NEXTBACKDOOR|神様はコールガール!

第3章 I am ... .
1.命名

 日曜日、正午まえ、立聖がスーツケースをまとめていると――とはいえ、ほぼホテルのガウンですごして、片づけるものもないが――それを、不満そうな眼差しが追ってくる。
 ロックしてしまうと、ベッドの上であひる座りをしたままという彼女のところへ行った。

 かろうじて纏った彼女のガウンはその役目を果たしていない。肩から落ち、胸のトップはかろうじて見えないがふくらみは隠しきれず、正常な男ならそそるのに充分な恰好だ。立聖もそのうちの一人だというのは否定できない。
 思考力は子供並みのくせに、その気にさせるテクニックがあるわけでもなく立聖を発情させる。いまだって、ガウンを脱がせてしまおうという無自覚な欲求で、指がぴくりと反応した。むしろ、裸でいるほうが劣情はおさまるのかもしれない。中途半端に着ているから脱がせたくなる。

「服を着ろと云ったはずだ」
 立聖は、昨日、美月が持ってきた紙袋を指差した。ベッドの上に無造作に置かれている。女物の下着から服、そして靴までと外出するためにひとそろいしているのだが、出したものを彼女はまたしまうという始末だ。
「着たくない!」
 睨んでもまったく効力がない。立聖は紙袋に手を伸ばした。すると、届く寸前で手が硬直し、指先まで感覚は確かにあるのに動かせなくなった。
「何してる?」
 立聖は睨(ね)めつけ、据わった声で脅すが、彼女はさも自分がやっているのではないと云いたげに、すました顔で首をかしげる。
「その恰好で人間の晒し者になる気か? 神様のくせに? 人間界じゃ、恥ずかしいことだからな」
 何が効果的かと探りつつ試しに云ってみると、彼女の瞳はためらったように宙をさまよう。
「せっかく名前を思いついてやったけどな、いらないか。人間みたいなことする必要ないしな」
 とたん、立聖の手はすかされたように動いた。

「名前いる!」
 さっきまでの不機嫌さはどこへやら、早くも彼女の瞳は期待に満ちている。
「服を着てからだ」
 彼女は大きくうなずいたかと思うと、ガウンを脱いで紙袋を逆さまにした。
 残っているものはないか、紙袋を必要以上に振る姿を見ていれば、自ずと揺れる胸が視界に入る。裸だろうが劣情はおさまらないと知らされる。立聖は首を振ってそれを払った。
 彼女は三つの袋からすべて中身を取りだすと、あらためて眺めていた。それからしばらく、そこに何か存在するように空間を見ていた彼女は手もとに目を戻すと、ショーツをまず身に着けた。
 ブラジャーのつけ方まではわかっても後ろのホックを止めるという技は思うようにいかず、立聖が手伝った。次いでキャミソールはホールターネックになっていて、そのリボンも首の後ろで結んでやる。

「鏡で見てみろ」
 姿見のところに連れていくと、彼女は固まったような様で眺め、それから鏡に近づいて間近で自分の姿をしげしげと見つめる。
「コールガールに似てる!」
 鏡越しに立聖を見上げて叫んだ。
 そこか。
 立聖は呆れて、ため息混じりに笑う。
「そうだな。こういう恰好もいいだろ」
 キャミソールは、ベージュ寄りのピンクに黒いレースの縁取り、胸の部分から延びる肩紐はレース状で、神様というよりは小悪魔をイメージさせる。
 彼女は気に入ったふうに、うんうんと子供っぽくうなずいた。
「次はこれだ」
 オフショルダーのサマーニットと、白いフレアスカートを渡した。

 短め丈のニットに膝上のスカート姿は、足を細く見せて背の低さをカバーしている。裸でばかりいて、服を着たイメージがまったく湧かなかったが、思いのほか似合っていた。
 ニットの淡いブルーが瞳の色を強調する。スカートの裾はスカラップで、横に入ったストライプがニットと同じ色だ。
 だれでも似合う服。そう美月には注文したのだが、その目は確かだと思う。美月はこれを大人っぽく洗練された雰囲気で着こなせるだろうし、いま目のまえの彼女は、二十歳相応の弾けるようなポップさを覗かせる。

 立聖は靴を持ってくると彼女のまえに置いた。
 ヒール三センチのミュールに足を忍ばせる様は、イメージするならシンデレラのように慎重だ。立聖はよろける彼女の腕をつかんで支えた。
「どうだ?」
「転びそう」
 彼女は足もとを見て、曖昧に首をひねった。
「ゆっくり歩けばいい」
 立聖が後ずさって離れていくと、彼女は不安そうな面持ちになる。

 バスタブで溺れかけたとき、疲れたとつぶやいたのは人間でいることだろう。
 人間の脱ぎ方がわかれば、彼女はすぐにでも抜けだしてどこかへ飛んでいくのだろうか。
 立聖はそんなことを思い、そうしてから詰まらないことを考えていると気づき、ため息を漏らした。このため息は何か。そんなことまで疑問に思う。

 立聖は窓際まで来て止まると、彼女を促すように顎をしゃくった。
「ここまで歩いてみろ」
 彼女はうなずいてから、いったん足もとを見る。顔を上げると一歩を踏みだした。
 ヒールがあるぶん、歩きにくいのかもしれない。ここ一日で歩くことに慣れていた彼女は、最初のときのようにバランスを乱す。どうにか堪えて次を踏みだすと、ぎこちなさはあってもあきらめることなく歩いてきた。
 目のまえに来ると、彼女はためらいなく立聖に抱きつき、顔を仰向けて見上げてくる。
「できた?」
「ああ」

 無邪気な笑顔がすぐ真下にあると、顔を下げようかという衝動に駆られるのはやはり発情させられているのだろう。
「立聖、あたしの名前って何?」
 これまでの素朴な疑問とは違う。飼い主からいまかいまかとご褒美を待つペットさながらだ。
「ソラ。宇宙の“宙”と書いてソラだ。ぴったりだろ?」
「うん。あたし、ソラ!」
「ついでに云えば、おれは“流星”じゃなくて、“立聖”だ」
 云いながらスマホを見せる。
「流星は立聖。わかった」
 本当にわかったとは思えないが、とりあえず――
「帰るぞ」

 スイートルームから出るとガードマンの姿は見当たらない。
 チェックアウトの時間だからもう役目は終わりだ。依頼主と連絡を取って引きあげてくれ――その命令は通じたらしく、立聖はふっと息をつく。
「いいぞ」
 なかに向かって声をかけると、エントランススペースの奥に待機していたソラが口を尖らせる。
「なんだ」
「流星……じゃなくって、立聖」
 云い直したソラは、ただ名を呼んで立聖を指さす。
「ソラ、行くぞ」
 おそらく、と見当をつけて云ってみると、案の定、名前を呼んでほしかったらしい。ソラはいそいそと出てきた。
「これからさき人間がうろうろしてる。ヘンな気を起こすなよ。嫌いだからといって排除するのは子供のやることだ」
「あたし、二十歳」
「そう認めてほしいんなら人間に何もするな。いいな」
「……わかった」
 忠告しなければ何かやらかす気だったのか、ソラは渋々とうなずいた。

 立聖はソラを伴って、片手にビジネスバッグを持ち、もう片方はスーツケースを押しながらフロントに向かった。使っていた部屋が奥のほうだったせいか、幸いにして人通りはない。いや、幸いなのか。
 廊下にはいなくても、フロントに行けばそれなりに人は集まる。一度に人間に遭遇してソラはどういった反応を示すのか、目下の最大憂慮事項だ。

「立聖、あたしがやる!」
 ソラの歩調に合わせていた立聖は立ち止まった。何をやりたい宣言したかと思えば、スーツケースを指さしている。立聖が手を放すと、ソラは取っ手を持って押した。そのあとを追う。
 斜め後ろからソラを見ていると、新しいおもちゃを手に入れた子供のように楽しそうだ。部屋のなかにあったときは見向きもしなかったが、スーツケースが転がせるものだとは思っていなかったのだろう。
 まもなくすると緩い傾斜のスロープに差しかかった。フロントは客室部分より一メートルほど低くなっている。
「おい」
 転ばないようにとソラの足もとに気を取られ、気をつけろと忠告するには遅すぎた。わずかに先を行くソラの手からスーツケースが逃れる。
「あっ」
 ソラがひと声を発したと同時に立聖は駆けだした。
 スーツケースがスピードに乗る寸前で取っ手をつかむ。間抜け極まりないシーンだ。立聖がほっと息をつくなか、ソラはケタケタと笑いだした。

「笑い事じゃない。これが転がって人に当たったらどうするんだ」
 立聖が諭(さと)した口調で質(ただ)すと、それがなんだという気配でソラは首をかしげる。
「火傷はすぐに治ってた。おまえはそうやって自分で治癒できるかもしれないけど、人間はそうはいかない。スーツケースが当たって転んで、打ち所が悪ければ死ぬことだってある」
「死ぬ?」
 問い返しながら、ソラは宙を見る。また情報を引きだし、答えを見つけたのだろう。
「躰は死んでも意識は残るよ。生まれた意識が消えることはないから」
 ソラは伝道師のように説く。
「なるほど。生まれ変わるっていう話は確かに存在するけど、前世の記憶を持って生まれてきたって奴をおれは知らない。実際、おれがだれかの生まれ変わりだとしても、三十年生きてきて、おれにはその間の記憶しかない。この国の平均寿命は八十年くらいだ。全うにあと五十年生きたあと、おれはどうなると思う?」
「……意識はリセットされてるってこと?」
 眉をひそめたソラはそんな答えを出し、ますます気難しく顔をしかめた。
「意識が残ってまた新しく生まれてるっていうんならそうなんだろうな」
 ソラは考えこむような面持ちで黙りこんだ。

「行くぞ」
 何が気にかかるのか、声をかけても動く気配がない。
 その間、人が横を通っていようとソラが気にしているふうではない。人喰いや乱闘などの騒動が起きる心配はしなくてすみそうだと、それだけは検証できた。
「スーツケースはもう持たなくていいのか」
 そう云っても反応はなく、立聖はため息をついた。
「ソラ」
 最後の手段だ。そう思って名前を呼んでみると、やっとソラの目は立聖に焦点が合った。
 ソラは歩くことも靴を履いていることももう慣れたのだろう。かすかに駆けるようにして立聖のところへやってきた。
「こういう斜面は重力で低いほうに転がるようになってる。ちゃんと持ってろ」
 取っ手の場所を譲ると、わかった、とソラはこっくりとうなずいた。

 ホテルのエントランスに行くと、ラウンジなど人だかりとまではいかないがそれなりに人が行き交っている。
「ここで待ってろ。フロントで精算してくる。いいな、ソラ」
「いいよ」
 ソラは軽く受け合った。
 フロントに行って精算を待つ間に立聖はラウンジを振り向いた。
 ソラはスーツケースを押しながら、人間たちには目もくれず、一面ガラス張りの窓際に行った。立ち止まると、空を見上げる。
 そうして何を思っているのか。
「お待たせ致しました、及川さま。……及川さま?」
 うわの空で聞き止めていたが、二度め、立聖はハッとしてフロントに向き直った。
「ああ」
「オーナーよりご精算無用と仰せつかっています」
「だろうな」
「お迎えもみえて待機されています。ご利用ありがとうございました」
 立聖はうなずくと、ソラのもとに行った。

 ソラはまだ外を見上げている。
「帰りたいか」
 自分でも訊ねた理由はわからないが、振り向いたソラもまた不思議そうに首をかしげる。
「帰る場所ってべつにないし」
「……云い方を間違ったみたいだ。宇宙を飛びまわりたいか」
「いまはいいよ。立聖といるのがあったかいから」
 つまり、いい気分で、好きだってことか。
 それがいつまで続くんだ? よぎった疑問は、すぐさまどうでもいいと退けた。

「おりるぞ」
「おりる?」
「地上におりるってことだ」
 眼下を指差すと、ソラは額をガラス窓につけて下を覗きこんだ。
「飛ぶ?」
「まさか。人間がこんなところから飛んだら跡形もなくなる。……おまえ、まさか飛べるのか?」
「わかんない。飛んでみる?」
「バカか。そういうチャレンジはやめろ。行くぞ」
 移動中、やはりソラは人間には見向きもしない。幸いにして、人喰いなどという懸念は立聖のまったくの思いすごしだったようだ。

 エレベーターホールに来てエレベーターの扉が開けばソラは目を丸くして、箱のなかを覗きこむ。さきにほかの客に譲ったあと、立聖はソラからスーツケースを取りあげ、エレベーターに乗って振り返る。
「早く来い。エレベーターの足止めをしてるわけにはいかない」
「出られるの?」
 なんとなく様子が違う。ソラは、はじめてバスタブに浸かるときよりもおどおどした雰囲気だ。
「すぐに出られる」
 そう受け合ってもソラは動こうとしない。ここが第二関門になるとは思ってもいなかった。同乗者たちに断りを云って、立聖はいったんエレベーターから出た。背後で扉が閉まる。
「大丈夫だ、ちゃんと出られる。人間でいるかぎり、これに乗れないとかなり不自由するぞ。おれは六十階ぶんも階段おりる気ないからな」
 ソラの視線が泳ぎ――それは服を着るときと一緒で、肯定寄りで迷っているしぐさだろう。
「神様は人間よりも弱虫か」
 もうひと押し、と煽ってみるとパッと目を立聖に戻した。
「そんなことない!」
 ソラが叫ぶと、タイミングを計ったようにちょうどべつの一基が到着した。

「ソラ」
 乗りこんで立聖が手を差しだすと、ソラは何かに追われているかのように飛びこんできた。そのままぴたりと立聖に寄り添った。ほかの客も乗りこんできて、必然的にふたりは奥へ行く。エレベーターが動きだすと、ますますソラは躰を押しつけてきた。
「ソラ、見てみろ」
 立聖の胸に顔を寄せたまま、ソラはわずかに顔を浮かして首をまわした。
「反対だ」
 立聖は云いながら細い肩をつかんで方向転換を促した。
「……わあ……」
 もともとかごの外側がガラスになったエレベーターは、六十階から下になるとシースルーで外の景色が一望できる。あっという間に地上だが、ソラの様子を見れば、乗るときに怖がっていたことが嘘のように消え、楽しんでいるようだった。

「立聖、すごいねぇ」
 エレベーターをおりると開口一番ソラが感想を口にした。
「人間が高さを競うのは神様に少しでも近づきたいからかもな」
 すると、きっとした眼差しが向く。
「人間は神様になれない」
「おまえが人間嫌いなのはわかってる」
「でも立聖は好き」
 立聖は首をひねって薄く笑った。

 ビルの外に出ると、送迎の乗降スペースに馴染みの車が止まっていた。立聖の姿が目についたのだろう、運転手の真田(さなだ)が降り立った。車も運転手も、会社が契約しているタクシー会社のなかでも及川本家専属だ。
「おかえりなさいませ」
 一礼した真田の目がソラに留まり、困惑がちらりとよぎった。ソラはかまわず、物珍しげに車を眺めている。これなあにと訊かないところをみると、車だという認識はあるのだろう。

「彼女は宙(ソラ)です。これから及川家で暮らすことになるのでよろしく頼みます」
 驚きはうまく内心に治めたようで、真田は愛想よくソラに笑顔を向けた。こんにちは、から始まって自己紹介までひととおりの挨拶をすませた。
 一方でソラは顎を引いて警戒心を覗かせている。
「ソラ、挨拶は?」
 教えただろ、という言葉は顎をしゃくるというしぐさに代替えした。
「こんにちは、ソラです。よろしくお願いします」
 まるで感情のこもらない、セリフの棒読みだ。顔をしかめて警告してみたものの、人を喰うよりはましだろうと立聖は譲歩した。
「申し訳ない。彼女は人見知りが激しいんです」
「いいえ。こちらにはお気遣いなく。お荷物はそれだけですか」
「ああ、これだけだ。ありがとう……」

 スーツケースを真田に引き渡しているうちに、ちらりと動く気配を察していたが――ソラは立聖を脱力させる天才かもしれない。
 見るとソラは車のフロントで足を踏んばり、手を突っ張って車と力比べをしていた。
 ため息が防ぎきれない。
「何やってるんだ」
 立聖は首を振りつつ、ソラに訊ねた。
「これ動かない!」
「あたりまえだ。おまえより遥かに車は重い。スーツケースとは訳が違う」
 立聖の言葉に納得したのか、ソラは力比べを切りあげる。
「立聖もできない?」
「ブレーキがかかった車は特に、人間一人の力では普通に無理だ」
 納得したというよりはあきらめた様子でソラはため息をついた。

「乗るぞ」
 と、後部座席に行きかけると、真田の摩訶不思議といった面持ちに合う。立聖と目が合うと、真田は慌てて顔を引き締めた。
「彼女は変わってる。見過ごしてやってほしい」
「とんでもございません」
 その応えは真田らしくなく頓珍漢(とんちんかん)だった。

 さきが思いやられる。
 立聖は顔が引きつりそうになるのを、仕事で鍛(きた)えたポーカーフェイスでなんとかしのいだ。

NEXTBACKDOOR

Material by MIZUTAMA.