NEXTBACKDOOR|神様はコールガール!

第4章 雨と無知
3.神様だって傷つく

 ソラを見てだれを思いだすか。
 美月が云うヒントから考えているが、ソラがずっと傍でうろついているいま、かえってだれも思い浮かばない。
 思いだしたのは、及川家に連れてきた日、初対面だった美月がひどく驚いていたこと、伴い、立輔もそうだったことだ。つまり、似ているのは美月と立輔の共通の知人ということになる。ということは、家に連れてきたことのある友人か、会社関係かと絞られそうだが、一人も候補は見当たらない。一瞬、母の光沙に似ているのかと思ったがまったく違う。
 普通、ヒントというのは、ある程度すればわかるようなことを提供するんじゃないのか――と、そのまま美月に云ってみたが。
『思い当たらないなら、立聖にとって大したことない人なんだろうし、ソラちゃんがいるいま、気にしなくていいんじゃない? 問題は問題にならないと思うわ』
 と、自分が意味ありげに振ったくせに、あっさりと立聖の追及心を退けた。
 問題というほどのことが、立聖の記憶欠如とソラがいることで、どう解決したというのかまるでわからない。

 終業時間を一時間すぎて外回りから戻り、立聖はエレベーターを降りると周囲を注意深く見ながらワークエリアに向かった。やはりこれといった顔を見いだすことはなかった。ここにいるとしたら三浦もぴんとくるはずがそうならないという時点で、三浦の知った人物は候補者リストから抹消される。
 リーダー室に入ると、立聖はドアから二歩入ったところでつと立ち止まった。

「ソラちゃん、すごいな。呑みこみが早い」
 ソラのすぐ傍に立って、一緒にタブレットを覗きこんでいるのは晄生だった。
「晄生ちゃん、ご褒美は?」
「了解。はい、どうぞ」
 すくうようにかまえたソラの手のひらに、晄生が何かをぽとりと落とす。
「ありがとう」
 そんな会話がなされるなか、同行していた三浦が立ち止まった立聖の脇を通り抜ける。すると、美月が顔を上げた。立聖と目が合うと、どうしようもないでしょ、といったふうに肩をすくめる。

「あ、立聖!」
 立聖はじろりとソラを睨む。ソラは怯むことなく、立聖の不機嫌な理由を探すようにくるりと目をまわした。
「――じゃなくって、リーダー! おかえりなさい。お疲れさまです。どうでしたか。うまくいきましたか……」
「もういい」
 ソラは、日頃から美月が口にする言葉を並べ立て、立聖はため息混じりで止めた。
「どうだったかおまえに報告してもわからないだろ」
 続けているさなか、晄生がかがめていた躰を起こして揶揄するように立聖を見やった。
「お疲れさま」
「お疲れさま。ここで何油売ってるんだ」
 立聖は自分のデスクに向かいながら、素っ気なく晄生に放った。べつに返事を期待していたわけではなく、出ていけと遠回しに云ったつもりが。
「油売るとか人聞き悪くないか。もう六時だ。終業時間は五時だと聞かされてたけど」
「そのとおりだ。うまい料理を思う存分、食べに行ったらどうなんだ?」
「その食事を誘いに来たんだ」
 晄生はにやりと口を歪めた。してやったりとまではいかないが、好機を得たような様だ。

「今日の今日で誘いに乗れるほど時間に余裕はない」
「もちろん、それはそうだろうさ。だから、今日じゃなくて週末の話だ。ソラちゃんも一緒に。な、ソラちゃん」
「な、晄生ちゃん」
 ソラは意味をわかっているのかどうか、軽く晄生の呼びかけに釣られている。晄生は声を出して笑う。
「おもしろいな、ソラちゃんは。いい刺激になるし、もっと親しくなりたいと思ってさ。金曜日の夜がだめなら、おまえの都合のいい日を教えてくれよ。合わせる」
 晄生に付き合う義理などないが、ここで断って得するようなこともない。
「金曜日でいい」
「ジョワイユに七時だ。ソラちゃん、待ってるよ」
「うん」
 晄生は、じゃあな、とだれにともなく云いながら手を軽く上げて部屋を出ていった。

 その後の不自然な沈黙を破ったのは、立聖がデスクにビジネスバッグを置いた瞬間の必要以上に大きな音だった。
 デスクが揺れて、すぐ隣につけたソラのデスクまで振動が伝わる。ソラの手がふるえて、軽く持っていたタッチペンが跳ねて転がった。デスクの端から落ちそうになる瞬間――小さなデスクは手を伸ばすだけで届くはずが、ソラは躰ごと手を伸ばす。
「ソラ!」
 立聖は無意識に手を出したが、車輪のついた椅子のせいでソラをつかまえるには百分の一秒差で遅かった。ソラは椅子からすかされたように転げ落ちる。ソラがデスクの角をつかもうとしたのは本能なのか、その刹那、何かがソラの手からこぼれた。確認する間などなく、結局はそれも躰を支えるには役に立たなかった。ただし、立聖が受けとめる時間は稼いだ。床にぶつかる寸前、立聖はソラの頭を抱えこんだ。躰の片側に生じた衝撃を受けとめつつ、椅子の倒れた残響のなか立聖は大きく息をついた。

「立聖、大丈夫!?」
「大丈夫ですか!?」
 美月と三浦が同時に慌てた声で呼びかけた。
「大丈夫だ。慣れてる」
 慣れたくもないが、ケガしてもソラには治癒力があるとわかっていながら、躰が動いてしまっている。
 何事かと覗く社員もいたが、立聖がかまわないかわりに三浦がなんでもないと追い払った。
 月曜日に届いた小振りの新しいデスクを立聖の隣に据え、おまえのだ、というとソラは大喜びで、歓声をあげながら人目もはばからず立聖に抱きついた。人目とは、美月と三浦のほかに社員数名、つまり手越への口止めは無駄になるという始末だ。
 もう社員たちに対して体裁を取り繕ってもしかたがない。

「ソラ、大丈夫だな」
「見て、つかまえたよ!」
 立聖が無様に転ぼうと必死だったことは報われず、ソラは誇らしげにキャッチしていたタッチペンを掲げた。そうしてすぐさま起きあがってきょろきょろと辺りを見たソラは、手を伸ばして何かをつかむ。その感触を確かめるように何度か握り直している。大事そうなしぐさに見えた。
「晄生ちゃんからもらった宝石も大丈夫! 見て、……」
「いいかげんにしてくれ」
 唐突にかちんと来た。立聖は苛々したまま吐き捨て、ソラを無造作に起こしながら自分も起きあがる。
「立聖」
 ソラが声をかけても無視して立聖はジャケットの塵(ちり)を払った。
「じゃなくって、リーダー!」
 ソラは何を思ってのことか云い直したが、それでも応じなかった。すると、ソラは自分の服を叩きだして立聖の真似をする。
「もういい。真似なんかするな。おまえは人間じゃない。嫌いな人間の真似をすることないだろ」

 きょとんとしたソラを放って椅子に座ると、立聖はビジネスバッグから書類を取りだした。美月と三浦を気まずくさせているとわかっていても気がおさまらない。なんに苛立っているのか、自分でも明確に示せない。
 放られたまま立っていたソラはまもなく、三浦が起こしてくれた椅子に座り、ありがとう、と云ってから席に着いた。そうして、何事もなかったようにタブレットに向かった。

 しばらくして、隣を流し目に見ると、ソラはタブレットを熱心に見入っている。
 週末を超え、出勤し始めてから十日になるが、ひらがなとカタカナに続いて、漢字も早々と習得した。なんでも、漢字は組み合わせだから、と、その漢字がわかりさえすれば書けるらしい。
 よくよく考えれば、ソラは電波を操って、スマホも何も通信媒体を持たず、脳内に情報を引っ張りだしてくる。つまり、脳内にその漢字が浮かべばすぐに文字化できるという具合だ。
 今週に入って、ソラは算数に手をつけた。とりあえず中学の関数まで理解できれば社会で不自由することはない。そうして立聖がちょっと教えると、ソラはあっという間に自分で習得していく。ルールがあるから簡単だという。いまはクイズゲームの感覚で計算に挑んでいる。

 人間をライバル視させるようなことを云うとソラは向きになる。だが、実際のところ、ソラが本気になれば、人間はライバルにすらなれないだろう。となれば、一点集中しかできないという単純さは、ソラの唯一の弱点であり、それを改めてしまったらそれこそ脅威になるおそれがある。
 常から、落ち着けとか周りを見ろとか忠告しているが、立聖はよけいなことをしているのかもしれない。地球が欲しいと一点集中されれば、そもそもなんの手立てもない。

 そもそも、といえば、なぜソラは立聖に執着するのか。
 晄生といるのを見てわかった気がする。
 鳥の刷りこみと同じだ。雛(ひな)は最初に追いかける相手を親だと思いこむ。それがソラにとってはたまたま立聖だっただけの話で、その立場が晄生であってもおかしくはなかった。
 横取りなど、立聖に執着するソラの意思を動かさなければ不可能だと思っていたが、所詮、人間嫌いで目移りする神様だ。気に喰わなければ、目移りしてどこかに行く。
 子守なんてもううんざりだ。

「立聖、これ、なんて書いてある?」
 隣からソラがタブレットを差しだした。
 ちらりと画面を見ると、単純な小数点の計算だ。今朝やったところで、わからないはずはない。立聖は無視を通す。
「ソラちゃん!」
 立聖のかわりに応えた美月は、次には「リーダー!」と咎めた声で発した。
 うんざりと息をつきながら、ソラを見やると目からはらはらと涙を落としていた。
「これ、見えないの」
 ソラは云いながらタブレットを差した。涙越しなら確かにぼやけて見にくい。
「立聖、悲しくて死にそう」
「おまえは意識体だから死なないんだろ」
 立聖のなかで後ろめたさと後悔と情けなさが相集う。
「でも……うっ」
 ソラの口が歪み嗚咽が漏れると、立聖はひどい罪悪感に襲われた。

 どう収拾をつければいいのか探しているさなか、ソラのデスクに転がった飴玉が目につく。クリアな包みにグリーン色の飴が入っている。
 これが晄生からもらった宝石か?
 自問自答したとたん、ホテルでソラが氷を宝石に間違えていたことを思いだす。
 立聖は飴をつかんで中身を取りだすと、ソラの口に押しつけた。かすかにふるえるくちびるは容易に開き、するとソラは反射的に口を開けて飴を含んだ。
 涙をこぼしながら口をもごもごと動かすソラは、突然、目を見開いた。

「立聖、……んっ」
 叫びかけていたソラは飴を吸いこんだようだ。立聖は急いでソラの背中を叩いた。喘いだソラの口から飴が飛びだしてしまう。
 床に落ちた飴は跳ねて転がり、そして止まった。
「拾うな」
 腰を浮かしかけたソラを制した。
「床に落とした物は食べるなと教えただろ」
「宝石って食べる物?」
 びっくり眼は潤んだままで、照明を受け、星が瞬くようにキラキラと輝く。だが、星のようにはけっして消えない。それは、確信よりはもしかしたら希望だ。
「宝石じゃない。飴だ」
「甘い、よね?」
 ああ、と応じた立聖は、ガキっぽかった自分の振る舞いにげんなりしてため息をつく。
「飴は帰りに買ってやる」
「ほんと?」
 ソラははしゃぐことなく、その訊き方ははじめて見せるためらいだった。
「ああ」
「立聖」
「なんだ」
「すごく、いい気分」
 ソラのくちびるがうれしそうに弧を描いた。
「ソラちゃん、その気持ちって幸せってことよ。たぶんね」
 美月が口を挟むと、幸せ、とつぶやいてソラは納得したのかウンウンとうなずいた。

 神様も傷つけば、気を遣うこともある。ソラは短い時間でも着実に人間に近づいていっているように思えた。

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Material by MIZUTAMA.