NEXTBACKDOOR|神様はコールガール!

第5章 神様ドロップ
2.おやすみのキス

 失礼な発言であれ、笑い飛ばしたり、わざとコールガールのふりをしてからかったり、かわし方はいくらでもある。にもかかわらず、咲希の顔は、苦手なものを無理やり美味しいと云わされているように引きつっていた。思い当たることでもあるのか。それとも、やはりプライドが高く、侮辱と感じたのか。
『悪い。ソラは意味がわからずに云ってる。要するに、大人になりたいということだ』
 そうフォローはしたが、咲希が納得したかどうかは判断できなかった。ちらりと見た晄生が、ソラの発言を笑うでもなく怒るでもなく、妙に何か思いついたような表情が気になったが、そのことには触れず、晄生はやがて咲希をなだめるだけに終わった。

 気を取り直した咲希は、大したことじゃなかったように振る舞って、その後、食事会は表面上、フレンドリーにすぎて普通にお開きになった。
 ソラに限っては、表も裏もなく純粋に楽しんでいたのは間違いない。
 立聖にとってはアルコールをいくら呑んでも酔うに酔えない、そんな夕食だった。
 もっとも、酔っぱらったことなどめったにない。二十歳のとき、アルコールをはじめて飲んだときと立貴が亡くなったときくらいか。――いや、五年まえ、咲希を問いただした日もそうだった。
 万田生命の連携の話を聞くまで咲希のことは思いだすこともなかったが、当時は、記憶に残っていないというのが不思議なほど立聖は落ちこんだのだ。

「立聖、咲希ちゃんみたいにしたい」
 帰って部屋に戻ると、タクシーに乗っている間、物静かだったソラは何を考えていたのか、いきなり願望を口にした。
「咲希さんはコールガールじゃない」
 立聖が云ったことを聞いているのか聞いていないのか、ソラは、来て、と立聖の手を引っ張って姿見のところへ連れていった。
「でも、見て。同じ顔なのに違うの。咲希ちゃん、ほっぺはピンク色だったし、目はきらきらバチバチって感じ。投げキッスは赤! もしかして、二十六歳になったらあたしも咲希ちゃんみたいになれる?」
「ならなくていい」
「二十歳になりたい!」
「今日の“二十歳じゃなかったところ”を教えてやろうか」
 どうする? と問うかわりに首をひねると、ソラは即座にうなずく。

「まず、初対面の人前でおかしなことをした。万歳のことだ。大人なら、驚いても大げさな反応はしない。二番め、人が話してる最中にまったく関係ない自己主張をした。タイミングを図ってない。以上だ。つまり、二十歳になるのに化粧は関係ない」
 ソラは自覚しているのか、文句は云わず、不満そうでもない。ただ、何か云いたげだ。
「なんだ」
「……おやすみのキスもなし?」
 ソラは拗ねた様子でつぶやく。
「そうだな」
 と云いながら、ソラのがっかりした顔を見て立聖は少しのご褒美くらいやってもいい気になった。コールガール発言を除き、ソラに大きな粗相はなかった。
「じいさんと話したいことがある。おれが下に行ってる間、独りで風呂に入ったらおやすみのキスはオッケーだ」
 云ったとたん、立聖が後悔しそうなくらい、ソラの顔は綻んだ。
「そうする!」

 立聖は二階にある立輔の部屋を訊ねた。ノックをするとすぐに返事があり、ドアを開けてなかに入った。
「話があるんですが」
「なんだ、急ぎか?」
 ベッドヘッドに背中を預け、読書中だった立輔は本を脚の上に下ろし、伴って上目遣いに老眼鏡の隙間から立聖を目で捉えた。
 確かめなければ、あるいは聞きたいと思って立輔を訪ねたのだが、急ぎかと問われてから、明日でもよかったのだと、自分がせっかちになっていることを教えられた。
「急ぎじゃない。けど、もう来てしまったのでいいですよね」

 立聖が押しきると、立輔は呆れたのかあきらめたのか、首を横に振った。それを許可と受けとり、立聖は話すというよりは率直に訊ねた。
「おじいさんは、最初にソラを見たとき、万田生命の万田咲希だと思ったんですよね。もしくは、そっくりなことに驚いた」
 立輔は片方だけ眉を上げる。そうして考える時間を少しでも確保するのが立輔の癖だ。しばらくして、ため息を漏らす。
「そうだ。万田咲希だと思って驚いたんだよ」
「提携交渉の間に、そうはっきり憶えているほど彼女と会う機会があったんですか」
「会う機会があったというよりも、会わせられたんだよ」
 立輔はうんざりといった雰囲気で首を振った。
「どういうことなんです?」
「縁談話があった」
 立輔は端的に云ったが、充分、立聖には通じる。
「まさか引き受けたりしてないでしょう?」
「おまえの承諾がなくてそうするはずがない。もともと気乗りしなかった話だ」
「もともと?」
 その云い方が引っかかる。立聖は眉をひそめて答えを促した。

「簡単な身上調査だよ。万田咲希はおまえと美月ちゃんの大学の後輩だ。美月ちゃんに、どこからか仕入れてくれるだろうと思ってな、情報収集を頼んだ。そうしたら、すぐに返事だ。自分は勧めない、とね」
 初対面の日、美月と立輔の目配せの意味がわかった。咲希との縁談話があって、そんなときにソラを見れば、なるほど勘違いしたすえ驚愕もするだろう。
「万田咲希のことはおれも知ってるし、縁談話は勧めてほしくない。断ってほしい。それだけははっきりさせておきます」
「云われるまでもなくわかってる。これまでも無理強いしたことはないだろう。私が口出すんであれば、おまえはもうとっくに結婚している」
 ため息混じりの立輔に対して、立聖は今度は笑った。
「確かに、いまだ独身でいられるのは意思を尊重してもらっているからこそだ」
「うむ。ソラが現れて家のなかが明るくなった。あの気取ったお嬢さんでは到底無理だ。華やかにはなるだろうが家族というイメージが湧かない」
 家族という単位で考えたことはなかったが、いまソラはずっとまえから存在していたかのように及川家になじんでいた。

 立聖は三階へと戻りながら、水の流れる音を聞きとった。階段をのぼりきり、バスルームだろうと見当をつけて見やると、ドアが開きっぱなしになっている。バスルームに行く間に水流の音は止まり、かわりに波打つ音が立つ。覗いてみれば、なかのドアも開いていた。
 行儀が悪い。ため息をつきながら内心でつぶやいて、立聖は顔をしかめた。
「ソラ」
 声をかけると驚いたようで、すっかり定着したバブルバスのなか、ソラは溺れそうになる。細い手が泳ぎ、その反動で泡がふわりと飛ぶ。ソラはかろうじてバスタブに縋り、沈むのを持ちこたえた。目を丸くして、バスタブの縁をつかんだソラはまるで猫みたいだ。そのうえ、頭の上に泡をのせ、もこもこした泡の間からかろうじて顔が出ているという姿はコミカルだ。

「立聖! 話はもう終わり?」
「ああ。それより、おまえ、風呂に入るときはちゃんとドアは閉めろ。湿気が外に漏れて不快だ」
 ソラは都合の悪そうな気配で目を逸らす。
「ソラ?」
「……空が見えなくって狭いところは苦手だから」
 どういうことだと考えたのは一瞬、ピンときて――
「まさか……閉所恐怖症か」
 立聖は吹いた。
「笑うのダメ!」
 ソラはむくれて、衝動的に立聖に向かってお湯をはねる。結果的にそうして害を被ったのはソラ自身だった。すかされたように躰が傾いて、沈む寸前、立聖が手を取って救った。
「癇癪起こすといいことないぞ」
「だって!」
「笑うのと笑われるのは違う。わかったか?」
 少し考えこんだソラは以前のことを思いだし、大きくうなずいた。

「エレベーターに乗るのを嫌がったのも、風呂に一緒に入りたがるのも閉所恐怖症のせいか? ……のわりにトイレは閉めてるな」
「臭いから我慢してる」
 ソラは鼻にしわを寄せ、立聖は笑った。
「笑っちゃダメ。窮屈なのは嫌い」
「なるほど。宇宙を飛びまわれるのはいいことばかりじゃなさそうだ。神様らしい弱点だな」
「弱点てダメ? へん?」
「いや、それくらいあってちょうどいい」
 ソラは、いつもの子供みたいに単純に笑うのではなく、うれしそうという言葉がよく似合う笑い方をした。裏を返せば、よほど不安だった、ということかもしれない。考えてみれば、意識体だったソラは地上に“降りる”まで、自由で、なんの恐怖を感じることもなかったはずだ。勉学と同様に、ソラはいろんな感情を覚え、蓄えている。いま、しみじみとしてはにかんだ笑顔は、子供を脱し、俄に成長して見えた。

「立聖の弱点は?」
 ソラはそれこそ急所を突いてくる。
 急所?
 無意識にそう思い、おまえが云うな、とそう云い返そうとしたことがもうすでに立聖の答えだった。
「弱点なんてない」
 認めるのを拒むことも答えのうちだろう。
 ソラは不満そうにくちびるを尖らせる。
 立聖は反射的に頭を傾けながら、ソラに顔を近づけた。
 びっくり眼がぼやけたかわりに、やわらかいくちびるの記憶が鮮明になる。軽くくちびるでくちびるを咬むように触れ、いったん離れてから舌でくちびるを撫でる。ソラの口もとが自然と緩むと、立聖はぺたりとくちびるをつけて顔を放した。
「おやすみのキスのかわりだ」

 ソラはうっとりしていたが。メロン十個を三人に平等に分けるという算数の問題を解いたすえ、残った一個はどうしてもらっちゃだめなの? と訊ねたことがあった。いま、そんなふうにどこか納得いかないような面持ちに変わった。
 立聖からすると、勘弁してほしい、そんな気持ちだ。毎晩、ソラが眠るのに付き添っているのにも忍耐がいる。ようやく慣れてきた頃に、ばかな約束をした。
 ソラにご褒美をやると云いながら、実は自分がそうしたがったのだ。眠れないと云うから添い寝する。そのことも同じだ。愚か極まりない。

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Material by MIZUTAMA.