NEXTBACKDOOR|神様はコールガール!

第3章 I am ... .
3.神様、好きを叫ぶ

 何が立輔の意向を急激に変えたのか。
 ソラがガラス棚から取りだした花瓶は、立聖が七歳のとき五十三歳という若さで亡くなった祖母、絢子(あやこ)のお気に入りだった。だからこそ、立輔は使わずに大切にしまっていた。
 そして、ソラが花瓶を置いた場所は、絢子がここと決めていた場所と同じだったらしい。

 三階の出窓から夜空を見上げていた立聖は、窓際から少し離れたところに据えたデスクを見やった。新たにそこに置かれたもの、写真立てに目を留め、それから近づいてパソコンの電源を落とした。
 風呂をすませたら仕事の続きをやろうと思っていたが、いざ戻ってくるとその気になれない。きっとこの二日間、仕事を離れていたせいだ。

 シガレットケースを取りあげる。ちょうどそのときドアに何かがぶつかった。振動の度合いに鑑みれば明らかにノックではなく、その証拠にドア越しに呻き声が発生している。三拍くらい置いてからドアが開いた。
「立聖」
 現れたのはソラ以外に考えられないが、彼女は額と鼻を手のひらで撫でながら情けない声を出す。つまりドアにぶつけたらしい。
「何やってるんだ」
「ドア、開けないと通れなかった」
「あたりまえだ」
「だって、立聖にぶつかるまでそういうことなかったから」
 ソラは下くちびるを突きだした。

 そう云われれば、ソラはあの窓を割りもせずに立聖に飛びこんできたんだった。この二日間を回想してみれば、ドアは開けっ放しか、立聖が開けてやっていたわけで、ソラが単独で通り抜けることはなかった。躰は人間だという基本的な認識が必要らしい。
「傷ができてもすぐ治るんだろうが、不必要に痛い思いすることはない。人間が嫌いであっても、おまえは少なくとも躰は人間なんだ。気をつけろ」
「めんどくさい」
 まだ喋ることに関しては見習い中のくせになかなかの切り返しだった。

「パンは?」
 そう訊ねると、立聖が何を云わんとしているか察したようでソラはうなずいた。
「コーラは?」
「……好き」
「メロンは?」
「好き」
「コールガールは?」
「好き!」
「人間もいいだろ」
「立聖はもっと好き!」
 立聖は力なく笑った。そこそこちやほやされてきて告白されたこともあったが、面と向かってこんなふうに叫ばれたことはない。

「で、なんだ」
 ソラがハッとしたところをみると、例のごとくほかのことに気を取られてどうやらここに来た用事をすっかり忘れていたらしい。
「ふとんのなかに入るんだけど気絶できないの。ずっと起きてるのって詰まらない。コールガールの修行したらいいと思うの」
 と云いながら、今日、買ったばかりのベビードールを脱ぎかける。すぐさま立聖は、肩ひもをずらそうとしたソラの手を止めた。
「だめだ。まだ二十歳になってない。まずは……」
「落ち着くこと!」
「そうだ。おまえはいまもここに来た目的を忘れてたな。加えて、お箸を使えるようになることだ」
 ソラはあからさまにむくれた顔で睨めつけてくる。

 昼の食事会は滞りなく、とは云いがたい。ホテルで食事の取り方は多少学んでいたが、スプーンとフォーク、そしてナイフのマナーのみでお箸を使うことはなかった。おかげで、昼食のときはお箸を投げだしたり、手づかみをしたりと、立聖を含めだれもを呆れさせていた。
 その後、美月たちと一緒に出かけて、ソラの洋服や下着など買っているときは、着方がわからないと云い、試着室からキャミソール姿で出てきて店員を慌てさせた。店員だけでなく美月にも触らせることを嫌い、しかたなく立聖が試着室に一緒に入るという始末だ。
 帰ってきたらきたで、買い物袋を持ちきれないほど携えて三階の一室に運びこんだすえ、その充てがわれた部屋が立聖と別の部屋だと知って、ソラは癇癪を起こしそうになった。
 二十歳になる自信ないのか、と煽ってみると、顎をくいと上げて乗ってきた。
 そこまではうまくいっていたものの、ここにきて気絶できないときた。

 それらの不満が、いま立聖を見上げてくる眼差しに集結している。
 ソラの機嫌を損ねている以上、またこっちの動きを封じられるかもしれない。無理やり立聖を襲ってくるということも考えられなくはない。男を犯すのは難しい。だが、立聖の場合、少なくともソラに限っては発情させられることが立証ずみだ。
 そのおそれはあったが、立聖は引かなかった。そして、ソラがそのおそれを実現することもなかった。
 視線を斜め上にずらし、考えこむようにしていたソラはまもなく立聖に向かった。
「じゃあここで立聖を見てる。独りって詰まらなくて無理なの!」
 自分の意思を押しとおさなかっただけでましなのか。立聖はため息をついた。
「勝手にしろ」
 半ば投げやりにつぶやくと、ソラは大きくうなずいて笑顔を見せた。

 本気で見てるだけのつもりか、立聖は試してみたい気になった。
 煙草を咥え、火をともすと一服してベッドに入った。ベッドヘッドに枕を寄せ、そこに寄りかかると、煙草を摘んで空中に紫煙をまき散らす。
 紫煙を散らすたびにその行方を追っていたソラは、しばらくすると飽きたのか、デスクの上に目を向けた。
 そこに近づくと、ソラは自分がリビングから持ってきた写真立てを手に取った。

「ねぇ、立聖」
「なんだ」
「冷たいの」
「何が」
 ソラは自分の躰を見下ろしてから顔を上げる。
「全部」
「夏だから寒いはずはない。空調は――温度も湿度も整えてあるからちょうどいい」
 率直なソラが、わざと遠回しに示唆しているのか、純粋に訴えているのか、判断がつかず、立聖はわざと惚けてみた。
 ソラは肩をすくめるという素振りを見せた。そのしぐさをよく見れば、寒さに身をすくめていると取れなくはない。
「ソラ」
 気づくと名を呼んでいた。その声音に何を聞き遂げたのか、ソラは写真立てを持ったまま近づいてきた。
 立聖は手を伸ばしてベッド脇に立つソラの腕を取った。すると、夏場に信じられないほど肌は冷たくなっている。
「ソラ、来い。入っていい」

 ふとんをはぐると、とたんにソラの顔に笑みが浮かぶ。うなずいていそいそとベッドに上がってくる。寝転がるのを手助けしていると、ソラが訴えたとおり、腕だけでなく躰全体が冷たい。
「まさか、温度調節ができないってわけじゃないよな」
「冷たいのはずっとそうだったから慣れてるけど、冷たいのが続くとこの躰がだめみたい」
「あたりまえだ」
 立聖は自分とソラの上にふとんをかけた。ふとんの下で背後からソラを引き寄せると、立聖は自分の躰でくるむというオーソドックスな温め方をした。
「あったかーい」
 やがて間延びした声が立聖の耳に届く。そのとおり、ひんやりしていた躰が反対に熱を発し始める。

「ねぇ立聖」
 ソラは呼びかけながら、胸に抱えていた写真をふとんのなかから出した。
「なんだ」
「このお父さんとお母さんの間にいる子供、だれ?」
 両親と立聖のほかにだれがそこに写っていたかと考えたのは一瞬で、次には呆気にとられた。
「だれって、それはおれしかないだろ」
「え!?」
 驚愕したひと言を発しながら、ソラはくるりと躰の向きを変えた。
「え、ってなんだ。こっちのほうが驚く」
「だって、立聖、これでしょ」
 と、立聖の顔を指差しながらソラは眉をひそめ、「こっちは七歳? 八歳?」と問いかけた。それで合点がいった。ソラは成長するということをわかっていないのだ。写真の立聖と、目のまえの立聖がまったくの別人だと思っている。
「人間は生まれてくると必ず〇歳から始まって、少しずつ大きくなっていく。ウィルだってあと十八年たったら二十歳になるんだ」
「ウィル! おっきくなるの!?」
 滑稽なほどソラはびっくりしている。神様の思考回路も万全とは行かないようだ。立聖からすれば、むしろ、赤ん坊は死ぬまで赤ん坊のまま、という考えのほうが驚く。
「ああ」
「……そうなんだ」

 本当に納得したのか、ソラはつぶやいた。放心した気配のまま沈黙がはびこる。そうしてソラは一つ吐息をこぼすと別の質問が浮かんだようで、立聖をつぶさに見上げてくる。
「ね、立聖、記憶はいまのぶんだけしかないって云った。それならどうして死んだ人間の意識がそのままここに残ってるの?」
「死んだことないから、そんなのわかるわけないだろ」
「人間の意識はちっちゃいし、だから自分で地球を離れたり、遠くに行くことはできない。立聖は立聖の記憶しかないっていうから考えてみた。死んだら地球の意識さんが吸いあげちゃうのかなって思ったのに、立聖のおばあさんもお父さんもお母さんもここにいる。それって何?」
「おまえ、神様じゃないのか。おまえにわからないことをおれがわかったら、おまえの立場ないだろ」
「神様じゃないし、立ってる場所はおんなじだから」
「立場ってそういう意味じゃない。おまえは人間が嫌いで、たぶん下らないと思ってる」
「合ってる!」
「だから、そういう人間にばか呼ばわりされたらどうなんだっていう話だ」
「だから、あたしと立聖の立場はおんなじ」
「なんでだ」
「んー……と、立聖は立聖だし」
 ソラは極めて適当な、あるいはあたりまえのことを云った。

「立聖、立貴と光沙(みさ)はどうして死んじゃったの?」
「ふたりとも病気だ。母はおれが十八歳のとき、乳がんのせいで死んだ。父のことは云っただろ。原因は過労死だった」
「過労死って仕事のしすぎ?」
「ああ。祖父はおれが仕事漬けなのを心配してる。だからあのホテルで強制休暇を取らされたんだ」
「立聖、ずっと休暇しよ!」
 一見すると単純な云い分だが、その裏側には合体したいという意図が含まれているに違いない。
「無理だな」
 ひと言で一蹴すると、ソラのくちびるが尖る。無意識のしぐさにもかかわらず、立聖は抑制を強要された。
「のんびりしてるの、気持ちいいのに」
 そうして、あくびをしたソラは目を閉じた。ソラの頭がのった腕は、急に重みが増したように感じる。
「ソラ?」
 眠れないと云ったくせに、まさに気絶したかのようにソラはすやすやと寝息を立てていた。
 無自覚に抑制を解いたのは男のサガか、立聖の劣情か。その痕跡は、ソラのわずかに開いたくちびるが示している。立聖に欲求を自覚させた。

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Material by MIZUTAMA.