NEXTDOOR|神様はコールガール!

第1章 無自覚の恋落ち日
1.強制休暇

 七月も半ばに入り、梅雨が明けたばかりの金曜日、空は爽快すぎるほどスカイブルー一色で占められている。
 及川立聖(おいかわりゅうせい)は、車が止まると後部座席のドアを開けて降りた。数歩進んで、都心の一角にひと際高くそびえる建物、インペリアルタワーの真下に立つ。遠目に見ることはあっても、ここに足を運ぶことはない。見上げれば、広大な空もわずかしか覗けず、いかに偉大な事績か、立聖は何かしらの感情を吐息に紛らせた。

「ここに来るの、もしかして久しぶり?」
 立聖に続いて降り立った桐明美月(きりあけみつき)は横に並んで、同じように見上げた。
 美月の問いかけをそのまま受けとってしまうには、立聖にとって彼女は近すぎるからこそ、油断にしかならない。
「今日みたいに用事があるんならともかく、無駄にうろつくほど暇じゃない」
 隣をちらりと見やった。百七十センチという身長に十センチのヒールを履いた美月は、それほど高さの変わらなくなった目を立聖へと向ける。からかった眼差しは、立聖が勘繰ったとおり、裏があることを示している。
 それに反応すれば認めたことになる。立聖は肩をすくめてとぼけた。

 それで引くかと思えば、同い年の美月とは長い付き合いで、立聖の秘書という立場をわきまえたままでは終わらない。彼女は口を開く。すると。
「行きましょう」
 三浦健吾(みうらけんご)がタイミングよく、美月の干渉から救った。
 美月がスケジュール管理から仕事の補佐までと手広くフォローする秘書であれば、三浦はともに仕事をプロデュースする相棒だ。三浦は、三十になった立聖よりも八つ年上であるにもかかわらず、立聖に対して上司のように接する嫌いがある。父、立貴(たつき)の部下だったこともあり、また、立聖が及川グループ創設者の末裔(まつえい)だからだろう。

 タワー内に入り、上階を占めるホテル直行のエレベーターに乗りこむと、三浦は“67”という最上階のボタンを押す。三人貸し切りのエレベーターは音も振動も感じることなく上昇していく。
「スイートルームで商談か?」
 立聖は冗談と本気の半々で問うてみた。三浦は笑んでみせ、否定しないということはそうなのだろう。呆れて吐息が漏れた。
 今日の商談相手は中国の投資家だ。わざわざ日本にやってくるほど投資には熱心だというが、会社を訪れる時間を惜しむほど、市場の情報収集に勤(いそ)しんでいるのか。
「成金は誇示したがるのよ、自分がいくらであってもお金に糸目を付けないほど裕福層だってね」
「なるほど」
「それに比べたら、立聖ってほんと無頓着よね。糸目を付けないっていうのは同じでも、高価なものにこだわってるわけじゃない」
「立聖?」
 呼び捨てを聞き留めて眉をひそめると、べつに咎めたわけではないが、美月は、あ、と、しくじった面持ちを見せて首をすくめた。

 立聖がひそめた眉をほどけないうちにエレベーターが止まる。
 美月はホテルのフロントに立ち寄り、確認を取り合ったあと、ホテルマンによって部屋へ案内された。
 そのスイートルームのまえには、いかにも屈強なガードマンが二人立っている。
 仰々しいな。
 立聖はやはり呆れながら内心でつぶやいた。
 仰々しいわりに、ガードマンは引き止めることも身分を確認することもなくうなずいただけで、立聖たちを通す。美月が率先してなかに入った。

「だれもいないんじゃないか?」
 思わずつぶやいた。立聖はそう鈍感な性質(たち)じゃない。室内は息遣いも感じられず妙に静かで、それどころか人がいた形跡も感じられない。次の客のためにリフレッシュして待機しているような気配だ。
「でしょうね」
「でしょうね?」
 美月の言葉を繰り返しながら見やると、立聖は意味ありげな微笑に合った。首をひねり、次にすぐ後ろにいる三浦を振り向いた。西洋人のように手を広げるというオーバーなしぐさは、まるきりふざけて見えた。
「どういうことだ?」
 どちらにともなく、鋭く発して答えを求めた。
「会長からのプレゼントよ」
「プレゼントって何が」
「休暇よ」
 顔を険しくしている間に美月は続けた。

「働きすぎだって自分でもわかってるでしょ。会長が心配されるのも無理ないと思うわ。平日だけならともかく、土日も一日中仕事してるって聞いてる。聞かなくても見当はつくけど。少しはゆっくりしたら?」
「冗談じゃない。相手が成金だろうが、金を持ってればそれでいい。それが仕事だ。それとも、その成金野郎も会長の差し金で、そもそも商談は茶番で存在しないって云うつもりか?」
「いいえ。実在の人物ですし、商談が進行しているのもそのまま実際のことです」
 三浦は至って平然と口を挟んだ。
「なら、これから商談があるはずだ。おれ自身が時間を打ち合わせたんだからな」
「部長が同席されます。内実は私だけで足りますよ。それとも、私を信用していないとか、私に能力がないとか……」
「そんなことは云ってない」
 素早くさえぎると、三浦はにっこりと笑った。

「であれば、ごゆっくり。せめてこの土日はここから出しませんよ」
「そういうこと。ゆっくり眠ったら?」
「これは預かります」
 唖然としているうちに立聖の手からビジネスバッグがひったくられる。三浦はそれを持って奥の部屋に向かった。
「三浦さん!」
 我に返って追いかけたときは、ベッドルームの大きなセーフティボックスにバッグごとビジネスグッズを入れられて施錠されてしまった。
「いいかげんにしろ……」
 云いかけたとき、スマホの着信音が特定の人物を示して鳴り響く。及川グループの会長であり立聖の祖父である立輔(りゅうすけ)からだった。

「はい」
『立聖か』
 そのひと言はおもしろがって聞こえた。
「ふざけるのはやめてください」
『ふざけているものか。私はな、おまえを心配することが生き甲斐だ。まさかそれを奪う気ではないだろう?』
「いつまでも子供扱いするのはやめてもらえませんか」
『この頃は女の気配もない。たまには破目(はめ)を外してみることだ。なんなら、伝手(つて)を頼って上流階級専門のコールガールを手配してもいい』
「ふざけないでください」
『本気だと云っているだろう。そこで仕事しようものなら、休暇が延びるだけだぞ』

 脅しをかけたあと、電話はぷっつりと途絶えた。
 気づけば、本気で腹を立てて電話をしている間に、美月も三浦も消えていた。

 いつもプライベートとパブリックをはっきり区別できている美月が、どうりで『立聖』と、プライベートモードで話しかけたはずだ。そこを気取ったまではよかったが、罠だとは気づけなかった。
 ガードマンにしろ、スイートルームにいる客ではなく、立聖を監視するのが仕事だからこそ、なんのチェックもなかったのだ。
 立聖は小さく舌打ちした。
 セーフティボックスを確かめてみると、開閉は暗証番号方式で、つまり三浦にしか開けられないということだ。
 ベッドルームを見渡せば、大型のスーツケースが開いた状態で置かれている。開ければ爆発するかも、などという警戒は無用だといわんばかりだ。
 ベッドルームにはエントランススペースに行くドアとは別にもう一つのドアがある。立聖はその中ドアからリビングに移った。応接セットとダイニングテーブルがあり、調度品の豪奢(ごうしゃ)さはともかく、がらんどうだ。
 このリビングとベッドルームはL字型になっていて、その隙間がエントランススペースとなり、リビングにもそこに直通するドアがあった。ドアを開けたとたん、立聖は立ち止まった。
 ガードマンが一人、内側に待機していた。
 外に出る気が失せたのは、断じて弁明すれば、ガードマンを怖がったわけではなく呆れたのだ。内側と外側の二重体制で立聖を軟禁するらしい。仕事も体力勝負であり、立聖とて躰を鍛えてはいるが、戦闘ができるかというとガードマンを相手にするほど無謀ではない。
 立聖は、せめて部屋から出ていけという意思を込めて首を振り、ベッドルームに戻った。

 祖父の意思は覆(くつがえ)しようもなく本気らしい。
「くそっ、なんなんだ」
 罵声を吐く。だが、独りきりの空間にそれはなんにもならず、むしろ自分自身の苛立(いらだ)ちを募らせただけだった。
 苛々しながらジャケットのポケットを探ると、入れていたはずの煙草がない。出先で無意識に煙草を咥えることのないよう、外回りのときは煙草を持ち歩かないようにしていたんだった。
 立聖はこめかみから手を突っこみ、くしゃりと髪をつかむ。緩く整えた髪がはらりと顔にかかった。
 しばらく立ち尽くしながら、仕事を取りあげられれば何もやることがないと気づかされる。逆説を唱えれば、仕事さえやっていればよけいなことは考えることもなく、時間を潰していられる。
 ……潰す?
 自分で云いながら自分に問いかけた。
 潰すなど、まるで何かから逃げているようにさえ聞こえる。

「くそっ。躰に悪かろうが煙草くらいいいだろ。ゆっくりできるか!」
 子供じみた癇癪を口にしてみた。苛々が募るだけの悪循環だ。
 立聖は、縫い目が綻びようが頓着せずジャケットを乱暴に脱ぎ、窓際のソファに放り投げた。
 その拍子に巨大なベッドの下にあるスーツケースが目につき、近寄って中身を確認した。一週間分くらいありそうな服が入っている。まさか土日をおとなしくしていたところで解放されるとは限らないのか。そんな疑心暗鬼に陥った。
 立聖はスーツケースの中身を見るともなく見つめ、そうしているとふと、ケースのポケットが盛りあがっていることに気づいた。探ってみると、グルーミングセットやローションなど、家で使っているメンズケア品がひととおりそろい、加えて煙草がワンカートン入っていた。
 煙草を好むとはいえ、乱暴に吸いまくっているわけではない。
 ここに閉じこめたのは躰を休めろという主旨だと解釈していたが。
「この煙草の量はなんだ?」
 文句を垂れながらも、立聖は煙草をさっそく開封した。

 ソファ付きのテーブルに置かれていたライターを取り、煙草を咥えると火をともす。立聖はどさりとソファに座った。
 真正面には空間が広がっている。遠く眼下にした景色はわずかに弧を描いているようにも見えた。
 ネクタイを緩め、三番めのボタンまで外すと、ひと息煙草を吸い、ゆっくりと紫煙を吐いた。ソファに頭を預ければ、空しか視界に入るものはない。
 地上より遙かに高い位置からはいくらか空が近くになった気がする。
 実際の距離を考えれば――宇宙に果てがあるのかさえわからないことを考えれば、近くなった距離は微々たるものだが、空がきれいに見えるのは確かだ。まもなく六時になるが、あと一時間もすれば星も鮮明に瞬くかもしれない。
 けど、それがなんだ?
 超高層のインペリアルタワーは、住居から商業店舗までという一つの町のような複合施設のなかにある。ここにいるご利益(りやく)は、空と地上それぞれに見える雅(みやび)な夜景くらいだろう。
 充てがわれたこのスイートルームは一泊二十万ほどだっただろうか。それが曖昧なままですませられるほど、金に困っていることはない。むしろ、使い様に困っているかもしれない。もとい、そんなことすら立聖はどうでもよかった。どんなに至れり尽くせりでゴージャスな場所であろうが、立聖にとっては退屈で何をしようもない。
 確かに毎日が仕事三昧という立聖には、及川グループの後継者としてのレールが敷かれている。そのことに腐ったことはないし、むしろ、やる気満々だ。
 それが、仕事のしすぎだという、立輔はまるで因縁をつけた。
 会社では当然だが、家に帰っても仕事ができる環境にある。それがいま、書類もタブレットもセーフティボックスのなかに拉致されている。こんなふうに外泊となれば、仕事を取りあげるのに絶好の方法だった。
 ただし、なんの時間潰しも思いつかず、脳が退化しそうな怖れがなくもない。その怖れは、充分にワーカホリックだという根拠を満たしている。

「やることがない。どうすごせっていうんだ」
 たまらずつぶやくと、急にコールガールという言葉が思い浮かぶ。
 ……面倒くさすぎる。
 立聖は切り捨てた。
 いくらセックスパートナーでも、こういう“過ぎる”場所に呼べば誤解しかねない。結婚という本気になられても困る。
 かといって、仕事にかまけてこのところ女はご無沙汰で、誘惑に乗る気がゼロとは云えない。
 若いうちは――いや、歳を取って衰えたというつもりは毛頭ないが、大学時代を考えると脳みそは明らかに年を取っている――とそんなことはどうでもいい。とにかく二十代半ばまでは選り取り見取りのなか、気乗りするかしないかという気分に任せて女と付き合ってきた。さすがにいまは立場があり、むちゃはできない。伴って、セックスは、行為に及ぶとしてもいまや快楽を得るためでなく、単なる性的処理行動に変わってしまった。


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Material by MIZUTAMA.