NEXTBACKDOOR|神様はコールガール!

第3章 I am ... .
2.神様の特技

 車中、ソラは周りの景色よりも、車という乗り物自体に興味を示した。エレベーターは最初は嫌がったものの、スーツケースといい車といい、人間よりも無機質の動くものに目が行くようだ。
 車が発進したときは座席に押しつけられて足掻いていた。加速の重力から解放されると、前後左右と目をやって、移動しているのを実感しながら車の機能を確かめ、気に入った様子を見せる。
 それが落ち着いたところでシートベルトを留めてやろうとした。その寸前、立聖のほうが拘束される。後部座席はしなくても違反ではなく、立聖は強制しなかった。立聖も普段からそうするわけではない。ただ、ソラにそうしようとした以上、立聖自身は安全のためだと説明してシートベルトをした。
 案の定、その後、まるで無防備にしたソラは、カーブに差しかかればドアにぶつかったり立聖の側になだれこんできたり、ブレーキがかかればまえにのめって運転席に顔を突入させるという始末だ。けして真田の運転が荒いというわけではない。赤ん坊並みの、ありえないほどバランスが取れていないソラのほうに問題がある。

「申し訳ありません、大丈夫ですか」
 真田が心配と困惑を交えてルームミラー越しに訊ねてくる。
「大丈夫だ。遊んでるだけだから。運転の邪魔になるなら申し訳ない」
「いえ、眠気覚ましにいい刺激になりますよ」
 立聖が真田のジョークに笑っているさなか、ソラはもぞもぞと動きだす。ちらりと横目で見ると、どうやらシートベルトをする気になったようで、ベルトをつかんでいる。が、やはり子供と同じでうまく手繰(たぐ)り寄せられず、ベルトを引っ張ってはもとに戻すということを繰り返している。
「立聖」
 素知らぬふりをしていると、ソラが戸惑った声で呼んだ。
「なんだ」
「これ、して。できない」
「だれが正しい?」
 立聖が流し目に見て訊ねてもソラはすぐには答えない。おれの云うことは聞け、とそう躾(しつ)けるにはちょうどいいと思ったが、立聖イコール人間ということが頭をもたげて、プライドが許さないのか。
「……立聖」
 まもなくソラは口をわずかに尖らせて答えた。
「それを憶えておけ」
 云い渡して、立聖はソラのシートベルトを締めた。

 三十分もすると閑静な住宅街に入り、それからしばらくして邸宅の並ぶ通りに入った。
 まもなく、限りなく白に近いアイボリー色の及川家が見える。敷地を囲む低い石張りの塀にフェンスをのせ、そこに防犯と目隠しを兼ねてツルバラが絡まる。
 車用の出入り口からなかに入ると、クラシックでありつつ、曲線を利用して優雅さとモダンな雰囲気を醸しだした建物が視界を占めた。
 車はエントランススペースまで進んで止まった。

「立聖、どうやって外すの?」
「ここを押すと外れる」
 立聖は簡単に教えたものの、身の安全を守るはずがシートベルトもまた凶器になり得ることをうっかりしていた。
 固定を解除する金属音がしたとたん。
「あっ、……いったーい!」
 巻き取られるシートベルトの金具がソラの頬を打った。泣きべその顔が立聖を向く。
「悪かった」
 製造物責任(PL)法並みの警告が必要だ。立聖は肝に銘じながら、ソラの頬から彼女の手を放す。そこは赤くなりつつあって、後悔のもとため息が漏れた。
「いたいのいたいのとんでいけ」
 立聖は身をかがめ、とっさに思いついた呪文をつぶやいて、頬を舌で舐める。
 くすぐったいのか、ソラはわずかに身をすくめてくすっと笑った。それだけでほっとさせられるのは、それほど自分がソラに肩入れしているということか。
「いたいのいたいの、っていうの何?」
「痛くなくなるおまじないだ」
 ソラは目を丸くして立聖を見つめる。
「ホント、痛くなくなってる! 立聖、すごいねぇ。人間て、こういう……おまじない? 魔法? そういうのができるんだぁ」
 ただのごまかし文句だが、そういうふうに思わせておくのもいいだろうと、立聖はあえて訂正はしなかった。

 車を降りると、ソラは真田からスーツケースを奪って、立聖が指差した玄関へと転がしていく。真田を引き取らせて、立聖はあとを追った。
「ここ、立聖の家?」
 ソラは木製のドアのまえに立つと、地下一階、地上三階建ての家を見上げた。
「ああ。どうだ?」
「ちっちゃい」
 その答えに立聖は笑う。邸宅街でも及川家はずば抜けて大きいほうだが、確かにインペリアルタワーに比べれば、高さも広さもない。
「これからおれの家族と大事な客に合わせる。子供みたいなことをやるな。二十歳になるまで合体はなしだ。おれもガキを抱くような倒錯した気分になるのは好きじゃない」
 ホテルではちゃっかりソラを好きにしていたくせによく云う。立聖は自分で自分を嗤(わら)う。

「あたしは二十歳なの!」
「おまえの選択モードがそうだってだけだろ。二十歳の振る舞いをよく考えろ」
 ソラは上目遣いで立聖を睨みつけ、あからさまに不満を見せる。
「二十歳だってだれかに認められればいい話だろ。行くぞ」
 ソラは宙にちらりと目をやったあと、機嫌がいいとは云えないまでも、なんの気構えもなくうなずく。
 立聖のほうが気を張っているかもしれない。ソラの紹介は、一歩間違えば虚言者か精神の病かと疑われる。せめて、理解してもらおうという相手が近親者であることが気休めだ。

 立聖は玄関を解錠して観音開きの扉を開けた。
「そこで靴を脱ぐ。スーツケースはそこに置いておけ。あとで片づける」
 云っているうちに、奥からヘルパーの満島(みつしま)が出てきた。
「おかえりなさい……ませ」
 五十代後半という満島は、母親が亡くなる一年まえから通い始めて十三年と、及川家については知り尽くしているベテランのヘルパーだ。立輔には内密のもと、まえもって一人客を連れて帰ると連絡していたにもかかわらず、満島はその落ち着きをもってしてもソラの存在に驚きを隠せていない。
 家に女を連れてくることはないから当然といえば当然だろうが。

「ただいま。彼女のことは向こうで一緒に紹介します」
「はい。いらっしゃいませ。どうぞ」
 表面上は少なくとも歓迎を見せ、満島はスリッパを出した。
 ソラは唐突に下腹部の辺りで手を組んで深々と一礼する。満島の真似であろうことは見当がつく。そのしぐさが満島には受けたようで、明らかに本物の笑みが浮かんだ。
「もう一人、どんな方がお見えになるのかと思っていたら。可愛いお嬢さまですね」
「二十歳です!」
「そう見えますよ」
 ソラの自己主張に何を思ったのか、満島は応え、一方でソラは満面の笑顔でうなずき、立聖を見上げる。
「二十歳!」
 ソラは自分を指さして訴えた。よほど合体にこだわっているらしい。それを条件にした立聖も立聖だが。
「まだだぞ。問題はいまからだ。靴を脱いでスリッパを履く」
 イタリアンタイルの床に上がり、ソラは立聖の見よう見まねでスリッパを履いた。どこにでもある生活習慣にもかかわらず、ソラが不慣れなのは明らかだ。待っていた満島は当惑しながらもニコニコした笑みは絶やさず、奥のリビングへと先立った。
「美月さまご家族と三浦さまもお見えになってますよ」
「ああ、車があった」

 ダイニングとリビングの間には壁がなく動線が長い。ダイニングテーブルには食器が並べられ、リビング側を見ると、アイボリー色の床に敷いたペルシャ絨毯の存在感が際立っている。テーブルを上に置き、それを囲むようにソファが据えられている。立聖たちが現れるとそこに座った面々の双眸(そうぼう)が一斉に向かってきた。
「おかえり」
「立聖、おかえりなさい」
 立輔と美月に続いて、三浦とヒューの挨拶言葉が加わる。
「ただいま」
「どうだった、休暇は……」
 云いかけた立輔は、立聖の背後に現れたソラを見て口を噤(つぐ)んだ。
「その子……」
 美月が目を見開いて云いかけ、やはり口を噤む。

 “だれかを連れてきたこと”ではなく、立聖が連れ帰った人物が――正確には人ではないが――それが“ソラ”だということに驚いている。
 立輔と美月の様子から、立聖はそんなふうに感じた。

 立聖は不自然に沈黙したふたりを見比べる。三浦とヒューの表情に変化は見られず、それなら立輔と美月に共通するのはなんだ。
 立聖は横に来たソラを見下ろした。ちょうど見上げてきたソラは当然、彼らを知っているふうではない。ただ、何かを探し当てたかのように目がキラキラしている。
「立聖! 子供! 人間の子供がいるよ。あれ何歳!?」
 立聖が制するよりも、ソラがウィルを指さして口を開くほうが早かった。美月を見て“女”だと興奮していたときとまったく変わらない乗りだ。
「ウィルは二歳よ」
 息子への“あれ”呼ばわりに気分を害することなく、美月は片方だけ眉をひょいと上げて答えた。“あれ”と云われた張本人はどこ吹く風で、美月の膝の上でおもちゃのヘリコプターを振りまわしている。

「立聖、あれ二歳! ほら、あたし二十歳でしょ?」
 立聖を見上げる顔は期待に満ちている。
「まだだ。まず挨拶からだろ。それが二十歳の人間だ」
 ソラがむくれる一方で。
「二十歳?」
 美月は意外そうにしながらも妙に納得したという声音で問いかけた。問うというより確認しているのか。自分で自分の質問にうなずいている。
 美月の向かい側で、身を乗りだすようにしていた立輔もまた、何か落着したような様でソファの背もたれに躰を預けた。考えを一掃するように首を振っている。
「なんなんだ……」
「あたし二十歳です!」
 美月の反応を前向きに捉え、気をよくしたらしいソラの声が被さる。それからさっきの挨拶を思いだしたらしく、ソラはお辞儀をした。
「こんにちは、ソラです。よろしくお願いします」
「ソラちゃん? 可愛い名前ね。わたしは桐明美月よ。会社で立聖の秘書をしているの。息子のウィルはもうわかるわよね。こっちのブロンドの彼はヒュー、わたしの夫よ」
「Hi!」
 美月の紹介を受けて、隣に座ったヒューが軽く手を上げる。
「ハイ」
 首をかしげたあと、ソラは真似をして同じように手を上げる。
 失笑が漏れるなか、三浦が立ちあがった。

 三浦には、まず立輔と美月の反応を見てからソラのことは打ち明けようと思っていたが、結局は早かろうが遅かろうが事実は変わらず、何度も説明するのも面倒になって一緒に呼び寄せた。ソラの存在に驚いていないはずはなく、おかしな言動に気づかないということもあり得ず、それでも落ち着き払っている。三浦のストイックぶりは、立聖よりひと回りもふた回りもうわてだ。

「三浦健吾です。及川リーダーと――立聖さんと一緒に仕事をしてます」
 三浦はいつもと違い、ポロシャツにカーゴパンツとカジュアルな恰好だが、一礼するしぐさは変わらず堅苦しい。
 ソラはやはり真似をして斜め四十五度の挨拶を返す。
「わたしは立聖の祖父だ。立輔という」
 続いて自ら紹介をした立輔は横柄な様でうなずき、対してソラは胸を反らすと威張ったしぐさでうなずいた。
 ソラの振る舞いにおそらくだれもが呆れているだろうというさなか、背後でくすっと笑みがこぼれる。
「ソラ、ヘルパーの満島さんだ」
 立聖は後ろに向きを変えてあらためて満島を紹介した。
「ソラさん、よろしくお願いします。お食事をご用意致しますね」
「食事! よろしくお願いします!」
 食事と聞いたとたん、ソラは涎(よだれ)をたらす狼の勢いで応じた。腹をこわすのは懲(こ)りたらしく、いや、だれも好きこのんでこわす奴はいないだろうが、ソラは用心しつつ食事を好んでいる。いまの彼女の様子を見るかぎり、玄関先でのことといい、満島はソラの胃袋ではなくとも心をすでにつかんでいるようだ。

「おじいさん、勝手に悪いんですが、ソラは今日からここに住まわせます」
 明日地球が終わると告げられたなら驚きと同時に、ばかげている、とそんな気持ちも湧くだろう。立聖の唐突な報告は、面々にそんな驚きをもたらした。
 特に立輔は、顔をしかめて険しく立聖を見やる。ソラへといったん目を転じてからまた戻した。
「どういうことだ」
「そのままですよ。行くところがないらしいので」
「行くところがない?」
 云いながら立輔はじっくりとソラの形(なり)を見た。胡散臭(うさんくさ)そうにしたのは云うまでもなく、美月までもが身を乗りだした。
「ソラちゃん、学生? それとも働いてる?」
「そういうんじゃ……」
「あたしはコールガールです!」
 ソラのとんでもない発言は室内をしんとさせる。コールガールということに引いたのか、それともジョークと捉えようにもどう反応していいか戸惑っているのか。
 なんの段取りも有効に働かない。立聖はため息をついた。

「スイートルームでソラとぶつかったときは、電話のこともあったし、てっきりおじいさんの差し金で彼女が用意されたんだと思ったんですが」
「私はコールガールなど呼んでないぞ。ガードマンもホテルの従業員からも、おまえが女といるという報告は受けていない」
「そうでしょうね。ですが、ソラはいました。ホテル代はソラのぶんまで支払いをお願いします。オーナーだからといって特別扱いは必要ない」
「どういうことなの?」
「ソラは密室のなかに突然現れた」
「どうやって?」
 その問いへの答えは突拍子もない話だと察しているのだろう、三浦がめずらしく関心を寄せた。
「ソラ、どこからどうやって来たのか教えられるか」
「うん。あたし、ずっとずっと遠いところから、地球が欲しくてきたの」
 ソラは仰向いて天井を指差した。
「近づいたら、地球の意識さんに怒られて、地球をくれるかどうか、人間になってみて交渉はそれからだって云われた。話してたらいつの間にか地球に落っこちてて、気づいたら立聖が見えたの。見えたと思ったらぶつかった。それでコールガールになったの!」
 ソラの話は繋がっていない。この説明で理解できるのは立聖だけだろう。
 ましてや、ソラの話は、少なくとも前半はファンタジーだ。
「地球の意識さん、て何?」
「人間界でいう神様だってさ」
「人間界、って……」
 という美月の言葉に、立聖もずいぶんとソラに感化されていることに気づいた。

「立聖」
 呆れたのやらたしなめているのやら、立輔はそんな声音で立聖を呼ぶ。
「ふざけてるつもりはない。多少、言動におかしさはあるけど、ソラの云い分は一貫してる。要約すれば、遥か宇宙の彼方から地球がほしくてやってきた。そういうことです」
 日常会話であれば差し支えなく日本語を理解できるヒューは、「Oh!」と手を広げ、首を横に振ること二回往復した。
 冗談と捉えておもしろがっていいのか、どうしたんだと案じるべきなのか、ヒューだけでなくだれもが判断しかねている。つまり、少なくとも立聖が信じている事実を、同じように信じるほうが稀(まれ)だということの裏返しだ。

「休ませすぎたか」
 立輔は心の声が漏れたようにぽろっと口にした。
「確かに休みましたよ、仕事は一切やらずに。けど頭ははっきりしてる」
「そのソラとやらの身内はどこにいる? 名字はなんだ」
「おじいさん、だから」
 立聖は首を振りつつ諌(いさ)め、「そんなものがあるわけない。地球人じゃないから」と諭した。
「宇宙人?」
「あたしは人間じゃないから!」
 口を挟んだ美月の疑問に、ソラがさらに口を挟んだ。その発言を美月が本気と取っていないのは明らかであり当然だ。彼女はおどけた様でソラを見つめると肩をすくめた。

「どう見たって人間だけど」
「被ってるだけ」
「被ってる?」
「けど、脱ぎ方はわからないんだってさ」
「待って……。じゃあ……被ってる顔がそれって……」
 と、美月は考えつつ云って、それから立輔へと目を向けて顔を合わせた。

 美月は頭がまわる。立聖もそう自負しているが、いまは特に彼女の頭を覗くことはかなわない。立輔とアイコンタクトを取った美月は、なぜか、本来なら視覚的にいちばん信じがたい“被っている”ということで受け入れる余地ができたような雰囲気でいる。
 立聖は眉間にしわを寄せた。発言の続きを待ってみても、美月は途切れさせたまま語る気はなさそうだ。どちらにしろ説き伏せておく必要はある。

「信じる信じないはどっちでもいい。ただ、危機管理として忠告しておくなら、ソラは人間嫌いで、宇宙からやってきて、地球が欲しいってことは、まかり間違えば地球の……いや、人類消滅の危機に直面していることになる。それが人類に認識されれば、ソラと接触したおれたちは、防護服着た奴らに捕らえられてきっとモルモットだ」
「本気で云ってるの?」
「ソラを見てればそのうち理解できるかもな」
「どこの娘ともわからないまま、及川家に入れるのか?」
 立輔は険しい声で問う。
「なぜかソラに気に入られた。付き纏う気らしいし、それを無下にした結果、地球から人が消えたら後味が悪い。まあ、おれも消えるわけだからそう思うこともないんだろうけど……」
「立聖は消えない! 消えちゃだめ」
 突然、ソラが立聖の正面にまわりこんで、顎を上向け、断固として云い立てた。

「だそうだ。ソラを野放しにしたすえ、接触したことがばれて研究体にされるなんて、おれはごめんだ。とりあえず、人間の生活に慣れさせる。ああ、そうだ、おれは家を出てもいい。そうしたら万が一おれが研究体になっても及川家は守れる」
「私は及川家を途絶えさせるつもりはない。おまえがいなくてだれが守れるんだ」
 立輔は吠えるように云いきった。
「それならソラを置いてください。退屈はしないと思いますが」
「その娘はコールガールだと云ったぞ。病気を持っていたらどうする」
「この雰囲気でコールガールの要素がどこにあるっていうんだ。コールガールというのはソラが勝手に想像した産物で、普通の人間が認識しているものとは違う。気に入ってるってだけの自称です」
「立聖、違わない。あたしはコールガールの修行中なの!」
 ソラはすかさず訂正する。
「威張りくさって云うことじゃない。なんのためにコールガールになるんだ……あーいや、答えなくていい……」
 話の内容が内容なだけに、人に聞かれると気まずい答えが返ってくるかもしれないと思い立つ。そうしてさえぎったものの間に合わず。
「立聖に気分よくなってほしいから! それで、イトオシイって云ってもらうの」
 室内に立輔の咳払いが響く。直接的な言葉ではないが、大人なら潜んだ意味合いには簡単に見当をつけられる。美月夫婦の忍び笑いと、三浦の、見てはいけないものを見てしまったような眼差しに合って、立聖は内心でため息をついた。
 すると。
「あ」
 ソラが小さく叫び、同時に――
「何かないのか」
 と、立輔が出し抜けに問うてきた。

 叫んだソラは何かがそこにいるように空中を見あげている。
「なんのことです?」
「人間じゃないという証拠だ」
 少しは信じる気に、あるいは信じてもいい気になったのか、多少、気が抜けた。そして、立聖は証拠なるものを探した。そうするまでもなく二つしか思い浮かばない。
 その一つは、ソラが立聖より――もとい、人間より優位に立つことができ、もう一つは、怖れるものは何もないという強みになる。ホテルで試す気満々だった空を飛ぶという技ができれば、敵は取るに足りない。
 そう考えてみれば、ソラはそこにいるだけで立派な兵器だ。

 それはさておいて、証拠として“見せる”のであれば、二つめの治癒力が最適だろうが、見せるためには痛みが必要となる。いくらすぐ治るとはいえ、その瞬間に痛みを感じないわけではなく、だとしたら治癒力を見せるなど忍びない。それならもう一つの証拠だ。
「目に見える証拠はないけど……ソラ……」
 ソラを呼ぶとまだ宙を見ている。そこに何があるのか、立聖は振り仰いでみたが何もない。
「ソラ」
 もう一度呼ぶと、気を取られていたソラはやっと立聖に目を戻した。
「おまえの特技を見せてほしいってさ」
「あたしの特技? わかった!」
 かすかに首をかしげたソラは気を取り直したように喜々としてうなずいた。立聖が指を差した方向へ向きを変え、ソラは立輔を捉える。そこまではよかったが――

 チュッ。
 ……。

「ね、ね、もう一回どう?」
「ソラ」
「うん、立聖にも!」
 指先をくちびるに当て、リップ音とともに手のひらが立聖へと向けられる。
「どう? うまくなったでしょ。コールガールになれた?」
 呆れてものが云えないとはこういうことだ。
「あたし、投げキッスはおじいさんとかじゃなくって立聖にしたいんだけど」
 絶句しているのをいいことにソラは勝手に喋り続ける。
「発情させて、合体して、うって云う立聖が見たい!」
「黙れ」
「そのときの立聖、すごく綺麗だから。あったかい気分になるの」
「ソラ」
「すぐ気絶できちゃうし、一緒にイクって好き!」
「黙れと云ってるのがわからないか。二十歳らしく振る舞う気はないみたいだな」
 そう云ってやっとソラは口を噤んだ。次には、しまった、という顔になる。

「おまえはすぐそうやって一人エキサイトする。目下、おまえが学ぶべきことを教えてやる。何を云うにしろ、何をやるにしろ、まず落ち着け。いいか」
 反省していることを示すためか、ソラはうんうんと首振り人形の勢いでうなずく。
「だから、それがすでにもう落ち着いてない。うなずくのは一回でいい。わかったか」
 そう云っても通じないだろうと予測したとおり、ソラは二回うなずく。すると、あ、とハッとした表情が浮かぶ。
 ……まあ、気づいただけマシか。
 立聖がため息をついたとたん、吹きだすような吐息が聞こえ、そして、失笑やら大笑いやら、様々な笑い声が一斉に放たれた。

 ソラは目を丸くして彼らを見渡し、それから立聖を見上げて首をかしげる。
「おまえのせいで笑い物になった」
 ソラを責めながら、その実、複雑だ。ここまでオープンになるとかえって肝が据わるのか、隠し事をしなくてすみ、らくになった気がしないでもない。ただし、こんな子供を相手に“合体”の誘惑に負けているかと思うと、どうにも自分が自分に納得がいかない。二十歳らしく、というのはやはり、ソラに対してというよりは自分に対しての戒めだろう。

「地球の意識さんは、笑うと気分がよくなるんだって云ってたけど、立聖は嫌なの?」
「笑うのと笑われるのではまったく違う」
「わかった」
「だから、そうやって鵜呑みにするな。おまえが思っているより人間の感情は――意識はずっと複雑に働く」
「そうみたい」
 ソラはまた宙に目をさまよわせる。いや、当て所(ど)もなくそうしているわけではなく、何かを探している感じだ。
「ソラ?」
 問いかけても応えず、ソラは何かに突かれたように歩きだした。

 美月たちの後ろにまわり、ソラは、壁につけたサイドボードタイプのガラス棚のまえに立った。上半身を折って扉を開けると、なかからアンティークな凹凸模様を施した白い花瓶を取りだす。
「おじいさん、花瓶はしまうものじゃなくて花を飾るものだって。薔薇の一輪くらい挿(さ)せるでしょうって。場所はここ?」
 ソラはだれにともなく訊ねながら、ボードの隅に花瓶を置いた。

 立輔はらしくなく、驚愕をあからさまにその顔に宿してソラを見ている。
「だれが……そう云ってる?」
「んーっと……名前は、あやこ」
「どこにいる!」
 立輔は身を乗りだしてソラを問いつめる。
「どこにもいない。ただ意識があるだけだから」
 ソラの答えに、立輔は驚くほどがっかりしてソファの背にもたれた。立聖も息を詰めていたのだろう。俄(にわか)に呼吸が易(やす)くなった。
 たったいまのように、ふと、ソラが妙に大人びて見えるときがある。“意識“について語るときと、遥か宇宙を見上げているときだ。

「立聖」
「はい」
「住まわせていい」
 立輔は許可を下しながら、ソラへと目を転じた。
「ソラ、とそう呼んでいいな?」
 ソラは立聖へと目を向け、首をひねってみせると立輔に再び向かった。
「はい。よろしくお願いします」
 これでいい? と問うように首をかしげると、立聖のところへ戻ってきた。
「立聖、たつきとみさ、って?」
 目のまえに来たソラは、教えてもいない両親の名を知っていた。

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Material by MIZUTAMA.