NEXTBACKDOOR|神様はコールガール!

第5章 神様ドロップ
3.きっと大丈夫

 八月も二十日をすぎ、巷(ちまた)ではお盆に乗じて夏の休暇が終わったばかりだ。証券会社はそんな俗世の慣習とは無縁だ。
 太陽から焼かれ、アスファルトは蒸してくる。料理の材料じみた責め苦から逃れて立聖が会社に戻ったのは終業時間をすぎていた。ちょっとしたデスクワークが待っているが、早めに切りあげるつもりだ。
 エレベーターを降りると、通常どおり社員たちはほぼ居残りで仕事に向かっていた。立聖はワークエリアに向かう。

 お。さんきゅー。今日は抹茶か。
 そんな言葉が聞こえてきた。
 立ち止まってフロアを見渡すと、奥のほうにソラがいた。クォート缶を抱えて、餌を見つけては啄(ついば)みにいく鳥のようにデスクの間を渡り歩いている。
 ため息をつくと、そんなかすかな呼吸音が聞こえたのか、ソラはパッと振り向いた。もしくは、電波を操るソラのことだ、立聖の頭の上に、ソラしか見えないアンテナが立っているのかもしれない。
 ソラはすぐさま駆けてきた。

「お疲れさまです!」
 クォート缶から一つ飴を取りだして立聖に渡した。
「ちょっと仕事をしたら帰るぞ」
「うん……じゃなくって、はい!」
 立聖が歩きだすとソラもついてくる。すると。
「ソラちゃん、おれ、もらってないよー」
 奥のほうから社員の一人が手を上げて飴を催促する。便乗して、その辺りの社員たちが手を上げた。
「はーい」
 ソラは気前のいい返事をして駆けていった。

 ソラが飴を好むのは、飴を食べると幸せになれると思いこんでいるせいだとわかったのは、こんなふうに飴を配るようになったときだ。
『みんな、顔がこんなになってる』
 家でクォート缶に飴を詰めこんでいるのを見て、立聖が何をしているんだと訊けば、ソラはしょげた目をして眉をしかめて見せた。
『立聖が飴を口に入れてくれたら、こーんな感じに幸せっていういい気分になるの』
 次にはそう云って、気が抜けるような赤ちゃん笑顔を見せられた。
 確かにほとんどの社員はソラから飴をもらうと笑顔になる。立聖を嫌い、延(ひ)いてはソラを気に喰わなそうにしていたあの高馬でさえ、もらった飴を口に含むと険しい顔がわずかに緩む。
 ソラにとって飴が幸せのもとになったのは、立聖のばかげたやきもちでソラを泣かせたことが原因だ。そう、晄生に感じていたのはやきもちだ。自惚(うぬぼ)れでもなんでもなく、ソラにとって立聖が別格なのはわかっているつもりだ。それでも、雛鳥論理とソラが人間でないことが脳裡にあって途方にくれた。ソラにはガキみたいな気分にさせられる。

「ソラちゃん、こっち、ちょっと見てくれないかな」
 別のところからソラにお呼びがかかる。ちょうど飴を配り終えたソラはそこへ向かった。空けられた椅子にちょこんと座ると、パソコンに向かって何やら手もとのキーボードを操作している。
 ソラが電波の中継局のような能力を持っていれば、電子回路に強いこともわかった。美月のパソコンの調子が悪くなり、システム部に連絡を取り、エンジニアが来るまでの間に、ソラはそれを手で操作することもパソコンを分解することもなく、画面をちらちらさせて原因を探り当てた。直後に来た、エンジニアはソラが云ったとおりの原因を導きだした。
 もしかしたら半信半疑だった美月と三浦も、そのときはじめてソラが人間じゃないと確信したかもしれない。
 それから社内でのソラの役割が、あるいは存在感が確かなものに変わった。
 ただし、ソラには振りでいいから手を使えと云ってある。原因を探すまでがソラの仕事だ。エンジニアにその説明ができるところをみるとプログラムも理解できているのだろう。ソラは四則計算を驚くほど早く吸収したあと、家のパソコンに熱心に向かっていたことがある。その時点で二進法を習得したんじゃないかと思う。人間の脳に二進法は合わないが、意識体というソラの脳は無限なのかもしれない。

 ソラを見守っていると、いまもすぐ原因を探り当てたようで、すごいな、という感心が立聖にまで伝わってくる。
 これなら大丈夫だ。
 立聖は内心でつぶやいてリーダー室に向かった。
「ありがとう、ソラちゃん」
「どういたしまして」
 そんな会話が背中越しに聞こえ、軽快な足音が後ろから立聖を追ってきた。
 リーダー室へ戻ったソラは、「はい、どうぞ」と缶のなかから飴を一つ取って、美月と三浦に一個ずつ渡す。
「ありがとう」
「抹茶はいいな」
 と、社員たちと似たようなことをそれぞれに漏らした。
「ソラちゃんに飴をもらうと、一日の仕事に区切りがついちゃうのよね。集中力発揮の源っていうか、もう少しやったら終わろう、みたいな」
「ええ、すっかり癖になりましたね」
 それらの感想にソラは満足げだ。神様も人の役に立っているとうれしいらしい。

「ソラ、人間でいるのもいいだろ」
 ソラは宙へと目を向けてくるりとまわす。
「……まあまあ」
 美月と三浦が忍び笑う。
 唯一、人間に対しては素直になれないソラだが、気に入っている人間もいれば、人間の食べる習慣も、人間が作りだしたテレビも気に入っている。
 きっと大丈夫だ。
 立聖は再び自分に云い聞かせた。

    *

「立聖、何してるの?」
 歯をみがいて戻ってきたソラは、部屋に入ってくるなり立ち止まる。
 クローゼットルームの入り口でかがんだまま立聖が振り向くと、足もとに置いたスーツケースを見てソラの首がかしいだ。持っていたインナーケースをスーツケースにしまうと、立聖は立ちあがった。
「あさっての午後から一週間、出かける」
「どこ行くの? 強制休暇? あたしも服、用意する!」
 ソラは矢継ぎ早に並び立てる。立聖はソラをじっと見つめ、そうするだけで、何が云いたいか伝えようと試みる。
 ソラはピンときたようで。
「“まず落ち着け”」
 以前、立聖が云った言葉をそっくりそのままつぶやく。
「そうだ。こっち来い」

 ベッドのほうへ歩く立聖に従って、ソラはドアを離れてやってきた。ただし、どこか警戒心を抱いているように慎重だ。よくないことを聞かされる、と、ソラはそう悟っているのだろう。神様だから敏感なのか、相手が立聖だからこそ嗅ぎとれるのか。
 傍に来たソラの腕を取って、タオルケットをはぐりながらベッドに上がるよう促した。一方で立聖は、ベッドに片脚だけあぐらを掻くように腰かけ、あひる座りをしたソラと向かい合う。
「日曜日から出かけて、帰ってくるのは次の日曜日、それまでおれは家に帰らない。仕事だ。三浦さんと同行する」
「……あたしは?」
 答えはわかっている。でも認めたくない。そんな訊き方だ。
「いま云ったように仕事だ。おまえは連れていけない。おまえがいると集中できないから。一週間で終わる仕事が終わらなくなる。その間、美月の家に行かないか? 会社にも一緒に行けるし、じいさんよりも女同士の美月のほうがいいと思う」
「でも……」
 立聖のなかに断固とした意思を感じとったソラは云いかけて口を噤む。

「待ってられるな? それとも人間を脱いで宇宙に帰るか?」
「帰らない!」
 叫んだソラは一瞬後、目から星屑のような粒をぽろぽろと落とした。
「これからだってこういうことはある。慣れてくれないと困る」
「……困る? 立聖が?」
 ふるえた声でくちびるを歪めてソラが問う。
「そうだ」
 ソラの目は涙に揺らめいて、藍色の瞳が照明を受けてきらきらと光を放つ。
 立聖は、連れていく――そんな衝動を堪えなければならなかった。ソラのついていきたいという気持ちと同じくらい、そうしたい気持ちが立聖のなかにあることは否定できない。

「……わかった」
 やがてつぶやき、ソラは大きくうなずいた。ぽたりとベッドのシーツに涙が落ちて染みこむ。立聖は親指でソラの涙を拭った。
「泣くことじゃない。おまえのこれまでの時間に比べたら、ほんのちょっとだ。だろ?」
「……でもっ……」
 立聖の言葉にうなずきかけていたソラは、反論しかけて再び中途半端に途切れさせた。
「“でも”、なんだ?」
 ソラは下くちびるを咬んで目を伏せると、やがて顔までうつむけて首を横に振った。
 しばらく顔を上げるのを待ってみたがその気配はない。立聖は、ベッドの横につけたチェストに手を伸ばした。紙袋を取ると中身を取りだす。棒を握って包みを剥がした。
「ソラ、ほら」
 ソラの顔のまえにそれを持っていくと、ソラは気が進まなさそうに顔を上げた。差しだされたものが目に入ったとたん、見る見るうちにソラは目を見開き、そして泣きべそをかいていた顔が晴れやかになっていく。

「何これ!? りんごの宝石?」
 氷も飴も、透きとおって光って見えるものはソラにかかれば宝石にグレードアップするらしい。
「りんご飴だ」
「飴? 食べられるの?」
「ああ。営業先の通り道で神社のお祭りがあってた。こういう飴はお祭りのときしか買えないからな」
「食べていい? 歯、みがいちゃったけど」
「またみがけばいい」
「そっか! じゃあいただきます」
 ソラが食べているのを見守っていると、それが不自然に感じたのか、ソラは首をかしげる。
「立聖も食べる?」
「おれはあとでいい。それは食べてしまえ」
「あとで?」
 ソラは紙袋を覗き、空っぽだとわかると立聖を見て不思議そうにする。
「ちゃんとおれのぶんは別に取ってある」
「そうなんだ」

 ソラは納得してまた食べ始めた。舐めたり、かりっと音を立てて咬んだり、ソラの様子を見ると買ってきた甲斐がある。
 海外出張については渋々でもソラを納得させられた。そのことにほっとすると、今度は別の意識が芽生えてくる。りんご飴のりんごは小玉だが、ソラはゆっくりと味わっていて、まるで普通の食べ方なのに立聖を挑発してくる。
 食べ終わるとソラから棒を取りあげ、紙袋に入れてチェストに放った。
「立聖?」
「おれのぶんだ」
 立聖は宣言した刹那、ソラのほうに身を乗りだすと、そのくちびるをふさいだ。
 りんごの甘酸っぱさとべたつく飴の甘さで、ソラのくちびるはコーティングされている。立聖は少しだけ顔を放した。

「甘いな」
「美味しい?」
「ああ。食べていいか?」
 喜び勇んで返事をするかと思いきや、ソラは戸惑って顔を引いた。
「あたし……二十歳になれた?」
「待っていられるんなら」
 即答はせず、ソラは少し間を空けてからうなずいた。返事に迷うこと自体が、できることとできないことを考えているからこそで、そうしたすえわがままを通さないのは人としての生活に馴染んでいるからだ。
「待ってる」
 ささやかな宣言を受けて立聖がくちびるを歪めると、ソラのくちびるは控えめに曲線を描いた。

「脱いでいい?」
「脱がせる楽しみがあるってこと知ってないな」
「じゃあ、脱がせていい?」
「それで平等だ」
 立聖は遠まわしに云ってみた。視線を宙に泳がせ、ゴーサインだと理解したソラは手を伸ばして、立聖のシャツの裾をつかんだ。シャツが引きあげられるのに伴って、立聖は手を上げる。上半身裸になると、ほぼ毎日、一緒に入浴しているはずが、それでもソラはすでに快楽を得ているかのようにうっとりしている。たったそれだけの視線に躰が疼くのは、ここ一カ月の生殺し、かつ禁欲という苦行の反動か。
 立聖はソラへと手を伸ばして、胸のすぐ下のリボンをほどいた。ベビードールが中途半端にはだけ、トップをかろうじて隠して胸のふくらみが覗く。立聖が最もそそられる恰好だ。
 ソラの肩と腰に手をまわし、すくうようにして躰を横たえた。立聖はベッドに上がるとソラの躰を跨(また)ぎ、覆いかぶさるようにして頬をくるむ。ソラが手を上げて、同じように立聖の頬をくるんだ。同時に立聖は顔をおろして舌を出し、ソラのくちびるから残っていた甘さを奪っていく。
 くすぐったいのか焦れったいのか、舐められるのに任せていたソラが口を開いて舌を覗かせる。立聖はそれを含んで吸いついた。
 んっ。
 こもった喘ぎ声を呑みこみ、それから立聖は胸もとまで一気に飛んで顔をおろした。ふもとに口づけて吸着しながらトップへと移動していく。そこは、透きとおっているように感じるほど繊細な桃の色に染まっている。

「立聖」
 たまらずつぶやいたソラに応じて、立聖は胸先を口に含んだ。ソラの躰にふるえが走り、舌で転がしているうちに硬く尖っていく。欲求のまま吸いついた。
 あんっ。
 さらに、右手を平たい下腹部に置いてそのままショーツのなかに入り、脚の間へと滑らせた。そこに触れたとたん、ソラは喘ぎながら躰を跳ねる。躰の中心へと指を這わせ、入り口を開けば蜜がこぼれてきて指を伝う。立聖はそのまま奥に沈め、探るように指を動かした。そうしてソラの反応を確かめているうちに弱点を探し当てた。
「あっ立聖、そこはっ」
「好きなだけイケばいい」

 促したあと、立聖は反対側の胸に移って粒に舌を絡ませた。同時に指をうごめかせると、すぐソラは果てを目指していった。上体が反れ、躰が硬直していく。立聖は胸先に吸着し、歯で軽く魔撫するようにしながらゆっくり顔を上げた。離れる瞬間、くちびるで挟んで吸いつくと、直後にソラが悲鳴をあげる。次には息を呑み、ソラの躰にひどい痙攣が走った。
 立聖が冷静でいるのに努力がきいたのはそこまでだった。

「ソラ、我慢できない。行くぞ」
「あふっ……うんっ、りゅうせー、また一緒にイキたい!」
「ああ」
 立聖は躰を起こすと、ふたりの下着を取り払う。躰の中心を合わせて、先端をゆっくりと潜らせる。抉じ開けるような感覚は一カ月まえと変わらない。
「ソラ、大丈夫か」
 呻いたソラを気づかうと、つらさとは正反対のうれしそうな表情で立聖を見上げてくる。
「大丈夫。ぴったりするのは気持ちいい。合体好き」
「はっ。好きなだけ気持ちよくなれ。今日は長く続ける自信はないけどな」
 立聖はぐっと躰をソラに押しつける。体内の襞(ひだ)が立聖のオスに纏いつき、ソラが云うように、窮屈なほどぴたりとすき間なく繋がるのは心地がいい。自分で云ったとおり、長く持ちそうにないが。

 互いが互いになじむまで待って、立聖は動きだした。ソラのなかは熱い。そのうえ、律動で生みだされる摩擦熱によってさらに滾(たぎ)るようだった。
 奥をつつき、引く瞬間の吸着が急激に立聖の感度を追い立てる。ソラの悲鳴にも身ぶるいにも煽られた。
「りゅうせ……っ」
「イクぞ」
「う、んっ……あ――っ」
 ソラの体内が痙攣し始めたとたん、立聖は躰をかがめてくちびるをふさいだ。悲鳴を呑みこみ、立聖もまた身ぶるいをして、最奥で密着したまま爆ぜた。
 くちびるをわずかに離し、ふたりの喘いだ呼吸が空中で混ざり合う。
「立聖、やっぱり……合体、好き」
 息切れしながらソラは云い、立聖は力なく笑った。
「おれも気に入ってる」

 躰をわざわざ離すことはせず、そうなるのはソラの隣に横たわるのに任せた。タオルケットをふたりの躰にかけて立聖はソラを抱き直す。満ち足りた吐息が長く胸に触れ、それが途切れた刹那、ソラの躰から意思が欠けた。
 ソラは本当に独りでは眠れないのか、少なくとも立聖といて寝付きが悪いことはない。むしろよすぎる。ただ、立聖が起きるとそう時間も空かずに起きだす。それを考えれば、眠れないというのも嘘ではない気がする。
 一週間、ソラはちゃんと眠れるのか。そんな心配をしながら、ソラのいないベッドで自分は眠れるのか。そんなことを考え、立聖はため息混じりで独り、苦笑いをした。

    *

 日曜日の朝、車からスーツケースをおろして転がしても、ソラは少しも楽しそうじゃない。立聖が持っていこうとすれば、すぐさまソラは自分でやると云い、つまり、スーツケース転がしは慣れて興味が薄れた、というわけではない。
 昨日、立聖と話しているときはいつものソラで、テンション高めに振る舞うが、相手をしないでいると詰まらなそうな顔をしている。もっといえば、いまにも泣きだしそうな顔だ。金曜日の夜に約束したようにソラは二十歳でいようとがんばっている。

 まもなく、車の音を聞きつけたのか、美月が玄関を開けて家のなかから出てきた。
「ソラちゃん、いらっしゃい」
「美月ちゃん、よろしくお願いします」
 ソラはちょこんと頭を下げた。
「堅苦しくならないで。いつものとおりでいいから」
「うん」
 ソラは大きくうなずき、美月はその様子を見てから立聖へと目を向けた。

「仕事もソラも、面倒かけるけど頼んでおく」
「大丈夫よ。会長がさみしいんじゃないかと思うけど」
「実を云うと、美月たちがうちに来ればいいって云ってたな」
 美月は目を丸くして笑いだす。
「次があったらそうしようかしら。セレブになってみるのも悪くないわね」
 立聖は肩をそびやかし、そして美月からソラへと目を転じた。つぶさに見上げてくる眼差しと合う。
「ソラ、帰るまであっという間だ。おかしなことするなよ。おまえは神様だから」
 できれば、口を尖らせて不満そうなソラを見たかったが、拍子抜けするくらい素直にうなずくという反応が返ってきた。
「ソラ、そんなふうにしんみりしてると、出張してる間におれの命は尽きるのかって思わされる。どうなんだ?」
 訊ねると、ソラはこれ以上にないほど目を見開く。
「そんなことない!」
「だったら、いい気分で送ってくれ」
 云ってみると、ソラは無理やり笑ってみせる。こうなるとピエロの笑顔のようにちぐはぐだ。

 立聖はポケットから金平糖を取りだす。袋から一つ、紫色の粒を取りだすと、ソラに見せた。
「星みたい」
「金平糖っていう。口を開けて」
 鳥みたいに開いたソラの口に一粒放る。笑顔が見られるまでそう時間はかからなかった。残りの金平糖をソラに渡す。
「じゃあソラ、行ってくる」
 一瞬、息を呑み、それから立聖から目を離すことなくソラはうなずいた。
「いってらっしゃい」
「ああ。美月、連れていってくれ」
 立聖が頼むと、からかった視線が向けられた。
「見送られるの、慣れてない? それとも、ソラちゃんに見送るっていうさみしい思いさせたくない?」
「どっちだってどうだっていいだろ」
「まあね」
 美月は、どちらも否定しなかった立聖の返事をそれなりに受けとったのだろう、おもしろがって肩をすくめる。
「ソラちゃん、行こ」
 美月はソラを促した。

 ソラはスーツケースを押しながら立聖を振り向く。
 立聖は人差し指をくちびるに当て、それからソラへと指を向けた。首をひねると、びっくり眼からピンときたような面持ちになる。同じように指先を自分のくちびるにつけ、手のひらを立聖に向けた。
 うなずくとソラは笑って、美月の家に向かった。そのさなか、ドアが開いてなかからウィルが駆けてくる。そうかと思うと、ウィルはつまずいてのめり、転んでしまう。美月に続いて、ソラがスーツケースをガタガタ云わせながら駆け寄った。
 ウィルが泣きべそをかいて痛いところを訴えると、ソラはウィルの膝に手を置く。
「いたいのいたいのとんでいけ」
 そんな呪文が聞こえた。めずらしいフレーズだったのか、ウィルの泣きそうだった顔が好奇心に変わっていく。

 大丈夫だ。
 金曜日から何度めか、立聖は内心でつぶやいた。家のなかに消える寸前、ソラがまた振り向く。“バイバイ”のかわりに投げキッスが飛んできた。
 立聖は笑い、そのあとは深く、次には短く、踏ん切りをつけるように吐息を漏らし、車に戻った。
 後ろ髪を引かれているのは立聖のほうだろう。

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Material by MIZUTAMA.