ということは、ソラといるおれと紳士といる貴婦人が……貴婦人てもとは人間か? ……漫画に出てくる忍者みたいに、煙は立たなかったがどろんと消えた。……。

「立聖、ビール、美味しくない? こーんな顔してる」
 ソラは般若(はんにゃ)のお面みたいに眉の間にしわを寄せ、ひょっとこみたいに口を突きだした。
「そんな顔はしてない。考え事だ」
「そう? メロンソーダ、美味しいよ」
 ソラはちょっとしたことから大したことまで、なんでもかんでも幸せそうな、堪えきれないといった笑顔を惜しみなく晒す。メロンソーダの入ったグラスを口につけると、まるで、風呂上がりといえば一杯のビールというドラマのワンパターンシーンを再現するかのように飲み干す。そうしたあとにも満面の笑顔だ。
 笑顔の安売りはいただけないが、うれしいと感じたときに自然と浮かぶ笑顔はいくら見ても飽きない。脱力させられたり、呆れることもあるが、概ね立聖はほっとする。まかり間違えば、うれしくて幸せな気にさせられる。

「ソラ、人間はどこから……なぜ生まれたんだ?」
 グラスにメロンソーダをなみなみと注いでいたソラはそのまま顔を上げる。
「ばか! まず手を止めろ!」
 自分でも間が悪かったとは思ったが、それは棚に上げ、急いで腰を浮かしてペットボトルをソラから取りあげた。こぼれる寸前に間に合った。ソラは吹きだす。
「ソラ、失敗を笑い事ですませるのはいいが、それは成功してからだ」
「難しくてわかんない」
 ソラは鼻にしわを寄せて立聖の忠告を破棄した。
「笑い事ですませられるよう、努力しろと云ってる。ソラ、おまえは一点集中しかできない。それなら自覚して、何かしようと思ったら、とりあえずやってることをやめる。いいな?」
 ソラはうなずくかわりに首をすくめ、おもしろいことを思いついたような表情を浮かべた。

「満島さんから同じようなこと云われた気がする。昨日の夜ね、ビーフシチュー作るお手伝いしたんだよ。お肉を切ってたら、満島さんがトマトの湯むきをやってて、おもしろそうだったからやりたいって思ったの。そしたら、包丁で指を切っちゃった。そのときに……」
「どこだ」
 立聖は背を起こしてソラに手を伸ばした。それを握手みたいにソラは握ってくる。
「握手じゃない。ケガした手を見せろ」
「えっと……たぶんここだったと思う。治ってるから」
 ソラは人差し指を示した。火傷と同じで、傷跡は少しも見当たらない。
「そのときに満島さんから注意されたわけだ。まずは包丁を置けとかなんとか。ソラ、おまえは当面、刃物は持つな。こっちの身が持たない。満島さん、よく包丁なんて持たせたな」
 立聖はため息混じりに愚痴を漏らす。ケガをしても治ることと、ケガをすることは別問題だ。
「楽しいのに。でね、聞いて立聖。あたしの指から血が出たの! すごいんだよ」
 どの程度の傷だったんだ? そう思うようなソラの感想だ。満島に聞かないと、ソラの基準で説明してくれてもきっと埒(らち)が明かない。立聖は首を振って、無駄な想像力を払うと、自分もまた本題から気がそれていたと気づく。

「ソラ、さっきの質問の答えは?」
 立聖が話を戻すと、ソラは、そこに浮かぶ映像を巻き戻ししているかのように上目遣いで宙を見つめていた。
「人間がなぜ生まれたのか? たぶん、気まぐれ」
 ソラはあっけらかんとして、拍子抜けするような答えを返した。
「けっこう生きてることに意味を探して、迷ってる奴がいるけどな」
 立聖でさえ、無常観のもと、漠然と疑問を持ってしまうことがあった。
「人間は見えないものを信じないでしょ。自分の形にこだわってるからヘンなことしたり考えたりするんだよ。きれいならきれいだーって思うだけでいいのに。人間は欲張りだから、信じきれないくせに見えないものまで見たがってる」
 自分の形というのが、ただ姿だけではなく内側のプライドを指しているのなら、ソラのごく簡単に集約された言葉にもっと奥深い真理を追い求められるのかもしれない。説く者は間違いなくそうする。だが、ソラはそれこそ人間はばかだと笑う気がする。

「形のある生命体はみんな、おまえみたいな神様の気まぐれでできてるのか?」
「そう。あたしも気まぐれで地球を欲しいって思ってるんだと思う」
 ソラは自分のことなのに他人事みたいな云い方をする。
「人間を嫌いなくせに、食べることもコールガールになることも好きそうだけどな」
「そう、好き! 形があるのもいいなって感じ。だから、人間もそんなに嫌いじゃないよ」
「コールガールになりたいっておまえのこだわりだろ。矛盾してないか」
「全然。好きなものは好き、それだけ!」
 やっぱりソラはソラだ。さっきの言葉には何も深い考えはない。
「神様も結局は人間と同じだな。欲しいものを――例えば、地球の意識さんなる神様が自分の欲望のままにこの地球をつくって生命体まで創造したわけだろ」
 立聖の指摘にソラは考えこむ。

「そうかも。もとは人間も動物も、地球の意識さんの、意識の欠片だから」
「意識の欠片?」
「そ。だから、立聖のお父さんもお母さんもおばあちゃんも、意識体なんだけどこの家から出られるほど強くないの」
「なら、おまえも、おまえよりもっと大きい意識体から生まれたってことじゃないのか?」
 ソラは首をかしげた。答えるまでに少し時間が要った。
「たぶんそう。気づいたら、星が見えて、なんだろうって旅してきた感じ。それで地球に来たの! でも宇宙のどこにいても、ずっとずっと強い意識は感じてる。もしかしたら、その強い意識体のなかに宇宙はあるのかもしれない」
「ってことは、そもそも地球とか星という存在も幻想じゃないのか。おまえが云う見えないものを見たがっているにすぎないんじゃないか?」
「立聖、頭いい! そうかも!」
 自分が話題を振ったくせにあまりに広大すぎる話で、立聖の思考はこんがらがっていく。

「つくづくやる気なくすような話だな。人間も動物も同じで、泣いたり笑ったり、ちっちゃいことで何やってるんだってバカバカしくなる」
 母親と父親と、それぞれが死んでしまったときも、立聖はその気持ちと闘わなければならなかった。
「そうでもないよ。いい気分てほんとにいい気分だし、よくない気分でも、このまえみたいに立聖が飴を食べさせてくれたらいい気分になれる。そういうのって好き。もっと! って思う」
「単純だな」
「単純でいいよ。もともとは同じなのに、人間も動物もいろんなのがいるって不思議だけど」
 そう考えたら、単純でもない。不思議だという感想はソラと共通するが。
「それが成長だろ。はじめから生き物がこれだけ存在したわけじゃない。人間は赤ん坊から大人になっていく過程で個性というのが出てくる。おれと晄生じゃ違うだろ。それと同じだ」
「そっかあ」
「ソラ、おれはいずれじいさんみたいに歳を取る。おまえはどうなるんだ?」
 ソラはしばらく立聖の質問の意味を考えていた。やがて理解したようだが、それで終わらずさらに違う思考段階に入った様子だ。
「わからない。でも見て!」
 ソラは立聖に手の甲を見せた。
「なんだ」
「爪。いまきれいに短くなってるけど伸びてたの! それから前髪も目に入ってチクチクしてたから美月ちゃんに切ってもらった。髪洗うときに毛が抜けたときは、おやじみたいに禿(は)げちゃうって大騒ぎしたら、十本くらいあたりまえだって。あたしもきっと成長してるの!」
 ソラは誇らしげに云った。被り物ではなく、融合がようやく始まっているのかもしれない。だが。

「なんで、おまえは咲希さんの顔を被ってるんだ?」
「立聖の意識のなかにあった顔だから。ぶつかったとき、考えてなかった?」
 立聖はあのとき何を考えていたか。
 美月と食事をしたあと……そういえば、美月と万田生命との提携の話になって……。
「確かに考えていたかもしれない。けど、おれは咲希さんの顔をはっきり憶えてなかった」
「それは思いだせないだけ。意識はちゃんと憶えてるから」
 なるほど、催眠術の原理か。
 考えてみれば、同じ顔をしているのにそれに気づかないまま、ソラはソラとして立聖の心底に根付いたわけで、見えるものがいかに当てにならないか、それを証明している。

「おれがじいさんになって、おまえがばあさんになって、それでも人間でいるつもりか?」
「立聖といられるならいいよ。ずっと立聖のコールガールでいるの! それだけ」
 立聖は笑う。ためらうことはあっても迷うことはない。そんな意志が固まる。
「ソラ」
「おれと結婚しよう」
「する!」
 ソラは張りきって即答した。わかっているのか――そう疑問に思うと案の定。
「結婚て何? 立聖とどうするの?」
「死ぬまで一緒にいるということだ」
 喜ぶかと思えば、ソラはふと、らしくなく顔を曇らせた。
「ソラ?」
「死ぬまでって違う。死んでも!」
 死んでも。そうなったときに、貴婦人が云った”いつか”が来て、選択肢が待っているのかもしれない。
「ああ」
 ソラの顔が晴れる。ともに、期待するようなきらきらとした眼差しが立聖に向かってくる。
「立聖はいまいい気分? あたしのこと、イトオシイ?」
「なんで“イトオシイ”にこだわるんだ?」
「立聖をいい気分にできて、あたしをイトオシイって思ってくれるようになったら、地球をくれるって」
「地球の意識さんとの話か」
「そう!」
 すでに、神様紳士が貴婦人と――人間式にいえば妻と宇宙旅行に出かけて、留守を頼まれているといえばソラはどう反応するだろう。
「考えとく」
「うん!」
 愛しているという気持ちは考えるものではないが、とりあえず立聖はそう答えてしのいだ。悪足掻きではなく、生まれた世界に差がありすぎて避けられない、感覚の温度差のせいだ。延いてはソラが離れていくかもしれないとき、繋ぎとめるための自衛策だ。もっとも、ソラが立聖にも地球にも興味をなくせばなんにもならない。そんな臆病な気持ちになるのは、その存在が自分にとってそれほど重要だからに違いなく。

「立聖、今日はコールガールなれる?」
「あとでたっぶりな」
 云ったとたん、ソラは飛びついてきた――つもりが、ソファの袖とテーブルに阻まれ、立聖の脚の上に雪崩(なだ)れこんできた。
「いったーい……」
「ソラ、まず」
「落ち着け! わかってる!」
 立聖の言葉を引き継ぎ、ソラは腿の上から顔を起こした。痛みを紛らそうとソラは鼻を撫でる。その細い手首をつかんで顔からどかした。
「いたいのいたいのとんでいけ」
 立聖は顔を近づけてソラの鼻先をぺろりと舐めた。

    *

「ソラ、会社では浮かれなくていい。わかったな」
「うん」
 と、通勤途中の車のなか、ソラはうなずきつつも口もとは緩みっぱなしだ。
「浮かれないほうがどうかしてると思うが」
 フォローした立輔は、ソラが来て丸くなった気配にますます拍車がかかっている。
 立聖はふたりとは別の意味で平常心には遠い。ため息をついた。

 昨夜、『たっぷり』と約束したとおり際限なくと云っていいほど、一週間分、抱いてやったが――という云い方は恩着せがましく、その実、立聖が放したくなかっただけのことだが――今朝、起こしたときからソラは飛んでいきそうなくらい上機嫌でいる。
 そう、今朝はめずらしく、立聖が起きて三十分たってもソラの目が覚めることはなく、わざわざ起こさないと起きなかったのだ。眠れるようになったのか、睡眠不足と“合体”による体力消耗で疲れすぎていたせいか。
 いずれにしろ、爪も髪も伸びるように、きっとソラは人間の躰に慣れるはず、という期待はできる。

 地下の駐車場に入り車を降りると、重役室直行のエレベーターに乗る立輔と別れ、ソラとふたり、各フロア停止のエレベーターに乗った。
 一階で人がどっと乗ってくる。会社でなかったら手をつかんで繋ぎとめておきたいところだったが、ぎゅうぎゅう詰めになり、とりあえずソラが浮かれすぎて飛んでいく余裕はない。
 エレベーターに乗っている間、おかしな言動はなく、二十八階のボタンが点灯すると立聖はほっとして肩の力を抜いた。密室はソラの弱点で、おとなしいのが常だということを知っていながら、気を抜けないところで安堵するという、立聖はやはり冷静さに欠いていた。

 ソラはスキップもどきでワークスペースに向かいだす。
「ソ……神妙……」
 云い直しているさなか。
「及川リーダー、おかえりなさい。出張お疲れさまでした」
 という労いの言葉の合間に――
「ソラちゃん、うれしそうだね」
 という揶揄の言葉が飛んできた。極めつけは――
「はーい。あたし、立聖と結婚します!」
 ソラは社員たちに向かい、出し抜けに報告した。
 一様に仰天した表情が並び、次の瞬間にはお祝いの言葉とともにどっと歓声が湧く。

「ソラ」
 振り向いたソラに向かって睨めつけても、反応はどこ吹く風で、それどころか指先をくちびるに当てたと思ったとたん。
 止めるまもなく立聖に投げキッスが送られる。
 呆れきったのもつかの間にすぎず。

 面倒くさくて、思考力はゼロ。それでもおれを発情させるのがうまい。
 そんなきみがまるごと――イトオシイ。

NEXTBACKDOOR

Material by MIZUTAMA.