NEXTBACKDOOR|神様はコールガール!

第5章 神様ドロップ
1.人間は忙しい

 酒を飲むとなれば、書類の入ったビジネスバッグを持ってうろつきたくはない。金曜日の終業時間後、早めに会社を出ていったん家に戻った。
 ジョワイユは洋風の居酒屋で、スーツの必要はなく、立聖はカジュアルなシャツにカーゴパンツという恰好に着替えた。
「立聖、これでいい?」
 ソラを振り返る。動く気配はあって、着替えているかと思っていたが。その恰好を目にしたとたん、立聖は脱力した気分にさせられる。
「おまえ、ブラウスとスカートを脱いだだけだろ」
 ベビードールはかろうじて腿にかかる長さで、胸の谷間は丸わかり、下着は透けて影が見える。
「だめ?」
 睨めつけると、このまえのしおらしさはどこへやらくちびるを突きだした。
「留守番するんだな」
「待って! ちゃんと着る。立聖が選んで」
 ソラは慌てふためいて引きとめ、次には投げやりに云ってベッドに腰かけた。

 裸でいたがるのは最初から変わらない。もしそうするとしても自分の部屋で、なお且つ一人きりのときだけだと云い渡している。三階に限って、ベビードール姿までは許容した。
 立輔の部屋は二階にあり、三階はまるまる立聖の居住スペースだ。キッチンを除いて、バスルームとパウダールームは備わっているから下に行く必要はないし、だれかが上がってくることもない。そして、ソラには隣の部屋を与えたはずが、立聖の部屋に居ついた状態で実質上、使われていない。つまり、夜になるとソラは立聖の部屋でほぼベビードール姿ですごすという日々だ。裸を見せられるときは入浴から戻ったときだけで、それだけでもましだと考えてしまう立聖は自分で自分を甘いと思う。
 着替えを持っていかないことをどうかと思うが、正直、裸でうろつくソラは嫌いじゃない。迷惑していることは否めないが。付け加えれば、独りでは眠れないと云ってベッドに居ついたのも嫌いじゃないが、まったくもって迷惑だ。

 立聖はクローゼットに行くと、ソラのスペースに行った。もとはソラの部屋のクローゼットにあったはずが、服までいつの間にか引っ越ししていた。とはいえ、数は立聖と比べれば微々たるものだ。仕事用の服は増えていくが、普段着はソラの興味がないぶん、めったに増えない。
 ソラが適当でいいなら選ぶのも適当でいい。立聖は悩むことなくパッと手が伸びたワンピースを取った。
 ソラは微動だにせずベッドで待っていた。
 立聖がソラの脚の上に服を放ると、いかにも仕方なくといったふうに服をつまむ。前後の区別はつくようになって、ソラはワンピースの肩の部分を持って見比べる。まだ不器用な素振りでソラは服を身に着けた。
「これでいい? コールガールになれてる?」
 ソラはのん気だ。
 着た恰好を見てから、立聖は舌打ちした。

 セパレートと見せかけたワンピースのブラウス部分はは前が短く後ろが長いチュニック風だ。襟もとを縁取る長めのフリルは胸のふくらみをごまかしているが、オフショルダーぎみで胸もとはかなり開いている。ボックスプリーツのスカート部分は、膝上十センチと短い気がした。
 これを選んだのはきっと美月だ。
 ソラが服に無関心なのをいいことに、なお且つ立聖が代金は払うと云っているだけに、美月は機会があるごとに服を手に入れてソラに渡している。ウィルは女の子じゃないから服の選び甲斐がないと云いながら、その楽しみをソラに見いだしているのだ。
 いまの恰好でつまずいたら、ソラがどういう状態になるか目に見えている。加えて、晄生と会うことを思うと、一瞬、さっき口にしたとおり留守番させておこうかという考えが脳裡をよぎった。
 ……何、訳のわからないことを考えてるんだ。
 立聖は首を振ってその考えを払う。

「コールガールなんてまだまだだ。自分をちゃんと見ればわかるだろ」
「……いつになったら二十歳になれる? いまあたし何歳?」
「学習能力は中学生、思考力は小学生だな」
 ソラはむっとした表情になり、そして口を開いたかと思うとぎりぎりで思い直したかのように閉じる。
「とにかく、今日は大人の付き合いをしてくれ。よけいなことは云わない、しない」
「わかった」
「っていう返事がいちばん当てにならない」
「じゃあ、喋らなくっていいように、あたし、飴を食べてるから!」

 ソラは窓際にあるソファに行き、バッグを開けて、常備になった缶を取りだした。楕円形の缶を振ってみせ、がらがらと音を立てる。なかにはいろんなフルーツ味のドロップが入っている。
 晄生にもらった宝石が実は飴だとわかって以来、ソラは飴に夢中だ。
 この件を思いだすと、立聖は複雑な気分で顔をしかめる。
 立聖が内勤だけではないこともわかってきて、ソラはそれに順応しつつあった。二十日後には東南アジアへの出張も控えていて、立聖の不在にも慣れてもらわなければならない。
 だが、ソラはおとなしく待っているかと思いきや、立聖が戻っても、いつもはだれよりも早く気づくくせに晄生に気を取られて察せない。それが無性に腹が立った。
 あとから聞けば、何をしているかタブレットを覗かれて 、それから晄生の出した数学のクイズに答えていたという。ご褒美の宝石――つまり、飴を見せびらかされたすえ釣られてしまうソラの安易さは頭の痛いところだ。
 確かに飴を舐めていれば黙っているし、おとなしい。

「これから食べにいくんだ。飴を舐めてるって明らかに不自然だろ。とにかく、カナダからの帰国子女、日本語は苦手、その他諸々、決めたことだけに答えればいい。あとは、日本語が理解できない振りして“わからない”を貫く。いいな」
「ご褒美は?」
「なんのことだ」
「立聖の云うこと守れたら、してほしいことがあるの」
「何を」
「合体」
 ソラは音符でも踊っていそうな声音で云い、にっこりと迷惑行為をした。
 裸でうろつくのも、ベビードールでいるのも、ソラはべつに誘惑の道具として使っているわけではない。勝手に立聖が乗っている。
 ただ、立聖も男だ。何も感じないほうが異常だ。常にそう云い聞かせて自分の欲求を正当化している。そして、こう認めることは立聖のなかに疾しさみたいなものを招く。
「だめだ」
 疾しさを追い払おうとした立聖は、無意識にそうつぶやいていた。
 とたん、ソラは落胆した面持ちになる。
「そうだな。落ち着いて応対できたら、おやすみのキスくらいはしてやってもいい」
 つい、立聖は譲歩してしまう。
 すると、ソラは期待心を剥きだしにして満面の笑顔を向けてきた。立聖は、神様に懐かれるよりも犬に懐かれたほうがずっとラクだと思う。
「行くぞ」
「うん!」

 立輔はまだ帰っていない。一階におりてすぐ玄関を出ると、ふとソラが足を止めて玄関のドアを振り返った。ソラはたまにこういうしぐさをする。
「三人いるのか?」
 ここにソラが来た初日以来、立聖ははじめて両親たちのことを訊ねてみた。
「うん。いるっていうか話しかけられてるだけ」
「なんて」
「いってらっしゃい、って」
「……おまえ、ほかのときにも聞こえることあるのか」
「たまに」
「ここに残って何してるんだ?」
「さみしいだろうからって云ってるよ。さみしいって何?」
「……“悲しい”に似てる。話したいときに話す相手がいなかったときに感じるものがそうだ」

 ソラに答えながら、立聖は家族として在った彼らのことを考えた。
 立輔は妻を亡くしたあと、再婚も愛人もなく独身を通した。ソラの発言によって妻の存在を遮二無二求めたことが証明するように、いまでも立輔は絢子を想っている。それがリセットされずに絢子の意識を引き止めているのなら、両親は立聖が引き止めているとでもいうのか。
 いや、自分はそれほど子供ではない。人は人に支えてもらいながら生きていることはわかる。だからといって、独りで立てるのにそうはせず、ただ依存する生き方は認められない。そのくせ――
「立聖がいないときの気分てさみしい?」
 ソラの言葉に満ち足りた気になるのはなぜだ?
「それはおれにはなんとも答えようがない。あくまで、ソラが感じることだ」
「ふーん……立聖、人間て忙しいね。さみしかったり、好きだったり、冷たかったり、幸せだったり、美味しかったり、悲しかったり」
 ソラはぐちゃぐちゃに並べ立て、立聖は呆れて笑った。


 真田の車でジョワイユに向かい、約束の七時にあと五分という時間に到着した。
 店の名前は、フランス語で楽しいという意味だが、そのとおり、木製の重々しい扉を開けたとたん、にぎやかな声がここまで漏れてきた。
 晄生の名をスタッフに告げると、見えてますよ、とすぐさま奥の部屋に案内された。わざわざ個室を予約したらしい。
 スタッフが開けてくれた引き戸の間からなかに入った。とたん、立聖は立ち止まる。
 そうして、背中にソラがぶつかる衝撃よりも遥かにひどく、立聖は驚いた。

「よお、お疲れ。妹も来るっていうから連れてきた。憶えてるか? 妹はおまえに会ったことあるって云ってるけど」
「お久しぶりです」

 晄生に続いて挨拶言葉を発し、椅子に座ったまま斜めに頭を傾けた彼女は、ソラにそっくりだった。

 だれかに似ている。その候補に万田咲希は入っていなかった。
 美月が話題にしても顔ははっきり思いだせず、だからリストアップしなかったのだろうが、こうもそっくりでなぜ思いだせなかったのか。立聖は自分の記憶力が劣っているとは思っていなかっただけに、そっくりなことの驚きよりも記憶力のなさに憮然(ぶぜん)とする。
 自分へのその失望感に抵抗するかのごとく、無意識下で脳裡に五年まえのことが浮上してきた。

 大学の投資サークルは、入学して間もなく立聖が起(た)ちあげた。当然、学生たちの集まりであり、資金を持っている学生のほうが少ない。実際の市場を用いながらもあくまで投資はシミュレーションだった。
 漠然と遊び感覚のメンバーもいたが、おおよそは証券会社への就職や個人トレーダーの道へと進む足掛かりとして加入していた。いま考えると、咲希がサークルにいたのは万田生命が視野に入っていたからだろう。
 立聖が二十五歳の年、OBを交えたクリスマスパーティではじめて会ったとき、咲希は二十一歳で大学三年生も終わりかけだったが、就職活動で悩んだり焦ったりしている様子は見えなかったように思う。

 サークルにはそれまでも呼ばれていたが、自分のことで精いっぱいというのもあり、立聖が顔を出すことはなかった。その年は父の立貴が亡くなり、ますます根を詰めていた立聖を、気分転換にと美月が強引に誘ったのだ。
 咲希は物怖じせずだれとでも屈託なく接していた。おとなしくないが出しゃばることもない。ソラと変わらない顔から受ける見た目の印象は純真で快活だ。
 立聖がサークルの創設者と知ってから、咲希は熱心にそのことを訊ねてきた。及川証券に勤めていることをつかむと、もっと踏みこんで投資の仕事を知りたいと云った。それに対して、かまわないと答えたかもしれない。
 ひとしきり立聖と話した咲希は、当時のサークル代表に呼ばれたあとは、仲間たちから美月が云う“ちやほや”されていた。漠然と、人気があるんだなと思ったことは憶えている。
 あとから考えると、そう思わせることは咲希の意図だったのだろうと思う。当時、万田生命というバックを明かさなかったことも、そんな必要はないという彼女の自信の表れに違いなかった。

 後日、代表から、咲希が仕事の話を聞きたがっていると電話があったときは、そのとおり仕事の話だろうと思いこんでだ。じかに咲希からの電話ではなかったことが、なんとなくちょうどいい感じがした。立聖の周りは積極的にアプローチしてくる女ばかりだ。裏を返せば、脈がないとあきらめられるのも早いのかもしれない。咲希はそのどちらでもなかった。
 咲希の顔が明確になったことで、立聖の記憶もおおよそが怒濤(どとう)のごとく戻ってきた。
 やはりあの頃は父親を亡くしたときで、判断力は鈍り弱っていたのだろう。咲希の快活さは救いのような気がしていた。
 いまも変わらず、すぐ傍で咲希は何事もなかったように屈託なく笑いかける。

「久しぶりだな。元気そうで何よりだ」
 と、立聖が返したとたん。
「立聖、鼻、痛い!」
 立聖の背中に顔面衝突したソラが訴える。後ろを振り向くと、ソラは指先で鼻を撫でていた。立聖はその様子を見て、ソラを見ても咲希を思いだせなかった理由が漠然とわかった。
 同じ顔をしていても、立聖を見つめてくる目が明らかに違う 。

「そのくらいすぐ治る」
「じゃなくって!」
「じゃなくて、なんだ?」
「もう! このまえのをやって? えっと……いたいのいたいの……」
「ああ、わかった。あとだ 」
 立聖はソラが何を云おうとしたのか察すると慌てて止めた。それから警告を込めて、目を細めてソラを見つめる。
「……わかった。あとで!」
 少し考えるように宙を見やったソラは、やがて立聖と同じセリフで返した。
 立聖はため息混じりでかすかに笑った。
「立ち止まったのはびっくりしたせいだ。おまえも驚くだろ。ほら……」
 ソラの視界を防ぐ形で立っていた立聖は横にずれた。

 立聖を見て首をかしげたソラは、席に着いた万田兄妹を捉え、晄生ちゃん、と親しげに手を振りながら、その隣に座る咲希へと目を向けた。直後、その目が飛びだしそうに丸くなる。そして、どういった反応を示すかと思いきや。
 ソラはいきなり万歳をした。無言の万歳は滑稽極まりない。晄生が堪えきれず吹きだした横で、咲希は見てはいけないものを見てしまったときのようにどう反応していいか戸惑った様子だった。
 ソラが何をしているか、それははじめて鏡を見たときの反応と同じだ。

「ソラ、手は下げていい」
「これ、鏡じゃないの!?」
「違うだろ。人だ。晄生の妹の万田咲希さん」
 手をおろしたあと、ソラがまじまじと見つめるなか、咲希は不愉快だとしてもそんな気配はおくびにも出さず、立聖の紹介に合わせて、こんばんは、とソラに向けて発した。
 咲希にしろ、晄生にどんなふうに聞かされていたのか、ソラほどの驚きは見えなかったものの、動じているのは窺える。多少どころじゃなく似ているせいだろう。

「咲希、この子が神妙ソラさん。な、変わってるだろう」
 日頃から話題にしていると云わんばかりの晄生の発言から、万田家は少なくとも下ふたりの兄妹仲はいいと知れる。
 それなら、五年まえのことも晄生は聞かされているのか。立聖がうんざりした気になるのは、知られているのが嫌なわけではなく、詮索されるのが面倒くさいのだ。
「座れよ」
 晄生が正面の席を指差す。
「ああ。ソラは、日本に帰ったばかりでおかしな言葉遣いするときがあると思うけど、聞き流してくれ」
 咲希の正面の椅子を引いて立聖はソラを座らせた。自分は晄生のまえの席に着く。
『カナダだったよね。英語、フランス語、どっち?』
 咲希は唐突にソラに質問を投げかけた。しかも、流暢な英語だ。

 大企業のバックがついているのなら、英語くらいはぺらぺらと話せるようでなければならない。そんな方針のもと、立聖は英語とドイツ語だけは不自由なく喋れる。
 だが、人間になりたてのソラが英語を話せるかどうかなど知らない。そもそも、日本人が日本人を相手に英語で話すのは、英語を公用語として扱う企業のみだ。
 まったく油断していた。日本語での会話ならわからないですませられても、母国語を使って話しかけられれば、いやでも応えなくてはならない。
 晄生はなんらかの不審を抱いているのかも知れなかった。
 何を?
 まさかとは思うが、ソラの正体を疑っているとしたら、神様ではない証明をどうやってすればいいんだ?
 立聖はあり得ないことまでつい考えてしまった。

『英語のほう』
 咲希の問いに答えたのは立聖ではなくソラ自身だった。
『生まれたときから向こうにいるの?』
『たぶんそう』
『たぶん?』
『立聖、赤ちゃんて生まれたときの記憶ってあるの?』
 慎重に耳を傾けていた立聖はソラから不意打ちの質問を受ける。
「ないな」
 立聖があっさり応えると、ソラは得意そうに咲希に向かう。
「ほらね。だから、たぶん!」
『たぶん』は偉そうに口にする言葉でもないが、ソラはその曖昧さを好んでいる節(ふし)がある。
「確かに、おれだって赤ん坊の頃どこにいたかっていう立証は写真を頼るしかないからな」
 晄生が口を挟んでソラのフォローをした。咲希は納得したのか否か、わずかに身を乗りだしたところを見ると、少なくともソラの背景への興味は薄れていない。

「ソラちゃん……ソラちゃんでいい?」
「いいです」
「ありがとう。わたしのことは好きに呼んでいいから」
 ソラは返事はせずにうなずいている。
「お父さんとお母さんは帰らないの? 立聖のところに滞在してるんでしょ? 何をしてる人?」
 さっきソラがぶつけてきた質問に立聖が日本語で答えたあと、会話は日本語に戻っていたが、その安堵はつかの間、咲希は次々と質問攻勢を続ける。
 見上げてきたソラは、ちゃんと立場をわきまえている。口を閉じたままのソラのかわりに立聖が口を開いた。

「母親は家出をして行方不明。父親は療養中だ。もうソラに立ち入った質問はしないでほしい。晄生はわかっていると思うが、ソラはまさに天然だ。知識も経験も浅い。そういう環境にいたからな。察してほしい」
 立聖は機先を制した。
「そうなんだ。ごめんね、ソラちゃん」
「ううん。それよりもおなか空いた」
 ソラは立聖を見上げて訴えてくる。
「あ、いくつか頼んでるよ。飲み物は何が好き?」
「コーラ! それにあるなら、果物のメロン山盛りがいいの!」
「ぜいたくだな。けど、そういうソラちゃんの遠慮のないとこはホント好きだな」

 立聖は思わず顔をしかめた。好き、ということを軽々しく口にできるのは、酔っぱらいか晄生だ。
 このまえ、はじめて覚えた苛立ちの延長のもと、立聖は内心でぼやいた。

 まもなく、咲希が云ったとおり食前酒とカナッペが運ばれてきた。好きな物をのせられるようにトッピングは別添えされている。
 さすがにソラにアルコールを飲ませるのはためらう。立聖はグラスに手を伸ばしかけたソラをコーラで釣り、それが来るのを待って乾杯した。
 そうしながら、この食事会はおかしな組み合わせだと立聖は思う。対面する二組は相容れないが、まったく他人とも云いきれない。少なくとも立聖と万田兄妹は接点があり、どんな意味であれ、別々の道を歩いてきたはずがまたこうやって会うことになった。
 ソラにしろ意外なところで繋がっている。
 なぜ、もとは意識体だというソラが人間を被って、その顔が咲希のコピーなのか。よりによって、とそんな言葉が浮かぶ。

 晄生はソラにはじめて会った日、驚くという普通の反応を見せたが、咲希はその晄生から聞かされていたせいか、ソラを見ても、立聖やソラ、そして晄生のような、びっくり仰天というほどの驚きは見せなかった。咲希の興味は、自分と似ているソラの顔よりもソラ自身にあるように見えた。
 意外と、自分の顔を客観的に見ることがないぶん、似ていると実感が湧かないのかもしれない。それに、くちびるに色をつけただけのソラと、隙なくメイクを施した咲希は、顔のつくりは同じでもはっきり雰囲気が違っている。
 立聖も冷静に戻れば、似てないなとつぶやきそうになって、そんな自分の気持ちが当然ながらわかる。
 晄生は単におもしろがってこういう機会をつくったのだろうが、とにかく、この食事会が何事もなく終わるように願うしかない。

 食事はペースを見ながら追加注文をして進んでいった。
 親しくもない二組の間でなんの共通の話題があるかといえば、晄生が大手の新規上場の話を持ちだしたことがきっかけになり、国内にとどまらず世界の情勢という無味乾燥ぶりだ。巨大で広い、一見するとそんなイメージも浮かぶが、ほかの話題がすぐには浮かばないことで、立聖はかえって自分の世間の狭さを知った。
 もっとも、ソラに通じる話題ではなく、厳密に共通するのは三人だ。自分を置いて進んでいく話にソラが退屈しているかといえば、食べることに専念して、むしろ美味しそうだ。――もとい、楽しそうだ。

「保険会社の営業もたいへんなのよね。企業だろうが個人だろうが、もう加入してないっていうほうが少なくて。でも及川証券と……」
「立聖、お肉のトマト煮、美味しいねぇ」
 ソラはタイミングを図るでもなく、咲希が喋っているさなかに割りこんだ。ソラを振り向くと、子供っぽい満面の笑みが向けられた。口角にトマトの果肉が付着している。
「食べすぎないようにしろ」
「半分こにする」
「それが無難だ」
「満島さんに頼んだら、これ作ってくれ……?」
「及川さんてそういうことするんですね」
 今度はソラが云っているさなかに咲希が唐突に割りこんできた。

 立聖はふと手を止めた。咲希が指摘した『そういうこと』を、立聖自身はまったく意識していなかった。再び手を動かして、ソラのもう片方の口角を親指の腹で拭い、立聖はそれを舐め取った。
「ソラの面倒をみることを云ってるんだったら、おれしかいないっていう必要に迫られてのことだ。意識してなかった。もう癖(くせ)になってるんだな。きみに指摘されるまで気づかなかった」
 本来、割りこんできた言葉は驚きのもと発せられたはずが、咲希の様子を見れば、いま立聖が応えたような理由を聞きたかったのかもしれない。咲希は晄生に目配せをした。
「ソラちゃん、サラダバーに行かないか?」
 晄生がソラに声をかける。見え見えのやり方だ。それを恥じ入らずやるのはこの兄妹だからなのか。
「うん」
 ソラはなんの迷いもなく、うなずいて快諾した。
 おかわり自由のサラダバーにソラは夢中だ。性欲と食欲は相対するというが、性欲が満たされないぶん、食欲に走るという、ソラはその典型的な症状を証明している。

「ソラちゃんのことが心配?」
 ソラが席を立って出ていくと、咲希が問いかけた。立聖はゆっくりと斜め向かいにいる咲希に目を向けた。
「さっき云ったとおりだ」
 立聖は肩をそびやかした。
 咲希はわずかに首をかしげて質問を重ねる。
「やってることは、恋人というよりは父親っぽく見えちゃう」
「人がどう見ようとかまわない」
 立聖の答えには満足しなかったようで、かすかにこわばった気配が感じとれた。

 あらためて咲希を見ると、歳の差は多少考慮する必要はあるが、ソラとは一卵性双子と紹介してもだれ一人疑わないだろう。だが、ソラに感じる身近さを咲希にはまったく感じない。
 はじめて会ったときの――二十一歳だった咲希を思いだしてみるが、出会い方が異なるだけにどんな気持ちを抱いたか、比較は簡単ではない。加えて、いまは咲希が見かけほど純真じゃないことを知っている。
 つい先日、涙を見せたソラが演技をしているとは思えない。違いはそこだ。
 そうして、立聖は美月の忠告を思いだした。
 咲希がいま何を訊きたかったのか。『恋人というよりは』という言葉を否定してほしかったのだ。

「そういう無頓着なところ、変わりませんね」
「無頓着?」
「あっさりふられましたから」
「ふった憶えはない。それ以前の問題だったと記憶してる」
「……悪かったと思ってます。いまは完全にフリーです。及川さんも結婚してないし……」
「タイミングが合わないようだ」
「それじゃあ、ソラちゃんと?」
「ソラは関係ない。その気になれないということだ」
「そういう及川さんの冷静なところが怖くて、バカなことしたんですよ。わたし、まだ大学生だったから」

 五年まえ、簡単に云えば、少なくとも咲希は二股(ふたまた)をかけていた。正確には、そうしかけていた。
 彼女が当時、付き合っていたのは投資サークルの副代表だった。
 ふたりで会うのは三度めだっただろうか。咲希の買い物に付き合い、別れたすぐあとに男は現れて、彼女についてあることないことを立聖に教えていった。
 自分の親は家電メーカーの社長で、そのまえの元カレの親は大手病院の院長で、よりいいステータスを持った男に乗り換える女だと吹きこむ。咲希が万田生命のことを話さなかったように立聖もわざわざ及川証券の後継者候補だと話すことはなかったが、見当はつけられる。ただ、その男の一方的な話を鵜呑みにするよりも、咲希から直接、云い分を聞くべきだと思った。
 そうして咲希に確かめれば、付き合っていることを認め、立聖に対しては乗り換えではなく本当に気持ちの問題だと訴えてくる。
 それならそれで順番が違う。適度に遊んできた立聖にはそう云う資格はないのかもしれない。云い訳をすれば、相手に何を期待させるかさせないか、それを示しておくことを最低限のルールとして守ってきた。レッテルを貼りたくはなかったが、嘘や欺瞞(ぎまん)は不信を呼び、これからさき完全に消えることはない。嘘を貫き通さないだけ、まだましなのか。立聖は深入りするまえに退いた。

「昔のことは気にしてない」
 忘れてくれていい、と続けようとした言葉は――
「そう云ってもらえるとほっとしちゃう」
 と、さえぎられたすえ、咲希は昔を思いださせる笑顔を浮かべた。安堵を見せることで頼りなさを醸しだし、ほっとけなくさせるという無邪気さが漂う笑い方だ。
 そこに計算はあるのかないのか、五年まえはそれが有効に働いていたが、いまの立聖に効果は及ばなかった。そうわかってほっとするのは、自分が記憶している以上に当時は咲希に期待していたという証拠なのだろうか。

「万田生命のコーポレート部にいるそうだな。トップの身内だと働きにくいだろ」
「働きにくいのは周りの人のほうかも。文句云えないじゃない?」
 咲希はおどけたふうに首をすくめた。
「確かにそうかもな」
 下手すると、部下として厳しく望んでも指導が甘くなり、同僚や先輩や上司としても、何気ない進言が遠慮がちになり、些細なことが良案になるチャンスを奪ってしまう。だからこそ、父の補佐だった三浦を相棒以上にアドバイザーとして、そして秘書には気の置けない美月をつけた。
 いまソラを実習生として置いていることは、その努力を無駄にしている気もする。
 ソラがいればいるで気が散る。いないならいないで何かやらかしていないかと焦る。

「ソラちゃんて」
 ソラはまだかと振り向こうとした矢先、咲希は見抜いたようにソラの名を出した。
「家庭環境があまりよくなかったってこと?」
 咲希は立聖がほのめかしたとおりに受けとっている。そうしておけば、勉学に疎(うと)いこともおかしな行動も説明がつく。そこからさき曖昧にしておけば、人は主観によって自分のなかに勝手に物語をつくりあげていく。
「いいのか悪いのか、おれは判断できない。ソラを見ているかぎりじゃ、悪いと思っていなかったんだろう」
「ごめんなさい、立ち入ったことに口出して。兄の話じゃ、中学の数学の勉強をやってるってことだけど、頭は悪くなさそうだし、英語ができて日本語も通じる。本当に不思議な感じだと思って」
 立聖自身、ソラが英語まで話せるとは思っていなかったが、考えてみれば“神様”だ。脳内に高性能な自動翻訳機でもあって、未開の先住民の言葉さえ喋れるのではないか。ソラに訊いてみたいところだ。
「謝ることはない」
 立聖はまったく気にしていないと首を軽く横に振る。そこへソラがプレートを持って晄生と一緒に帰ってきた。

「多すぎじゃないか」
 ソラのプレートは、見た目感ゼロ、量感は満点といったシーザーサラダが山盛りだ。二度め、つまりおかわりで、カリカリのベーコンにすり下ろしのチーズは、トマト煮と同等にソラのお気に入りになったようだ。
「おなかは大丈夫!」
 立聖が吐息を漏らす一方で晄生が笑う。
「こぼさないかとハラハラしたけど、おれが持とうかと云っても聞かなかった。ソラちゃんはいろいろと独創的だ」
 晄生の独創的という言葉に、なんらかの意が見えたと思うのは立聖が気をまわしすぎているのか。油断していたが、会社ではソラの傍には立聖がいなくとも三浦か美月がいて、ソラは間接的に常に立聖の監視下にある。が、たったいま、ソラは完全無防備だった。ふたりきりでどんな会話がなされたのかなされなかったのか、そんなこともわからない。

「ソラちゃんはダイエットなんて気にしないでよさそうね」
「ダイエット? それよりも食べてるほうが好き。咲希ちゃん、ダイエットしてるの?」
「ダイエットまではやってないけど、食べすぎないように気をつけてるの」
「あ、それはあたしもおんなじ。食べすぎるとおなかが痛くなるから」
「おなか痛くなるほど食べるって……」
 云いかけた咲希はふと口を噤んで、おもしろがっていたのをごまかすように笑った。ろくに食べられないほど家庭環境が悪かった、という想像力が働いたのかもしれない。
 ソラは咲希を見つめて何か云いたそうにしながら首をかしげた。
「食べるのって好き」
「じゃあ、新しいとこにまた食べにいこうか」
 晄生の誘いにソラは笑顔で応えている。
 それがソラと晄生のふたりきりじゃないとしても、断固として断る。立聖は内心でそんな誓いを立てる。

「咲希ちゃん、教えてもらいたいことがあるの」
 ソラは云いながら、それまでになく好奇の目を咲希に向けている。立聖の嫌な予感はいつも直前にしか発動しない。
「どうしたら咲希ちゃんみたいなコールガールになれるの?」
 名誉毀損、侮辱罪。そんな法律はソラには通用せず、無論、悪意もなく、むしろソラは羨望して云ったのだが。
 嫌な予感はつかの間、一転、立聖は過去に照らし合わせてみて、ソラは意外といいところを突いているのかもしれないと興じた。

NEXTBACKDOOR

Material by MIZUTAMA.