NEXTBACKDOOR|神様はコールガール!

第2章 神様クラスターは好奇心でできている
2.あたし二十歳

「おまえ、神様じゃなくて宇宙人か?」
 遠い星から遙々やってきた宇宙人といえば、神様よりしっくりくる気がした。地球上にも陸地と水中、そして空を飛ぶ生物と、様々な条件の下で生命は誕生している。そのうえ侵略者というのはSF映画そのものだ。
「宇宙人て、人? あたしは人間じゃない」
 彼女はひどく顔をしかめている。
「人間の形をしてなくても宇宙からやってきた知的生命体はそう呼ぶんだ」
「地球も宇宙のなかにあるよ。流星も宇宙人」
 もっともだ。
「それで、つまり、おまえはなんだ? 少なくとも宇宙の生物には違いないだろ。おれからはどうやったって人間に見える。被ってるって云うけど中身は何が詰まってる? まさかタコとかイカとか入ってるわけじゃないよな」
「タコとイカ? 形のある生き物はどれもヘン。この躰の中身はないよ。あたしは意識体だから。意識って形ないでしょ?」
 意識体という意味がよくわからないが、とりあえず、セックスした以上、中身がタコでもイカでもないらしいことに立聖はほっとした。
 だが、自ら侵略者とのたまうほど、どうも彼女は人間を敵対視しているように感じた。

「おまえ、地球を自分のものにしたくて来たのか」
 念のため、立聖は言葉を変えて訊ねてみた。
「そう!」
 彼女は屈託なく笑う。
「それで、手に入れてどうするんだ?」
「んー、そこがね、あたしもわからないの」
 ……。
 神様ってバカか?
「わからないなら自分のものにするな。迷惑だ」
「迷惑って……人間がうるさいっていう気持ちと一緒?」
 そう云い返されれば身もふたもない。衛星を放ったのも電波が飛び交っているのも、べつに立聖がやっていることではないが、恩恵に与っているのは事実だ。
 そこを突いてくるとは、もしかして、ばかなふりをしてその実は賢い、ということもあり得る。生まれたてとはいえ、なんといっても神様だ。

「人間がうるさいって、おまえ、人間嫌いなのか」
「うん!」
 そこを張りきってうなずくってなんだ?
 おまけに彼女は、たかが意識の欠片なのに、と不満げに口を尖らせ、威張りくさった様子で人間が嫌いだと話し始めた。
「人間はちーっちゃい脳みそで、形があることにしがみついてる。ケンカばっかりしてるから地球がだんだん見えなくなってるのに気づいてない」
「見えなくなってる?」
 ケンカというのが戦争などの争い事だとは見当がついても、見えなくなっているという意味がさっぱりだ。
「んーっと……ぼやけてるっていうの? 太陽の光がちゃんと届かない」
「ちゃんと届いてるだろ」
 窓の外を指さすと――
「だから人間はバカ。見えるものしか見てない」
 読心術ができるのか、まるで立聖が云ったことの仕返しだ。

「見えないものは見えない。おまえから見たら、おれもバカらしいな」
 大人げもなく不機嫌さ丸出しで云ってみると。
「流星は流星だから大丈夫!」
 と、訳のわからない太鼓判を押された。

「形のないほうがすごくおっきいのに、人間は気づかない。地球が見えなくなったら……悲しい? だから人間を追っ払って地球をあたしのものにするの」
「どうやって人間を追っ払う?」
 ばかげたことだと思いながらも地球防衛に役立てばとさりげなく訊ねて、相手の手の内を聞きだそうとしたが。
「わかんない」
 なんの役にも立たない答えが返ってきた。
 神様が何も考えていないというのは真実か、それとも利口すぎてかわされているのか。

「ねぇ、流星」
 彼女は窓の外に目を向けながら流星に呼びかけた。
「なんだ」
「地球から宇宙を見るとこんなふうに見えるんだね」
「こんなふうって?」
「宇宙が明るい」
「明るく見えるのは、地球からだけじゃないだろ。太陽が見える場所だったら、月からだって火星からだって空は明るく見えるはずだ」
 四つん這いで窓際に行った彼女は、膝立ちすると窓ガラスに手をついて空を見上げる。
「でも、宇宙に太陽はたくさんないから、やっぱり暗いところが多いよ」
 その声音にはなんらかの感慨が見えたが、はっきりとはつかめなかった。

「太陽ってそんなにいくつもあるのか?」
「あたしが知ってるだけで三つ」
「じゃあ地球と同じ惑星もあっただろ」
「そうでもない。持ち主が違うし」
 持ち主が違うということは、一つ一つの惑星に神様みたいなものが存在するということか。
「おまえ、生まれたてだって云ったな。いくつなんだ?」
「いくつ?」
「歳だ。生まれて何年めだって……」
 と、立聖は訊きながら、自分でばかげた質問をしていると気づいた。いま訊ねた時間の単位はあくまで地球年ということになる。

「流星はいくつ?」
「三十だ」
「ふーん。あたしは二十歳」
「……ってどういう基準なんだ」
「流星に衝突してから、いろんなモード探してたの。最初は殿様と俺様。でもなんだか低脳レベルだったしパスした。次は、おやじだけどなんだか違ったし、その次は、オネエ。これもちょっと違ってた。そしたら好きなのが出てきたの、二十歳女子! だから二十歳」
 とりあえず犯罪は逃れた、と、立聖はなんの保証にもならない安心感を覚えた。

「流星、……」
 ちょうど彼女が話しかけたとき、ドアがノックされた。
 立聖は素早く立ち、窓際に行くと、黙ってろ、と背後から軽く彼女の口を手のひらで覆う。
「及川さま、食事が届いておりますが」
 開けることのないままガードマンが報告する。
 すると、彼女は立聖の手を払いのけ、歩くのは無理だと悟っているのか、這い這いでドアに向かおうとする。
「おいっ」
 意外に素早い動きで、立聖は慌てて叫ぶ。
「及川さま?」
「……ああ」
 返事をするのと一緒に彼女の腰をつかまえた。

「じっとしてろって」
「人間いるんでしょ!」
 彼女は顔だけこっちを向いて、右手はドアの向こうを指差している。
「いたらどうするんだ」
「んー、食べてみる」
 云ったと同時に、彼女のおなかがグウと空腹感を訴えた。
「流星、おなかのなかに何かいるよ!」
「違う。いいか。ばかなことを考えるな。いまからちゃんとうまいもんを食べさせてやるからじっとしてろ」
「うまい? ……うまいって云えば流星の――!」
 立聖は、今度は手加減なく口をふさいだ。
「及川さま?」
「ああ、いま着替えてる。向こうのテーブルにセッティングしてくれるよう云ってくれ」
「承知しました」
 ガードマンの足音が遠ざかるのを待って、立聖は彼女から手を離した。

「いいか、憶えておけ。神様は人間を食べない。少なくとも、おまえがいう“地球の意識さん”は人間を食べない。もう少し待ってろ。人間より美味しいものが向こうにあるって約束する――」
 云ってる傍からまた這い這いしだす。
「ってまだだ! 待ってろって云っただろ」
 立聖は彼女のまえにまわりこんで行く手をふさいだ。何を思ったのか、膝立ちをした彼女は、立聖の羽織ったガウンを捲(めく)った。
「おいっ」
「流星、これ垂れてるよ」
「つつくなっ」
 立聖は云いながら、後ずさって彼女から逃れた。
「テレビの男は立って……」
「年から年中、発情してられるか」
「発情? 食べたら、ベッドのときみたいになる?」
「食べなくていい!」
「ごつごつしてて美味しかったのに……」
 立聖は呆れきってため息をついた。一方で、さっきガードマンを食べてみると云ったのはそういう意味だったのか、とそんな疑問を持ち、立聖はすっきりしない気分を抱いた。

 いや、そんな気分はいまはどうでもいい。朝食の準備が整うまで、彼女の気を逸らさなければならない。彼女の存在が有害なのか無害なのか、それがはっきりするまでほかの人間に会わせるわけにはいかなかった。
 彼女が打ち明けたり、うっかり口を滑らせたときに、信じてもらえないことが問題ではなく、信じる者がいたときに大問題が発生する。彼女が地球外生命体であることには違いなく、ましてや、人間の躰を被っているとなると捕獲されたすえ、解剖はお手の物で研究体になるだろう。

 いや、ちょっと待て。……下手したら、接触したおれも研究体だ。接触という以上に……異種間同士で交尾した……。

 結局、面倒みるのを面倒くさがっている場合ではなく、身の自由を確保し続けるためには、立聖が彼女を監視しなければならないのだ。
 これまでこんなふうに頭を抱える事態は経験がない。あまつさえ、ため息をついてみて、昨日からため息をついてばかりだと気づく。仕事をしているときにため息などつかない。自分には仕事が合っていることの証明だ。
 こういう事態に陥らせた祖父をつかの間、恨んだが、そうしたところでこの状況が収拾されるわけではなく、つまりは、いかに効率的に彼女を攻略するか、がいまの課題だ。

「おまえはまず歩く練習からだ。いつまでも赤ん坊でいたくないだろ。外に出たら、這い這いなんていろんな意味でアウトだ」
「赤ん坊じゃなくて二十歳!」
「じゃあ、赤ん坊が歩くとこでも調べてみろ」
 彼女が視線を宙にさまよわせている間に、立聖はベッドの脇に行って、落ちたガウンを拾いあげた。戻ろうと向きを変えると、彼女は立ちあがりかけていた。
 バランスを取ろうと腕を広げ、へっぴり腰という恰好は、二十歳の女の裸とはいえ色気も何もない。その必死さからすると、赤ん坊が人間の命数のうちどこに位置するかというのをおそらく知ったに違いなく、いつまでも這い這いという状態ではプライドが許さなかったのだろう。

 彼女は、起きあがり小法師(こぼし)のようにゆらゆらしていたが、まもなくバランスが取れたらしく、足が安定してしっかりと床を踏んだ。立つことまでは昨夜もできていたのだから、すぐにできたとしてもすごいと云うほどではない。
「流星、立てたよ」
 そのわりに誇らしげだ。
「次は歩く」
 促すと、やはり検索中なのか、事を起こすまでに時間がかかる。
 昨夜、火傷で気絶したあと、ベッドに寝かせていた彼女はいつの間にかソファの傍に立っていたが、今日のように四つん這いで移動したのか。這い這いまでは本能でも、歩くことは意思が必要なようだ。
 しばらく待っていると、いきなり右と左の腕をかわりばんこに振り子のように大きく振りだした。次はどうするかと思えば、足を上げるタイミングを計っているらしく、それがうまくいかないままつんのめりそうになる、ということを繰り返している。
 立聖はそのうち、彼女のぴんと伸ばした背中を見て察した。
「おまえ、軍隊の歩き方を検索したんじゃないだろうな」
 彼女は目をくるりとさせた。

「……違うの?」
「違うだろ。おれが歩くのを見てないのか」
「流星は地球と同じで綺麗。だから動いてるときは一つに集中できないの」
 綺麗という彼女の基準がわからないが、歩き方を検索するのにチョイスが間違っているのは明らかだ。立聖は無自覚にまたため息をつく。
「まず、腕は振らなくていい。リラックスだ」
「リラックス?」
「肩と腕から力を抜く。……。それじゃゾンビだ。背中はまっすぐでいい」

 すぐさま丸まった背中をシャキッと伸ばした彼女は、小柄ながらも、女のラインという意味ではモデルよりもずいぶんと男をそそるようにできている。
 つんと上向きそうな胸のふくらみは、小さくはないが大きすぎることもない。手のひらでくるむと指のすき間からこぼれそうになり、昨夜は立聖の手の感覚を満足させた。そして、くびれたウエストから腰骨へと適度に張っている。這い這いをするときのお尻を見れば、立っているときもぷるんと丸みを帯びているだろうことは想像にたやすい。
 少なくとも立聖にとって、彼女の躰のつくりはパーフェクトだった。
「流星、次は?」
 彼女の催促に立聖はハッとする。どうやら見とれていたらしい。認めたくはないが、昨夜のことがある以上、否定は悪あがきにすぎない。いや、だれに責められているわけでも指摘されているわけでもないのだから、云い訳は必要ないはずだ。それなら、なぜ自分のためにそうする必要があるのか。
 躰は確かに女だが、中身は子供とかわらないのだ。立聖は思考を振り払うように首をひねった。

「腕は自然とついてくる。足に集中してろよ。右足からだ。一歩まえに出す。ちょっとでいい」
 まず右と左の区別をつけなければならなかったらしく、彼女は少し間を置いてから右足を動かした。浮かしてまえに出して着地。躰が揺らぐが、なんとか踏みとどまる。
「そうだ。次は左足を右足よりまえに出す」
 さっきよりぐらついた彼女は、平均台の上にのっているように腕を広げてバランスを取った。
「今度は右足を左足よりまえに出す。あとはその繰り返しだ。足もとを見るんじゃなくて、おれを見てこっちに歩いてこい」
 彼女は顔を上げて、立聖を見るとうなずいた。
 十歩もない距離を近づいてくるうちに揺らいでいた着地がしっかりとしてきて、腕を上げてバランスを取る必要もなくなる。真剣だった顔つきも緩んで、立聖の目のまえに来た瞬間、最大に弛(たゆ)んだ。

「流星、着いた!」
 彼女は立聖に腕をまわして抱きつく。
「ああ、一歩前進だ」
 と云ったとたん、彼女は躰をさらに押しつけてきた。不意打ちに立聖は一歩下がった。すると、膝の裏がちょうどベッドに当たり、すかされたようにカクンと折れる。
「わっ」
 彼女に押されるようにしながら、背中からベッドに倒れた。彼女の重みが一気に伸しかかったぶん、肺が酸素不足に喘ぐ。
「何……やってるんだ」
「一歩前進したんだよ。そう云ったでしょ」
 立聖の胸の上から顔を上げた彼女は屈託のない理由を述べる。言葉にも気をつけるべきだ。立聖は肝に銘じる。

「そこは文字どおり取るとこじゃない。とりあえず、どけ」
 彼女はもぞもぞしだして起きあがろうとするが、ふと固まったように動かなくなった。
「なん……」
「流星、発情してる!?」
 不覚だ。まるでそんな気分になる指摘をしてくる。自分でもそんな感覚はあった。
 いったいどこで欲情するんだ?
 立聖は自分で自分に問いかけたが答えは出ない。
「してない。生理的反応だ」
「一発やる?」
「バカか、それは男のセリフだ」
「じゃ、云って!」
「もっと云えば、脂(あぶら)ぎったオヤジのセリフだ」
 云ってみると、彼女は気に喰わなそうに鼻にしわを寄せ、くちびるを尖らせた。そこに目が行くと不肖にも躰が疼き――
「流星はオヤジじゃない……。でも動いてるよ!」
 と、彼女は云っているさなか、腹部の下で立聖が催した反応を敏(さと)く察していた。

「食べてほしいって! でしょでしょ?」
 期待に満ちた彼女の鼻息が荒いと思うのは気のせいか。餌をまえにして涎をたらす犬みたいだ。
「違う。食べてほしいのは向こうの部屋に用意されてる。連れてってやるからどけ」
「えーでも……」
「地球の住人にならないと、地球は手に入らないんだろ。住人になりたいなら、人間を学べってことだ。おれだって、タコやイカみたいな神様よりも人間がいい。どうする?」
「人間になったら好きになる?」
「まず人間じゃなきゃ好きになれない」
「わかった」
 彼女と立聖、それぞれの発言には意味合いの差が発生している。それをわかっているのか否か、彼女はうなずいてあっさりと二つ返事をした。
 ただし、了承しながらも不承不承といった様で彼女は起きあがる。次いで起きると、立聖は持っていたガウンを彼女の肩にかけた。
「着ない」
 さっきの了承はどこへやら、もう反発だ。立聖が目を細めてゆったりと首をひねると、まずいと理解したらしく、はね除けた立聖の手をつかんで、着せてといった素振りを見せる。
「ここに腕を入れる。……反対もだ」
 ウエストの紐はとりあえず結んでやった。ガウンは明らかにサイズが大きい。が、それはそれで違う衝動が生まれそうな気配だ。

 ……ってなんの衝動だ?
 自問自答すること何回めか。立聖は気持ちを切り替えるべくパウダールームのほうに向かった。
「流星、待って!」
 さっさと歩きだした立聖についていけず、彼女はつまずきかけていた。立聖は即座に二歩戻って、腕をつかんで支えた。
「ああ、おまえが赤ん坊だってことを忘れてた」
「赤ん坊じゃない」
「なら、幼児だ」
「二十歳!」
「云ってろ」
 彼女の手を取って、バスルームの隣にあるパウダールームに連れていく。すると。
「ああーっ」
 雄叫びがあがる。
「今度はなんなんだ」
「これーっ! 流星がふたり!?」
 目を丸くして、彼女は目のまえの大きな鏡と立聖をかわりばんこに指を差す。
「はっ。これは鏡といって、その向いた方向にあるものをそっくり映すことのできるものだ。電波が操作できるなら、光分野は得意だろ。反射を利用したものだから、奥を覗こうとすればその反対側にあるものが映る」

 彼女は洗面台に身を乗りだして鏡を覗く。立聖がその背後を動くと鏡のなかの立聖がそのとおりに移動するのを見て、彼女のびっくり眼は驚きからおもしろがった様に変わる。
「ね、ね! そしたら流星、これ! これってあたしっ!?」
 彼女は鏡を指差したかと思うと自分を指差して、立聖を見上げる。
「自分の顔も知らないのか?」
「うん。流星が望んだ顔だよ」
「おれが?」
「そう」
 彼女の顔をまじまじと見つめる。べつに理想の顔ではないが、それとも無意識に理想とする顔がこれか――と、考えたところで立聖の脳裡に何かがよぎった。が――
「あたし、やっぱり二十歳だよ!」
 という訴えに立聖の思考は中断された。

「見た目はな。自分かどうか試してみるといい」
 立聖のアドバイスを受けて、彼女は両手を思いっきり上げ、万歳の恰好をする。
「わあ!」
 子供っぽい感嘆ぶりだ。そして、今度は手のひらを顔に向けて覆う。自分が思っているポーズと違うのだろう、首をひねり、手の位置を変えた。そうすること三度め、彼女は、指先をくちびるにつけたところでピンと来た面持ちになる。何をするかと思いきや、リップ音を立てながら手のひらをまえに出す。
「流星、こうするのってなんて云うの?」
 彼女はもう一度やってみせた。
「投げキッスだろ」
「そう、それ!」
 と、どこからそういうしぐさを探しだしたのか、自分では満足がいっていないようで繰り返している。止めないといつやむかわからない勢いで、滑稽でしかない。
「もういいだろ」
 いいかげんうんざりして云うと、タイミングよく彼女のおなかが鳴った。
「おなかのなかに……」
「何もいない。生理現象だ。食べればおさまるから」
 彼女の気が逸れたことに乗じて、朝起きてやることだと教えて顔を洗わせた。立聖を見習ってやった彼女は、水が苦手な子供みたいに目をしっかりとつむって顔を洗う。水を跳ね散らかして、その様はまさに幼児だ。

 パウダールームを出てリビングに行くと、食事の準備は整っていて無人だった。立聖はそれを確認してから彼女を呼んだ。
 彼女がいると勘繰られることなく、ただ単に食欲旺盛だと思ってくれればいい。そう思ってシェアスタイルのペアコースを頼んでみたが、朝食ながらこれでもかとテーブルにプレートが並んでいる。
 立聖の後ろから顔を覗かせ、テーブルを目にすると、彼女は再び目を丸くした。
「美味しそう!」
 食べる物と理解できたようで、見上げてくる瞳はわくわくしていそうに輝いている。

 立聖にとって、煙草にともる火も、明るい空も、鏡に映ることも、そして食卓に並ぶメニューもごくあたりまえにあるものだ。
 赤ん坊は大きくなるにつれ、それらをそこにあるものとしていつの間にか受け入れ、あるいは名前をつけることで整然と受け入れていくことが多い。
 けれど、彼女は意識が明確にあるぶんだけ、すべてが新鮮に映るのだ。面倒くさいという気持ちは拭えないが、立聖からするとそうした彼女の存在が新鮮に映った。

NEXTBACKDOOR

Material by MIZUTAMA.