NEXTBACKDOOR|神様はコールガール!

第1章 無自覚の恋落ち日
2.降臨?

 やることもなく早めの食事をしようと思い立ったとき、ホテルマンがやってきたかと思うと、ルームサービスで夕食を準備するという。この部屋から一歩も出さないつもりか、立聖はメニュー表を突き返して追い払った。
 そうして、下のフロアにあるレストランで食事を取っているところへ、美月がやってきた。
「閉じこもってるかと思ったのに」
 美月は可笑しそうに声をかけながら正面の椅子を引いて座る。
「強行突破した。けど、せっかくの料理も不味い」
 立聖はしかめっ面で、レストランの入り口に待機するガードマンを見やった。
 美月はくすっと笑う。そこへやってきたウエイターに、おすすめのコーヒー付きデザートを、と注文をすませると――
「ごちそうしてくれるでしょ?」
 立聖に事後承諾を取りつけた。
「どうせならデザートだけじゃなくて、ごちそうって云えるほどのやつ頼めばいいだろ」
「残念。食事は立聖と食べるより、ヒューとウィルと食べるほうが優先なの」

 美月はアメリカ人のヒューと結婚して三年、ウィルという二歳になったばかりの息子がいる。家族とすごすことを優先するのは夫がアメリカ人だからこそなのか。
 ヒューは江戸漆器に魅せられて日本に移り住み、美月との結婚をきっかけに帰化して、いまや職人として活躍している。美月がフルタイム以上に働いていることは理解していて、主夫役を買って出、よって食事は彼が用意してくれるらしい。美月はよほどのことがないかぎり、食事は自宅で取る派だ。

「なら、デザート食べてさっさと帰ればいい。偵察に来たんだろ。おれはこうやっておとなしくしてる」
「あ、家族水入らずの食事がうらやましくなった?」
 美月は目をくるっとさせてからかった。
「人をうらやむほど暇じゃない」
「暇ならいまあるじゃない」
 美月の揶揄(やゆ)に立聖はため息をついた。
「おれがそういうタチじゃないってわかってるだろ」
 まあね、と応じた美月は立聖を見据えたまま、つと何かを考えこむようにしたあと。
「じゃあ、大丈夫ね?」
 唐突に問いかけた。

「なんの話だ。見えない」
「万田(まんだ)生命との提携の話よ」
 美月は周囲に聞こえないよう、テーブルに身を乗りだして、さらに声を潜めた。
「それがなんだ。なんの障害もない」
「……憶えてないの?」
「何を」
「万田咲希(さき)。大学の投資サークル、ちやほやされるのが好きな子いたでしょ」
 眉をひそめていた立聖は思い当たって、わずかに目を見開き、そして首をひねった。
「ああ、いたな。万田生命と繋がるとは思ってなかった」
 美月は吹きだして、呆れたように首を振った。
「ほんと、無頓着だわ。その様子じゃ、こだわってないみたいね」
「五年もまえの話だ」
「あのときは立聖が見かけに騙されるんじゃないかと思ってたけど」
 立聖は肩をそびやかして返事をかわした。
「まだ独身みたいだから気をつけて。聞くところによると旦那さん募集中って話」
「どこからそんな情報を仕入れるんだ」
「秘書を見縊(みくび)るなかれ」
 美月はふざけて云い、ちょうど届いたデザートのジュレを食べだした。


 美月の報告では、中国人投資家との商談はうまくいったらしく、来月には億単位で動かす仕事が一つ増えることになった。
 及川グループの大本は証券会社だ。大正時代の財閥を引き継ぐ銀行から独立した形で始まった。不動産、ネットバンクなどの業務部門があるが、中核(コア)はあくまで証券会社だ。
 その及川証券において、立聖は、国外対象のマネジメント部でアジアに特化したチームリーダーとして所属している。
 多額の金が動き、それゆえ、金銭感覚が麻痺しているのは自覚している。億単位の仕事とはいえ、恐れ入る気持ちなど微塵もない。むしろやる気にさせられる。それなのにこの様だ。

 部屋に戻ると、再びソファに腰を落ち着け、煙草に火をともして吸った。夕暮れ時の紫の景(かげ)のなか、照明を落としぎみにした部屋に濃いオレンジ色が光る。そして、煙草をつまむとゆっくり息を吐いた。
 煙で視界がかすむ。それがぼやけた記憶を思い起こさせ、美月との会話が甦った。
 美月の云うとおり、確かに騙されていたが、その記憶には紫煙が纏わりついているかのようで、もう万田咲希の顔もおぼろげにしか思いだせない。
 当時は、祖父や父のように自分もまた見つけたかもしれないと思っていたが……。
 立聖は頭を軽く振って過去の残像を追い払い、煙と一緒に、大きく息を吐きだした。
 ……なんだ、このため息は?
 その疑問とともに、ふと心中に湧いたのは希求に似た感傷。
 それを打ち消すように、笑みともつかない息をついた。

 人のいないところに追いやって、人恋しくさせるのが立輔の魂胆かもしれない。
 ただし、存在があるからこそよけいにその人がいないことを痛感させられることがある。いくら金があろうが地位があろうが、どう手を伸ばしても届かない場所がある。それらを立聖はよく知っていた。
 だから、金銭感覚は麻痺しても、勘違いしてそれに潰されることがない。
 届かない場所を例えるのなら、いま窓越しに目に映る、悠遠のかなたに輝いてみえる星がそうだ。
 いや、それは極端すぎるのか。
 ふっと独り笑みを漏らし、そこにまたさっきの意図しない感傷が見えて立聖は首をひねる。
 やっぱりこうも暇だとだめだな。よけいな雑念が増える。
 くだらない、とそう自分を嘲笑いながら煙草を薫(かお)らせた。その紫煙が室内の空気に紛れこみ、目のまえがすっきりと開かれた刹那。

 ……流れ星だ。
 ……じゃない?

 はじめて流れ星を見たことに驚いたのはつかの間、異様に滞空時間が長すぎると気づいて打ち消した。普通、願い事一つすら唱える暇もないと聞く。
 なんだ?
 目を凝らして見ていると、心なしかだんだんと近づいている気がする……いや、確実に近づいている。
 こうなったら流れ星じゃなくなって隕石だ。しかも衝突、とどのつまり地球滅亡か?
 ……。おれは独りのまま終わるらしい。
 そんな哀愁を覚えつつ、立聖は泰然と椅子にもたれた。
 願い事でも考えてみるか……。
 そして、近づいてくるどころかまっすぐに立聖のほうへと向かってくるんじゃないか――そう思った矢先、その光はあらぬ姿へと形を変えた。
 あんまりのんびりしすぎて幻覚でも見ているのか。
 自分に疑問を持った直後、外と室内を仕切っているはずの窓を割ることもなく通り抜け、あらぬ姿はおれの躰に落ちてきた。
 いや、激突だ。

「ぅぐっ……ごほっごほっ……」
 体内の空気が押しだされ、立聖は苦しさのあまり咽(む)せた。
「どけっ」
 落ちてきたのは人間だ。しかも女で。もう一つしかもで裸……だった気がする。
 自分では意識していなかったが、もしかしたら欲求不満で、それに因る幻覚症状か?
 ――が、感触はある。苦しさに喘ぎながらの命令はまったく効力なしで、どく気配もない。立聖に全体重をかけて寄りかかったまま、もそもそ動いているかと思うと急にケラケラと笑いだした。
「笑ってないでどけっ。いったいなんだ?」
 無理やり椅子の背から上体を起こしたとたん、立聖の上にあった質量はずるずると落ちていった。

 床にぺたりと座りこんだ女はじっと立聖を見上げてくる。
 ……やっぱりどこをどう見ても女だ。女とは云いがたいくらい未熟な印象は否めないが。
 非現実的な遭遇のなか、言葉が通じていないのか、きょとんとした瞳は不思議な色をして見える。
 日本人じゃないのか?
 髪の毛は茶色かピンクなのかわからない曖昧な色だ――と、何かが立聖のなかでカチッと反応する。三浦にしか開けられないセーフティボックスがふと開いたような唐突な感覚だ。
 時間が止まったように感じるのは、やはり非現実だからか。

 立聖は頭をすっきりさせるべく首を振った。そして口を開く。
 だれだ――と云いかけた矢先、ドアが強くノックされた。
「及川さま、どうかなさいましたか」
 ガードマンが呼びかけた。立聖の怒鳴り声が聞こえたのだろう。
 女が起きあがりかけ、立聖は煙草を持ったまま、とっさにその手で彼女の頭を押さえた。ここでもし入ってこられでもしたら、品位を疑われかねない。
 立聖が見下ろすと、女はちょうど目だけを上向ける。
 なんだ、このあどけない雰囲気は?
「及川さま、失礼……」
「いや、なんでもない。電話中だ」
 テーブルに置いたスマホを取りあげながら、ガードマンをさえぎると、回りかけていたレバーハンドルが止まる。
「仕事の電話じゃない」
 念のため、付け加えた。
「失礼しました」
 こもった足音が遠ざかると、立聖はふっと息をつく。女の頭上から手を離した。

 例えば、これが本当に女と云える女だったら、品位云々は考えなくてもいいだろうが、立聖を見上げる彼女はどう多めに見積もっても二十歳だ。
 立聖より年を食ったガードマンが、二十歳以下だと判断すれば趣味が疑われる。ひょっとすれば犯罪者にも映りかねない。
 何をどうすればいいのか、手の打ちようがない。
 立聖は整然と考えられず、めずらしくそんな状況に陥った。
 女にしろ、なんの反応もなく、もしくは考えこむようにしている。ふいに、その瞳が立聖を捉え、手を伸ばしてきた。

「人間、それは何?」
 用心深そうに、あるいはたどたどしく女は、スマホを指差して訊ねた。
 スマホも知らないのかという疑問以前に――
「人間?」
 その云い方が違和感ありまくりだ。
「人間でしょ?」
 今度は立聖を指差した。顔をしかめたのは、不機嫌だからではなく、甚(はなは)だ疑問だからだ。
「名前がある。及川立聖だ」
「名前? リュウセイ?」
 疑問を二つ並べ、女は窓の向こうを見上げた。空はもう蒼く染まってしまっている。そう、彼女の瞳はこの色だ。
「……たぶん、おまえが考えてるリュウセイとは違う」
 リュウセイと聞いておそらく“流星”だと思ったのだろうと見当をつけた。
 女は首をかしげながら振り向いた。彼女を差した立聖の指を見つめ、次には自分で自分を指差している。
「“おまえ”?」
「おまえ、だ。名前を知らないからな」
「あたしの名前って何?」
 頭が落ちそうなくらい女は首を傾けた。

 言葉を言葉としてわかってはいるようだが、その意味をまったく理解していない感じだ。
 日本人じゃないのか? まあ、瞳がブルーという生粋の日本人はいない。
 訳がわからない。立聖は吐息音が立つほど深くため息をついた。もしかしたら、ため息ばかりついているせいで、酸素不足に陥った脳が正常に働いていないのかもしれない。
 正常化するには情報が必要だ。立聖はあらためて女を見てみる。顔から躰へと視線を落としていくと、高性能な着ぐるみでないかぎり、やはり裸にしか見えない。

 女はまた立聖を真似て、視線を自分の躰に落とした。彼女の手が動き、何を思ったのか、胸先をまるで葡萄の実を摘むように指先で挟んだ。
「あんっ」
 女は嬌声じみた声を出し、立聖は呆気にとられる。
 なんなんだ。この女の誘惑の手口か?
「何これ?」
 立聖は女の質問に目線を上げた。そうしたことでつい誘惑に乗って、胸に見入っていたと気づく。
 いや、誘惑に乗るなどそんなはずはない。
 立聖はいったん目を逸らし、また女に戻した。
「何やってんだ。というより、なんなんだ? どこから来た? ……いや、幻覚だ。空から女が降ってくるなんてあり得ないだろ。飛行機から落ちたんならともかく……いや、それでもなんで裸なんだ……」
 そもそも、ここに女がいないのなら――
「独り言なんてどうかしてる。休みすぎだな」
 立聖は無視することに決めて、女が視界に入らないように躰をずらした。

 煙草を咥えると少し落ち着く。ふっとため息と一緒に煙を吐いた。
 だが、完全に存在を消すことは叶わず、女がもぞもぞと動く気配を感じる。
「これ何?」
 何を訊ねているのか、立聖は聞こえないふりをした。
 女はため息をつき、しばらくしてまた動きだした。何をやっているのか、目の端には立ちあがりかけてはしゃがみ込むような気配が映る。
 まるで生まれたての動物だな。
 そんなことを思っていると、立聖は腕をつかまれた。ぶら下がるようにして女はようやく立ちあがり、それでも脚は頼りなくふるえている。それが、二本足で立つというまでにしっかりとしてきた矢先。
「これ何?」
 女は立聖へと身をかがめ、何をするかと思えば煙草の先端を細い指先で摘んだ。

「ちっちゃい太陽みた――キャッ」
 云いかけていた言葉は悲鳴に変わった。
「バカっ、どこ触ってる!」
 立聖は慌てて煙草を灰皿に押しつけると立ちあがった。
 女の手を引っ張ると彼女はつんのめった。
 立ちあがるのさえおぼつかなかったのだから、歩くことを知らないとしてもおかしくはない。おかしいのは、立ちあがったのははじめてでも、できた、ということだ。できなくて立ったことがない、というのならあたりまえだが、立ちあがろうとすれば立てたのにいままで立ったことがないという、赤ん坊でもない彼女の状況は明らかにおかしい。

「何やってる。いったい、どうなってるんだ」
 立聖は罵(ののし)りながら女を抱きあげた。
「流……せ……」
 間違った名で呼びかけられ、見下ろすと、女の顔から意思が消えかかっていた。
「おいっ、どうしたっ」
 立聖の問いを聞き遂げないうちに腕のなかで女の躰はぐったりとした。

 かつてこれほど驚いたことがあるか。それほど慌てたかもしれない。抱えた躰を持ちあげ、同時に頭をおろしてその胸に耳を当てたのは無意識の行動だった。
 鼓動はしっかりと脈打ち、肺も胸を上下させるほど健全だ。命に係わることじゃないという判断がつき、立聖はほっと息をついた。

 ……なんだ、この安心感は?
 ――よけいなことはいい。

 立聖は邪念を払い、ひとまずバスルームに連れていった。気を失ったせいで全体重を腕に負ったが、華奢な躰はさほど重みを感じなかった。
 バスタブの縁に腰かけ、シャワーコックをひねり、煙草を摘んだ指を水で冷やす。指先は赤く、すでに小さな水ぶくれが見えた。
 医者を呼ぶべきか?
 そうするとしても裸だ。とりあえずガウンはあるが……。ここに女が、いや、もしかしたら少女がいることをどう説明する?
 目を閉じていると、ますますあどけない。
 とりあえず様子見だ。火傷は冷やすことが先決であり、リビングに氷の入ったアイスペールがあった気がする。

 立聖はベッドルームに戻り、女をベッドに寝かせるとガウンを取って躰にかける。リビングに行って氷を調達し、ティッシュを何枚か適当に重ねてくるむと小さな手のひらに握らせた。
 そうしてからベッドルーム、クローゼット、バスルーム、パウダールーム、そしてリビングと見てまわった。女の服どころか所持品らしきものまで何も見つからない。出入り口のほうに出てみると、やはりガードマンがいるだけで、スーツケースなどの荷物は見当たらない。

「及川さま、どうされました?」
「夕食はいつ取るんだ?」
「私は及川さまがお食事のときにすませております。パートナーはいま食事に行きましたが何か?」
「いや、いい」
「ああ、云い忘れておりました。女性をお呼びであれば、二人とも外の待機に変えますのでご遠慮なく」
 ということは、だ。いまベッドルームで気絶している女の存在を、ガードマンたちは知らないということだ。
「それはどうも」
 立聖は皮肉っぽく返してベッドルームに戻った。

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Material by MIZUTAMA.